ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2010.07

7月。元気?暑いね。珍しく札幌も連日暑いよ。サッカー日本代表、残念だったね〜。でも随分と進んだと思うよ。いいもんもらえた。

さて、ゆっくり読んでください。

先月ここで告知していた久々の新曲、そう、B.I.G. JOEとOLIVE OILとの曲、「MISSION POSSIBLE」が7月21日に発売になります。
6月はライブとこのプロジェクトのために列島中を飛び回ってました。沖縄普天間基地移設問題から沸き上がってきた想いを込めてます。

ゴールデンウィークの九州ツアーを終え、JOEとOLIVEとの締め切りを胸に札幌に戻り、理想と希望に燃え、この曲の構想を練り始めた
最初から、このプロジェクトは簡単なことではないことを俺は知ることになった。プロジェクトと言うよりは、この問題の根の深さについて
である。ブツブツと自問自答は始まった。それは困難な作業だった。初めは徳之島に基地を作らせないってメッセージが出発点にあったの
だが、この無防備な主張はすぐに1つの大いなる疑問にぶち当たることになったんだ。そう、では、仮に、徳之島に作らせずに我々の主張が
通ったとして、では、次に、どこに作るのか?作らないのか?作らないのなら今のままということか?今のまま沖縄に押し付けておくのか?
他に解決策を持っていないのに、無邪気に基地反対とだけ叫ぶわけにはいかない。ならばどうする?他の街に作るのか?さあどうするんだ?
基地はないに良いに決まってる。でも中国や北朝鮮からのプレッシャーは連日笑えない。こっちの平和主義が彼等に無条件で通用するのか?
この問いは俺を激しく悩ませた。そして気付かせた。そうなんだ。その答えを現在の自分は持っていないということを。そしてこう結論を
出した。行動することによって答えを導き出していこう、と。まずは行動だ、と。その先で違う意見にも出会うであろうし、自らの無知を
知るであろう。そういう道の中で少しずつ答えを形作っていけば良い、とにかく思考を停止していては、答えまでの距離は縮まらない、と。

「何もしないお前に何がわかる。何もしないお前の何が変わる」。もうずっと昔、それこそレーベル立ち上げたばかりの頃にふっと札幌で
耳にした言葉。札幌のSLANGのKOちゃんの言葉。この言葉が、今回も、俺をもう何度目かわからないけど勇気付け、声を上げさせたんだ。
蓄えた知識に、慎重に思考を重ね、誤解を恐れずに行動するんだ。俺には言いたいことがあるんだ。志が腐っちまう前にケリをつけんだよ。

言葉を書き上げて、俺はJOEとスタジオに入った。その日まで長くラップを続けてきて、数年の離れ離れの時間こそあれ、同じ街に住んで
いて、JOEと一緒にスタジオに入るのはこの日が初めてだった。お互い、色々あった。お互いの間にも色々あった。はっきり言って緊張して
いた。JOEも、俺もだと笑った。そして俺等はラップした。声を張り上げ、心を込め、恐れを遠ざけ、今の自分等の精一杯の想い、主張を、
知識を吹き込んだ。お互いの異なるスタイルがOLIVEのビート上に共存した。それぞれベストを尽くした。次々産まれてくるアイディアを
試し、磨き、その曲は完成されていった。スリルとワクワクが炸裂してたね。この時点で曲自体が突き抜けてたぜ。言葉を整えて、それを
福岡のOLIVEの元へ送る。同時にPOPYとフライヤー、ウルトラヴァイヴと流通の道筋を決めていく。ゴールデンウィークのあの夜、天神
BASEのカウンターでの発案から発売まで1ヶ月半少ししかない。この制約が俺等をフルに動かした。ましてCDは525円で発売すると決め
た以上、お金をかけて出来ることも限られていた。時間と予算の制約の中で、ウルトラを起点に、俺等は頭を絞って、足を運び、汗をかき、
このプロジェクトに多くの人を巻き込もうと努力してきた。そんな流れの延長、PVを創ろうという話になった。やろう!ではどこでやる?
そうなったらもう行き先は1つしかなかった。ああ決まってる。沖縄だ。まずは実際にそこに礼を示して体を運び、地に足をつけて、実際に
ラップしなくては、自分等のこの可能と信じる使命を、日本の他の街の皆に届けることなんて、日本を揺らすことなんて出来やしない。

