ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2005.01

おーっす 最後の更新 遅れてすまん 明けましておめでとう 
 
ツアー終わりました 無事走り抜けることが出来ました 来てくれた人 支えてくれた人
全ての友人達に心から感謝します ありがとう 助かりました かなり上げられました ありがとう
しっかし・・・長い旅だった まーじで長かった クラッシュさんとか 海外で もっと長くて 過酷なの
やってんだよなーって思った 果てしなく感じた 日本は広かった でも各街 各会場 同じ日本語を
媒介にいろんな話をした 俺達が伝えるべき事は1つ それぞれの街 ライブが到達する場所は1つだった
長いトンネルを抜け 泥沼を抜け 暗黒を抜けると そこはいつも感謝を感じられる場所だった 
そこで聴いていてくれる人がいるって事にマジで救われた そこにいて聴いててくれてありがとな 
 
各街 旨いもん食わせてもらって 気を使ってもらって 別れを重ねてきた 何度も行ってる街
初めての街 でかい街 小さな街 箱の中に入ってライヴ始めたら何にも変わらなかった どこも同じ
どの街にも言い残したことや 次にとっておいたことは何もない あれが正真正銘ザブルーハーブです
第2期最後 俺等がたどり着いたのはあの表現方法 あのライム あのビート あのノリです もし一緒に
シンクロできたならそれは本当にうれしい よく集まってくれました そしてパーティーは幕を下ろしました
 
ツアー写真 ダイのレポートもアップしています ツアーT−シャツは申し込み締め切ってます
これからT-シャツ課が必死こいて対応するんで待っててください 注文どうもありがとう
 
あと何ともう1回ライヴやります! 本当の最後の最後 1月18日 場所は新潟プラハ 完全チャリティー
チケットの金など上がり全て山古志村に寄付します 近郊の人 是非集まってくれ 最後の最後 つきあえ!
 
思えば 2002年の大阪ベイサイドの復帰戦から3年 タイミングが合わないのはしょうがないとして
呼ばれた街には全て行った 小さな箱も 遠い街も落とさずやって来た ライヴDVD用の6年分の
膨大な映像をゆっくり見返してるんだけど その復帰戦 大阪で 超満員のオーディエンスを前にして
俺が一番最初に言ったセリフ 「これから俺が自分の人生を切り開く様をよく見とけ!」 それから
ダイとずーっと切り開いてきた 数々の対バン ライバル プレッシャー 前回の到達点 毎回 1曲目で
飲み込んできた 噂も 風評も デマも ゴシップも ディスも 影口も飲み込んできた 俺等は無傷では
ないが倒れはしなかった 揺れなかった キャンキャン泣くやつもたくさんいたが この場所にたどり着いた
 
俺は2000年の末に一度旅に行くために ブルーハーブを休止させている 「全ては繰り返す しかしその
繰り返しの中に変化を見いだせるかが大事である」とはよく言ったもので 今回と前回とでは 状況は 随分
違う あの頃俺等にはリスナーという人達が存在していなかった 存在する前の段階にいた 俺等が自分らの
音を聴かせたいのは 同業者だった 同業者をぶっ飛ばすためだけにレコードを作っていた それがやがて
同業者達の手をこぼれ リスナーに届き始めた頃 俺等はもう日本にはいなかった そして旅に行ってる間
リスナーは増え続けた 実体のないブルーハーブにみんなザワザワしていた そして旅から帰った 俺等の
前には たくさんのリスナーが待っていた 今の俺や君や俺達の内のほとんどはその時初めて出会ったんだ!
段々回りの景色は変わっていった いろんなバンドやMC達で合わせて一晩というイベントとかにはあまり
出なくなった 40分では満足しなくなった 1時間半でその日の離陸から着陸まで自分らだけで表現できる
ようになった 挙げ句の果てに1MC1DJで2時間やるようになった オーディエンスも俺等のノリを
理解してついてきた 俺はある時思った 「これが俺等の時代だ」と 他者と比べて ブルーハーブがヤバイ
ことを イカレていることを誇る段階を終え メディアに「発見」され その特集のページに存在する段階も
終え 初めての衝撃で声も出ないライブも終え それでも俺等を選択し 毎回信じて集まってくれる友人達と 
人生の悲哀 諸行無常までぼんやりとながら共有し 一緒に年を重ねる 「これが俺等の時代だ」と思った
名前が広まっていくことにはあまり今は興味がない 99年から2000年あたり 次々ライヴにやってきて
インタビューをしていったライターや編集者達も 今はもうほとんどライヴには来なくなった 彼らは所詮
新しいモノを探していただけの人間なのであって 今はもう他の新しいモノ(人目に触れていないモノ)を
探しているはずだ そんな上辺だけのはったり理解者はみんな姿を消しても 俺等のライヴは人であふれた
俺は気づいた ある時その変化に 回りの変化に気づいた そして悟った 「やっとその時代が始まる」と
 
