ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2008.06

はや6月。本格的に暖かくなってきてるね。もしかしてそっちはもう暑くなってたりする?梅雨とか?

5月も、日本中を飛び回ってました。

ゴールデンウィークは3本。まずは大阪。去年の暮れのサンホールのビッグバンな夜以来。箱はアメ村ど真ん中、ItoI。初登場。
この日はKireekや盟友、刃頭達との共演。光栄な事に、わざわざロスからカメラマンも取材にやって来てて、リハーサル終わりで、
色んな場所で撮ってもらう。「俺等はライブがやべえから、楽しみにしててくれ。」とでかい口叩き、一旦ホテルへ。しかしそこは
アメ村。ホテルで落ち着いていられずに、Newtoneを始め、知り合いの店をブラブラはしご歩き。皆いい感じ。ライブはお客の
熱気が凄まじく、終始上げられっぱなしだった。一瞬で駆け抜けた。毎度、毎度最高だぜ、大阪。終わった後も、カウンターで
大阪、京都、神戸の古くからの(もう「古くからの」だよ)友人達と旨い酒を飲んだ。多くのパーティーがその日も、前後の日も
あったにもかかわらず、あの時間、あの場所に足を運んでくれた全てのオーディエンスに感謝です。ありがとうございました。
翌日は早々に起きて、仕切ってくれたジンと刃頭と4人で、鶴橋オモニへ。ここはマジック級に旨いお好み焼き屋。極上過ぎる味に
やられっぱなし。揺るぎなし。半端ない。その後再びアメ村に戻って、レコ屋回って、ゆっくり空港へ。そのまま鹿児島へ飛ぶ。
鹿児島は去年の秋以来の2回目の上陸。今回は霧島で行われた鹿児島初の野外大規模フェス、EFFECTへの出演だった。着いた日は
オフ、とはいえ宿は霧島の奥、周りには何にもない、食堂ですら徒歩圏内には2軒のみ。インターネットも通じない。素晴らしい。
これぞ強制オフ。こうでもしないとすぐ仕事したがる俺にはこれくらいがばっちり。ホテルの部屋でのんびりDVDを観て過ごす。

翌朝、モーニングコールかと思って電話に出たら、何とダイ。時計は集合時間を大きくオーバー。久々の寝坊。先に行ってもらって
追いかける。会場はどデカイオーケストラホール。ダイと、俺等が唯一指名で仕事を頼むPAの凄腕サニーさんとの音作りはもう既に
終わっていたので、合わせのリハーサルをさくっと終わらせる。この時点で昼12時。天気もロケーションもまっじで最高な予感。
こりゃあ客で来たかったな。犬式を観てたら、久々にGOMAちゃんに会う。彼は友人でもあり、同世代の日本のアンダーグラウンド
最前線で生き残っている数少ない同志だ。互いにエールを交換して、後は出番まで極力体力を消費しないよう控え室で静かに待機。
ライブは昼3時半スタート。突き抜けた天気を背中に、会場に向かう。暗闇の中、大勢のオーディエンスが静かに待っててくれた。
OK、時間だ、しっかりやらせてもらおう。スイッチが入ってからは、またもや一瞬の出来事。明らかに前回の鹿児島初ライブよりも
深い所でシンクロ出来た。俺等と鹿児島の間の歴史は、既に確実に始まっている。来たる秋が楽しみだ。ありがとうございました。
ライブ終わりの時点で、夕方5時。よし!まだ遊べる!って事で、あちこち歩き回り、ムーチーや、MANTIS、BAKU、三宅君、
そしてNORIさん(!)達と出会っては飲みを繰り返していた。メインステージはKEN ISHII君。ぶちかましてたね。最高。終演後、
バックステージでそのKEN君とも久々の対面。前回会ったのは、何とバルセロナ旧市街の路上。世界の最前線で闘っているKEN君。
リスペクト。今年初開催のEFFECT。素晴らしいパーティーだった。是非ずっと続いていって欲しいと思う。スタッフの皆、慣れぬ
事ばかりであったと思うけれど、こっちはばっちり楽しませてもらいました。お疲れ様でした。ありがとう。また遊ぼうぜ。