俺は滋賀のライブを終え伊丹空港から沖縄入りした。1日目は先に沖縄に来ていたJOEの撮影がメインだったので、この日に沖縄に入った
OLIVEと俺はオフになった。もう空港から宿に行く途中から毛穴が開き、汗が止まらなかった。沖縄はちょうど前日に梅雨が明けたらしく、
札幌に住んでいる俺にとってはもう灼熱の常夏だった。宿に荷物を置き、ショートパンツに着替えて、市場を抜けて街に出る。結構前から
札幌から沖縄に移り住んでいた古い友人であるヨコザワ君とOLIVEと一緒にCLUB BE GREENの事務所に向かう。そこでいろんな人と会い、
話し、ゆっくりと沖縄に心が着陸し始める。すると現在沖縄在住、焦げまくってるDJ HIKARUも登場。その後ろには、LITTLE TEMPOの
トキ君も!これには相当上がった。いつ以来かってあの国技館でのライブ以来だって。一緒にKOYO君、コージ君とも邂逅。で、わいわい
遊び、HIKARUとそば喰いにいったり、あれこれしているうちに日が暮れてきた。で、皆で開店前のマイルストーンに移動して、そこで真正
面からサンセットを眺め、そのまま北谷へ。そこでFLEXっていうお店で、超極上のジャークチキンを喰らう。この日、バンパクさんを始め
BE GREENのクルーにはマジで色々世話になりました。ありがとうございました。そのまま那覇へ戻って、コトノハでJOE、撮影スタッフと
合流!皆、すでに日に焼けていた。俺よりも3日早く沖縄に入って、あちこち画になる場所を探しまくっていた。早速ミーティング。今回
力を貸してくれている沖縄の友人達を交え、明日からの撮影の細部を詰めていく。明日も暑そうだ。昼間っからの遊びの連続と久々の島酒で
すっかり酔った俺は1人宿へ向かい、就寝。

翌日、天気はやはり晴れた。朝9:30、皆と待ち合わせ、那覇を出て北へ。目指すは普天間。しっかし暑かった。最初の場所で、最初の
カットの時点で、がっつり汗かいてた。基地のフェンスが普通の住宅の前に張り巡らされている。フェンスには警告文が。この中に入ると、
日本の法律で罰せられる、と。ここで産まれ、育ち、生きて、日々あり得ない爆音と墜落の危険にさらされている沖縄の人達が、沖縄の中の
アメリカ様用の土地に足を踏み入れると、日本の法律で罰せられる、と。ここじゃ日本の法律もアメリカ様用だ。普通のことのようで、何か
変だな。小さなハテナが晴れた静かな午前に落ちてた。場所を変え、構図を変え、美術館の屋上で、ビーチで、海兵隊の基地の横で、撮影は
続いた。マジめっちゃ暑かった。ほんとこんなに暑さで消耗したのって昔モロッコ行って、サハラ砂漠に行って以来かもってくらい。JOEも
合流して、OLIVEと最後のフックで3人の画も撮る。そして最後に監督が選んだ場所は基地のゲートの前。こっから先はアメリカ。その瀬戸
際で最後のカットを撮る。もう全員、相当くたくただったけど全てのミッションをやり遂げた。名取君、菅井君、太田君、皆の驚異的な粘り
強さのおかげで、俺等も前に出るしかないって感じで、根性振り絞ることが出来ました。本当にお疲れ様でした!引き続き、よろしくっす!