スポットライトで輝かしい夜もあった しかし名もない夜にこそ俺は勝ちを 価値を見いだしてやってきた
俺はいつもライヴの前 その箱の照明さんにこう言う 「青く暗くて良いです 音だけの世界にしたいので」
 
時代は変わっては古くなり やがて新しいモノを皆が望み 古い時代は淘汰され 変わり それは古くなる
 
一方的に休止を決め さくっと俺等は旅に出る しかし戻ってくる以上 手ぶらで帰ってきては未来がないっ
てことは痛いほど理解しています まずは知らなかったことに驚き 自分が何も知らないことを喜び 知るを
重ねて その果てにペンに帰ります 日本のどこか 世界のどこかを歩き 歩き 歩きます
 
ここでの交信も長く重ねてきました 毎月約2万ヒット 仮に2万人が毎月ここに来ていたにしても 47の
都道府県それぞれ425人のエージェントがいることになります しかし一つの県一体いくつの街があるのだ
ろう? 東京や大阪みたいな大きな街にはたくさんの人がいる 日本中で考えると セールス数で考えると
本当はここに来ている人は少ない 各街10人ほどいれば良いことになる ある街にライヴに行くとどこも
200人は来てくれます でかい街だと1000人来てくれる 彼らは俺等のことを本当に良く知っていた
音源にとどまらず 最近の言動 思ってることまで良く知っていた なにげにその日そこに来たやつもいたが 
ほとんどのオーディエンスと話すとき 自分の近況の説明抜きに すんなり会話が成立した 俺等のことを
良く知っていた 俺等はずっとそのライヴ会場かこのウェブでしか言いたいことを発信していませんでした 
何が言いたいのかというと その各街10人ほどのエージェントを発信元に いわゆる口コミだけで俺等の言
いたいことは毎月伝わっていったのです 日本中 隅から隅へと ROADS OF THE UNDERGROUND この
拡がり まさに理想的 雑誌やテレビ ラジオなんかに媚びを売らなくても 十分成り立つ 日本では全く
新しく強固なネットワーク 各街10人ほどのエージェント達よ 本当に感謝します よく伝えてくれました
 
話題を変えましょう 1月28日にTBHR第2期を締めくくるアルバムをリリースします これはCDのみ
「ONLY FOR THE MIND STONE LONG」THA BLUE HERBが3曲 O.N.Oが1曲 SHUREN THE FIREが4曲 
NAOHITO UCHIYAMAが2曲 JUN-GOLDが1曲 HERBEST MOONが1曲の計12曲 今回は本当にみんな
苦労しました 振り絞った感があります 本当に自由にみんな創ってきました しかし自由とは ただの
好き勝手を自由とは俺は思いません 最低限の規律の上に自由は成り立ちます 今回のこのCDの底辺にある
規律とはただ一つ「自分がこのCDの中で1番良い曲を創る」ということです キャリアも実績も関係なく   
このアルバムは創られていきました できあがったのを聴いていくと それぞれがそれぞれの得意な場面で1
番を主張していて実に頼もしいです ラップ インスト 4つ打ち ダブ ジャズ ブレイクビーツ ありと
あらゆるタイプの音楽が入ってます これはそのままTBHRのありのままの姿であり俺の趣味でもあります 
インタビューやここでも何度も言っていますが 俺は本当に音楽何でも好きです いや 好きな音楽の形態は
何でも良いのです ユニークで シリアスで ハイにさせるなら何だって聴いてきました TBHRの進む道は
そこ以外ない 好きな音楽 一片も無理したくねえ これが本音です 日本のどこかで俺のリリックを感じて
くれる誰かがどこか遠くを見つめたその先 カナダのトロントでハーベストムーンのビートがジャンキー達の
意識をぶっ飛ばし その様子をドイツのWOさんがネットラジオで耳にして 俺等にメールで教えてくれる
そして同じ時間ロンドンではニックウェストンがシュレンの皿を回している なんと実際 すでに 気づけば
そういうことは現実に起こっています これを発展させたい それら小さな点が結びつくまで 「なんだ  
全部このレーベルだったんだ」という日までの確実な一歩 皿は旅をする 果てしねえ まじで果てしねえ 
CDをスタートして 離陸から 水平飛行 爆発 着陸 たとえそれぞれ自己を主張していたとしても 勿論
我々はTBHRです 任せとけ こうした長いストーリーは保証済みです 全体の大きな調和は約束します 
心離さずついてきてください 47曲目まで 1月28日 お楽しみに
 