翌日もライブは続く。曇り空を抜けて沖縄へ。空港で1945のクラナカとZION TRAINのニールに会う。彼等もツアー中で今夜は
お互い那覇でのギグ。沖縄も小雨まじり。早速そば喰って、ホテルで小休憩。箱は今回はライブハウス。クラブでのライブも良い
けど、言葉の解像度の高いライブハウスでの公演が最近は多い。これは俺等の希望でもある。今回も全面的にサポートしてくれる
ソウちゃんや仲間の皆、皆が頼りになる。ありがたい。ライブはワンマンってことでしっかり2時間。言い残しなし。もう何度目か
いよいよわかんなくなってる俺等と沖縄の歴史。皆、今回もばっちり。拍手喝采を浴びて最高の手応えとともにステージを降りた。
来てくれた皆、ありがとうございました。その時点でまだ0時。帰り道そば喰って、ホテルに荷物置いて熱血社交場へ。ソウちゃん
や仲間と乾杯。酔いと共に連日の疲れがどっと出る。いかん、眠い。しかしまだ行かなくてはならない場所がある。気合い入れて
クラナカの待つ箱へ。ちょうどZION TRAINのライブが始まっていて、地元沖縄の多くの友人もいて、再びアガる。そのままその
ビルの屋上、皆でのんびり涼しい風を受けながらワイワイ話し、ユルくも良い時間を過ごした。同じ日、札幌はまだ桜が咲いてたと
いうのに、毎回沖縄との天気のギャップにはアゲられる。帰り道、歩きながら見つけた朝までやってる食堂で、本日3回目のそばを
喰って、ホテルで撃沈。翌日は沖縄オフ。しかし天気も悪く、ノドの調子も最悪。風邪引いたかなって感じでホテルでずっと寝る。
友達の家に売ってくれるというレコード堀りに行って、夜、ダイと合流してジャッキーステーキハウスへ。ここだけはいくら具合が
悪くても行かないわけにはいかねえ。激ウマ。その後はホテルで静かに休む。翌日は札幌へフライト。ソウちゃんと空港へ。今回も
心を配ってくれて感謝。マジでいつもありがとう。フライトは関空乗り換えって事で、長く、札幌に着く頃にはクタクタでした。

その週末はOKI DUB AINU BANDの間違いないライブ観て、そのアガりのままフィルモアノース行ってって感じで、久々に札幌での
休みをヘベレケ楽しんだ。週明けからは通販サイトの再オープン。毎日対応に追われていた。沢山の注文ありがとうございました。

その間もライブの練習は続いていた。そして初上陸岡山。今まで何度もブッキングがありながらも、タイミングが合わなく泣く泣く
来れなかった街。気合いが入ってたぜえ。まずは飯って事で、岡山ならではのが食べたいとの、俺等のリクエストから連れてって
もらったのは「やまと」という一軒の洋食屋らしき店。そこのラーメンはキ・テ・タ。ひっさびさに撃たれたね、味に。デミグラス
ソースがかかってるカツ丼(?)も最高の旨さ。参ったねこりゃ、降参だ。箱はそこからすぐのライブハウス。音もばっちりだぜ。
今回サポートしてくれたHANABISとも握手。水戸以来。仲間も皆、いいヴァイブス。俺等のライブ、そしてこの日のパーティーに
対する気合いの程が、言葉を介さずとも伝わってくる。本番が楽しみだ。で、本番。ステージからの景色はとても初めて来る街とは
思えない程、しょっぱなからフロアーは大爆発。そのまま、輝ける、素晴らしい雰囲気のまま2時間はあっという間に過ぎ去った。
いやー楽しかったな〜。ありがとうございます。初めての街は、ステージ、客席共に、お互いの緊張感がまず支配しがちな事が多い
のだが、まるでずっと昔からの付き合いがあるかの様なシンクロっぷりでした。勇気をもらいました。こっち側もやっていて最高に
楽しかったです。特に俺自身、ライブを観て欲しかった沢山の岡山の顔役達も心開いて、観に来てくれてて、俺も心から感謝です。
終演後、軽く飯を喰ってから向かったアフターパーティーでは、またもや刃頭がスピン中。久々爆音で「KNOW THE LEDGE」!!!
俺は結構疲れ気味で、さくっと引き上げたんだけどダイが残ってて、彼、ずーいぶん飲んでたらしいです。翌日、彼、最高具合が
悪そうで笑えました。ダイ共々世話になりました。岡山との良いスタートになった。岡山から発せられる音、楽しみにしています。

そして翌週、再び俺等は新千歳空港にいた。次なる目的地は福島県、いわき市。福島市は以前1度呼んでもらった事があるんだけど
いわき市は初上陸でした。この街には俺等少なからず縁がありまして、さかのぼる事1999年のあの六本木コアでの夜(俺等が
初めて札幌以外でライブをした夜)、今の俺等のライブとは違い、誰も俺等のライブを観た事がない状況の中(いや、KRUSHさんは
観た事があった。)少ない情報を手に入れた、アンテナの敏感な人達だけが集まったあの夜、福島からRHYTHM TROOPSという
クルーも底に来ていた。その場で出会った人達との交流はそれ以後ずっと続いている。同じようにRHYTHM TROOPSという名も
俺はずっと憶えていた。今回呼んでくれたのは、そのRHYTHM TROOPSの若きDJだったんだ。あの森田貴宏に最初に俺等の音を
聴かせてくれたのも彼と彼の仲間だった。それ以後、俺等の音楽は、いわきの地下深くに常にダイレクトに伝わっていったという。
「この街程、THA BLUE HERBの音楽を愛している奴等が多い街はない!」そう彼は言う。OK、ならガッツリやらせてもらうぜ。
俺等も気合いが入りまくっていた。リハの時点から箱の中には特別な夜になる予感がびっしびし漂っていた。旨い魚を喰って、いざ
本番。あの日、1999年のあの夜から、数えきれない位、繰り返してきた俺等のライブ。2008年ON THE RUN。あの日やった
曲も沢山やった。彼等の昔の仲間も集まってくれていたらしく、俺も、今の俺等の持つ実力を本当に、本当に観て欲しかったから、
ガッツリやらせてもらった。あの最後の拍手、皆の笑顔、歓声、会場を覆い尽くしていた雰囲気、美しい光景だった。筆舌尽くし
難いとはまさにあの事だ。ありがとうございました。8th Wonderやchaos、そしていわきのホーミー達、皆、また遊ぼうぜ。