終わってから再び昨日行ったFLEXへ。そこで打ち上げだ。乾きまくったノドにオリオン生が注がれていく。皆、マジでお疲れ様だったな。
ケン、ケイスケ、バイト、リチャードさん、地元の皆が力を貸してくれなかったらあの奥地まで行けなかった。ほんとありがとう。続々
集まってくる地元のMCやDJや古い友人達とテーブルを囲み、いろんな話をした。皆、やはり意識が高い。ここでも知らなかったことを、
沢山知れた。俺個人の滞在時間は48時間もなかったけど、とてつもなく濃い瞬間の連続でした。類が友を呼び、その友がまた友を呼び、
皆やって来て、拡がっていった。最高の経験でした。沖縄の全ての友人よ!色々ありがとうございました。酒豪伝説飲んで乗り切ったぜ!

OLIVE OIL×ILL-BOSSTINO×B.I.G. JOEによる一撃「MISSION POSSIBLE」。CDは税込525円。発売は7月21日。アナログは税込
1680円。アナログの発売日はまだ未定ですが、なるべく早くリリースできるように動いてます。で、アナログはともかく、525円と
いうお金に困っている人には無理を強いはしないが、そうではない人には、ここであえてこう言いたい。皆、忙しい中すまんが、お店に足を
運び、それぞれで買ってくれ。頼む。焼かずに、この曲に、想いに525円支払ってください。


全然堅苦しくもなく、しみったれた曲でもないぜ。がっつり場外ホームラン級にぶっ飛ばして、君を上げてやっから、こっち来いって!


すっかり日に焼けて札幌に戻る。雨の札幌、いつもの日常へ。沖縄の街のどこでも聞こえていた飛行機の音はしない。俺の身は再び、あの島
から遠く離れた。今回の短い滞在で、俺はこの目で深い傷跡を何度も見た。この耳で多くの貴重な話も聞けた。文字通り現在日本の最前線に
ある、ヘリが旋回する幼稚園や、飛行機が石を投げれば届くかと思わせる距離で普天間第2小学校をかすめて着陸する光景も見た。会話が
上空の爆音で遮られることも何度もあった。ったく何て奴等だ、と思った。でもね、簡単じゃないんだよな。アメリカ人とデートしてる女も
沢山見たりさ、そこにどんな会話が交わされているか、どんな約束があるのか、俺には知る由もないんだよな。そんな人達で賑わってるお店
で飲んだりさ、またそのお店は俺にとってもいいお店でね、皆フレンドリーでさ、居心地もいいし、そんなある意味、沖縄の1つの日常に
身を置いて、何て言うか、簡単ではないことは承知していたけど、万物は善と悪の2つでは割り切れないことは知ってはいたけど、やはり、
俺は少し混乱したよ。何気に、あの戦闘機に乗ってるアメリカ人も、そう、日夜、人殺しの訓練をみっちりして、事実、イラクやアフガニス
タンでその手を汚している、子供や老人を殺しているかもしれないアメリカ人もね、結局は、本国では貧困層だったり、大学に入るための奨
学金の引き換えに軍に入ってきた人もいたりしてて、殺人マシーンに改造されて、こんな遠いアジアに派遣されて、憎まれてる彼等もさ、
上空で何を思ってるのかな、とかね。基地で働いてる人達や、親がアメリカ人の人達。いろんな人のいろんな事情がある。経済的事情も
ある。食わせられなかったら子供を育てられない。そんな現実で切迫している人に、俺が何をできるというのか。何を言えるというのか。
「何もしないお前に何がわかる。何もしないお前の何が変わる」。そうだよな、KOちゃん。俺は冷めた笑いの皮肉屋じゃ終わらねえぜ。
たった1回の人生、声を醜悪なカゲ口ごときじゃ終わらせねえ。行動だ。答えを焦るな。単なるリゾートめぐりではない、炎天下の沖縄で、
慰霊の日に、俺は多くの思索に身を焦がした。