CDに収録の音源はアナログでカットもします まず最初はシュレン CD発売当日に12インチが出ます
CD収録曲はもちろんですが アナログのみで去年1月京都ウーピーズでやったライヴ音源も入ってます
京都の顔役の一人DR HASEGAWAが即興で吹くトランペットに シュレンバンドのピアニスト ドラマーが
絡んでいき その上をシュレンがラップしています こ・れ・が CRAZY DOOOOOOPE! お楽しみに
 
そして2番手はO.N.OとJUN-GOLD 我がTBHRが誇る硬質ブレイクビーツ課の師弟コンビの二人です 
O.N.Oのソロはまっじできてます 更にCDには入ってないダンスフロアー直結のJUN-GOLDのトラック 
更に更にそのTHA BLUE HERB DUBが入ります ソロを経過したO.N.OとHERBEST MOONを経過したILL-Bの
卓上でのセッション 暗黒を切り開く直線的なトラックが出来ました 2月18日 お楽しみに
 
そして3月18日 結構先の話になりますがそのタイミングでNAOHITO UCHIYAMAのシングルが出ます
CDのプロモの段階ですでにテクノ ハウス各DJに驚きをもって迎えられた曲が入っています CDを聴いて
もらえれば1発でわかってもらえると思いますが 音の響き 位相 かなーり洗練されています この盤は
フランソワ・ケヴォーキアンさんにカッティングしてもらっています すっごいですよ お楽しみに
 
それ以降も ゆっくりとしたタイミングでHERBEST MOONの新曲 THA BLUE HERBのダブ盤など 追って
リリースしていきます 店頭で見かけたら聴いてみてください 5月にはここでも何度も言ってましたが
THA BLUE HERBのLIVE DVDが出ます! 盟友FESNの森田君が99年から録りに録った映像を 遂に
表に出します 今回の年末ツアーの模様ももちろん レコーディング風景 札幌でのインタビュー とにかく
色々入ってます これはまーじですげーんで びびらせるの創ってるんで 楽しみに待っててください
DVDの前のタイミングでTHA BLUE HERBのPVを創ってみました 「ROADS OF THE UNDERGROUND」は
きっともう流れているはずです 監督はFESN森田君 LIVE DVDの予告的な要素もあってLIVEの映像がまじ
すっげー入ってます 音とシンクロしまくり まさに「ROADS OF THE UNDERGROUND」の世界観 見てみ
もう1曲「智慧の輪」 監督はDJ QUIETSTOOOOOOOM! これは撮影も終わってもうすぐ完成です これも
えらいDOPEなことになってるらしいです お楽しみに
 
ここでいろんな音楽 皿を紹介してきましたが 来月出るSAMURAI MAGAZINEという雑誌の TBHR特集で
私ILL-Bの100曲紹介を掲載します 見つけたら読んでみてください 今 作成中です 膨大にある中から
本当に今のフィーリングで100曲選ばせてもらってます 掘って 掘って どんどん奥へ 
 
インタビューのページを新設しました 柾虎氏AKA影と以前行ったものなのですが 載せるはずのところが
無くなってしまいお蔵入りになりかけていたものを 氏の親切で ここで使わせてもらえることになりました
なかなか踏み込んでいて面白いですよ INTERVIEWをクリックして見てください 柾虎さんありがとう 
 
札幌はもう雪深い 道は半分の広さになってるし 路面はスケートリンクみたいになってる しかしまだ
始まったばかり 音もなく降り積もる静かな時間が続く 遂に最後の12月が終わり 2005年が 旅が
始まりました 時間をめぐる旅 空間をめぐる旅 意識をめぐる旅 もちろん俺も名残惜しいがしょうがない 
別れを重ね人生は行く どうか皆 音楽と仲間と笑いと共に 元気で! 達者で! 健康で! 
 
3年間サポートをし続けてくれた親愛なる全ての兄弟 姉妹 友人 先輩 相棒 右腕 頭脳 チームメイト 
リスナー オーディエンス ここまで読んでくれてありがとう それぞれがそれぞれを大事に 毎日を大切に
長くなったが いよいよここで散ろうとしています ふー みんなにどうかよろしく伝えてください 
 
また会う日まで さようなら! ILL-B