翌朝っていうか昼過ぎ、少々の二日酔いを引きずって起きる。昨日は昨日、今日は今日。次なる使命が俺等には残ってる。まずは
飯。腹が減ってはってやつだ。俺等をいわきに呼んでくれたその男、Cheeba Changと小名浜港へ。そこで旨すぎる魚介を大盛りで
喰って、いわきを後にする。24時間居れなかったけれど良い街だった。そして向かう先は御存知説明不要、山形サンディニスタ。
俺的にこのドライブはすぐに着くと思ってたけど、甘かった。結構な長旅。でも仙台のマイメンKAMAちゃんも一緒で、わいわい
楽しかったな。着いて即リハ。箱の音も、PAさんもいつもの顔。ばっちり。で、飯。飯は山形の夜はここって決まってる。久々の
「海山」。昼は太平洋の魚だったけど、夜は脂の乗った日本海の魚。どっちも旨い!で、軽くHEAVENLY RECORDSで皿掘って、
ホテルで待機。山形でライブやらせてもらうのは本番では4回目って言ってたけど、実は5回目。確固たる、動かせない、神聖な
歴史が俺達の間には既に存在している。これまでの夜達に恥じぬライブをするのみだ。毎回、毎回フロアーはびっしり入ってくれて
俺等をアゲてくれる。岡山やいわきの時のような、高いステージがあって、快適に、観て、聴けるというライブハウスではなくて、
この夜はクラブだ。俺等とお客は近い。押し寄せるお客の怒濤の熱気を二人で受け止め、押し戻す。手を触れる事なく、心二つで。
空気が薄くなり、スタッフは扇風機抱えて走り回る。ぶっ倒れたお客が運ばれていく。渾身のセットは2時間。皆、最後までそこに
いてくれて本当にありがとうございます。終わってからは初対面、いつもの面々、マイメン達とゆっくり酒を飲んだ。極上の夜だ。
翌朝起きて、これまた山形と言えばって事で「竜山」のそば喰って札幌に帰って来た。やくわ、今回も世話になった。ありがとう。

今月はライブ一色な毎日でした。実質ライブは6本。しかしその前後の移動、練習、回復の時間などを入れると1ヶ月はすぐに過ぎ
去っていく。残るのは透明な記憶のみ。それすらも毎日の時間の流れの中で少しずつ薄まっていく。これは不特定多数に伝える作業
なんかじゃない。全てが消えてしまう前に言葉を、音を、気持ちを、目の前の顔の見える一人一人に注ぎ足していく地道な作業だ。
そこに意味があったかどうかは、価値があったかどうかは、正しかったかどうかは、後々の歴史が決める。今は走っている最中だ。

最近、通販部門を始めたんで、薄々知っていたつもりの事が確信に変わった。それは皆の住所を見ていて気付いたんだ。本当に東西
南北、あちこちに俺等の音楽をサポートしてくれてる人がいる。俺等がライブに行く街は、ほとんどが県庁所在地か、それに準ずる
デカイ街だ。でも、住所を見てっと、そんなのはほんの小さな点でしかない事がよく解った。…市、…町ではとどまらずに、字…、
…村という感じで、日本中、毛細血管のように道は張り巡らされ、山、川、谷を遥か超えた所で俺等の音楽を聴いてくれてる人が
沢山いる。そして今や海外にも沢山いる。俺は、常々、本当に、皆に、全員にライブを観て欲しいと思っているけれども、そういう
遠い場所から会場までの距離を考えると中々難しい事も実感出来た。ましてや皆、日常を生きている。やらなくてはならん使命を
皆が背負っている。気楽に音楽を聴いていられる身分は当たり前の事じゃない。だから、俺等に出来るのは、待つ事。常に準備して
待つ事だ。もちろんその街に生きてる人、そして遠くからわざわざ足を運んでくれた人、一人一人の大切な「その時」に備える事。

6月も引き続きライブ中心に突っ走ります。ADFとの世紀の対バンツアーに始まり、4月のKAIKOO以来、早々2回目の横浜。あの
KAIKOOのライブは確かにとんでもなかった。けれど50分のセットと、俺等がいつもやってる1MC1DJで1時間半を軽く超える
セットじゃあ中身の濃さがまるで違うぜ。この日が横浜での最初の夜だと思っている。そして長野の山で素晴らしい世界の凄腕との
共演、TAICOCLUB。そしてやっと行ける日が来た、初上陸、富山。さらに馴染みの八坂の地下、京都。そしてMJPとの初の札幌
以外での共演となる神戸。どの夜も落とせない大事な山場が続くぜ。鍛錬を怠らずに、万全の備えでぶつかっていくぜ。楽しもう。

健康で。
ILL-B