何度も言うけれど、俺の行動は、戦前から、戦後の65年から、他の誰でもなくずっとそこで、その土の上で身を持って感じ、全てを受け
止めてきた人達を差し置いて、何か突拍子もない手品のような、奇跡のような解決策を遠い北海道の地から投げつけるような真似ではない。
そんな動機じゃない。ましてや、政治家や先生や、評論家や文化人や、研究者や学者や記者たちがもうずっと、少なくとも65年間も、
探し、議論され続けている答えを、わずか4分半の曲で言い終えることはできない。正直、そう思っているよ。俺は当然だが万能じゃない。

俺の内から起こった衝動だ。遠い未来から見て、これが何かのきっかけになるか、あるいは何も起きずに消えてなくなってるか、知らん。

でも事実、県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦、この世に考えられる悲劇の全てがかつてそこであった。そして沖縄戦の体験者は今や
10人に3人もいなくなっている。沖縄で新聞を読むと、本当にスポーツと経済以外の全てのページに戦争に関する記述を、大なり小なり
見つけることができる。札幌では、普天間の基地移設問題に関する政府の方針や、沖縄を代表する人の話しか載っていない。それくらい
違うってことだ。それくらい見えない所に遠ざけられているってことだ。どんどん歴史は風化していって、いつか完全に忘れられちまうかも
しれない。沖縄の人しか知らないなんてことになってしまうかもしれない。もちろん俺も毎日の生活が楽しい方がいい。笑っていたい。
仕事は幸運にも忙しく、それをこなすので精一杯だ。遠く沖縄の地でいくら爆音が鳴り響いていても、札幌では聞こえない。心は痛むが
実際に身は痛まない。俺はそんな普通の人間だ。そんな人がほとんどだと思う。無理もない。超えなくてはならないヤマがそれぞれにあり、
それを超えるので一日が終わってしまうんだと思う。

ただね、こりゃ理屈じゃねえんだよ。法律的に何の問題もないとされている中にも不正義は存在しているんだ。しかもそれを目に、耳に
してしまったんだ。見えないふり、聞こえないふりはできねえ。法律じゃない、仁義に外れてる。俺達はさ、誰も政治家なんかに今さら
なれねえっしょ。でもさ、それぞれ正義と不正義、公平と不公平くらいの判断は出来るっしょ。飼いならされちゃいないんだろ?皆が、
同じ時代に、同じ国に産まれ育った、同じような音楽に出会った友達を得てさ、やがて視界が開けていって、悪い事ばかりやってたのが、
次第に人生に起こるいろんなことを知って、出会いと別れ、生と死の狭間に多くを学んでさ、そんな感じじゃない?俺はそうだよ、今。
その友達が困ってんだよ。抗えない大きな力に潰されそうになってんだ。出来る事をしたい、そう思うだろ。俺はそう思う。HIP HOPから
学んだんだ。学校でじゃない。学校ではただの知識を学んだ。でも行動すること、身を削って、リスクを冒して、世の理不尽に声を上げる
こと、俺はそれをHIP HOPに始まり、札幌のダンスフロアーで学んだんだよ。そう、出来るヤツが出来る事をすればいい。俺はここでやる。
この曲が、この世に、沖縄に、日本に出て行くことによって何かが変わる、とは俺は言い切るつもりはねえよ。誰の力にもならないかも
しれない。変わって欲しい、変わるべきだ、という想いこそあれ、無邪気に何かを変えてやる、という望みが俺を駆り立てたわけではない。
正しいこととは何か、それを言い当て、言い切ってしまえるほど、俺は若くはないし、老いちゃいないし、偉くはないし、物事の全てを
知らない。誓って、金や名誉が欲しいわけでもない。違うんだよ。俺に出来んのは、歌うことだ。命の分、歌いきること。ただそれだけだ。
それが俺の心の底からの命令なんだ。信念からの要請だ。俺は黙ってそれに従う。その使命を読み上げるために、伝えるために声を出す。

答えは、まだ見つかっていない。誰も傷つかない、失わない、損をしない答えは見つかってはいない。いつか君が見つけたら、教えてくれ。


ここからはツアーレポート。6月は6本。

姫路、久々のFAB-SPACE。暑かったね。外の気温もだけど、中が熱かった。夜の深い時間帯でのライブ。最深部から上がってくるとこで
心を離さずに、振り落とされずについてきてくれた皆、最後のエンディングへの数曲の高ぶりったら半端無かったな!鳥肌もんだったぜ。
ちょっとあり得ないことになってたね。俺からはそう見えたよ。そしてまだ憶えている。響かない人には響かん。開かれていない心には
伝わらん。簡単で分かりやすいもんじゃない。でも、最後までしっかりついてきてくれれば絶対そこには特別な何かがある。俺等はそう
信じてる。それが間違いじゃないって改めて教えてくれた姫路の皆、ありがとうございました。タクちゃん、ヨウヘイ、また遊ぼうな!

大阪、1年ぶりのSUNSUI。入場規制がかかる位の大入り。豪華な共演者にこっちもリハーサルの時点から上がってたよ。もう何度目かは
数えるのをやめてしまった大阪の皆との夜。今回も間違いなさすぎでした。爆発に次ぐ爆発で、一気に最後まで駆け抜ける事ができました。
約束通り最後まで俺等を上げてくれた皆、ありがとうございました。終わってからも最高遊ばせてもらった。KENSEIさんとも話、随分
盛り上がったな〜。次々やって来る大阪のB-BOYとの乾杯も極上やった。朝までずっと良い音楽がなってたね。ジン、SENSEI、いろいろ
ありがとう。翌日も翌々日も大阪を満喫しました。入れなかった人、ちゃんと観れなかった人、申し訳ない。9月の名村で再会しよう。

和歌山、ここも久々のGATE。関西が続いてるね。梅雨入りしたのかすげえ雨だったな。大きくはないがサウンドのスケールは大きな箱で、
言葉の解像度が高かった。色んな感じ方の人が混在している中で、皆、ステージから目をそらさずに聴いていてくれた。時に心は揺れ動き
ザワザワするけれど、すぐにMAINLINEに戻って来てくれていた。緊張感が途切れる事なく、俺等もがっつりやらせてもらった。そこに
いてくれた人なら、シンクロしてくれていた人なら分かると思う。繊細で、意味深く、とても価値のある夜だった。あの夜を落とさないのが
プロってやつよ。皆、俺等をステージに、最後まで誇り高く立たせてくれて、ありがとうございました。また会おう!入口君お疲れでした。

滋賀、久々帰ってきたぜ。箱、大きかったな。共演者も色んなジャンルからたくさん来てたんで、ワイワイ話したり、日本対オランダ戦を
皆で観たりして、いい雰囲気が終始あったね。何かが起こる予感がしまくってたよ。地元代表のMARの後、俺等の登場。最初っからずっと
凄かったね〜。最高盛り上がってたっしょ!1曲1曲、よく知ってくれているフロアーの皆のおかげでこっちも上げられました。楽しすぎ
でした。皆、ありがとうございました。終わってからも、あっち行ったりこっち行ったりして遊びまくっちゃってました。俺等の後の時間、
パーティーの着地を担当してたDJ K-SUKEの素晴らしい音楽を聴きながら、揺れながら、酔わせてもらいました。粉川君、お疲れでした。

三重、ここは初上陸。セントレアに迎えに来てくれていたクラナカ筆頭、ZETTAI-MUクルーの運転で鈴鹿へ。共演は瘋癲。久々だ。昔に
繋がってから、こうして時々会うんだけど、いつ会っても変わらず良い感じ。B-BANDJは俺がマイク稼業を始める前からの友達。MILIは
俺と同い年。話したいことがお互い沢山あった。リクエストしてた松坂牛喰らって本番だ。がっつり入ってくれてたお客、盛り上がり全開
やったね。初めての街とは思えないくらいシンクロできた。上げられて最高に楽しかったよ。皆、ありがとうございました。終わってから、
皆とゆっくり飲んで笑って楽しい時間だったな。モンキーケンやDJ SHARKさんとも久々会った。クラナカ、アッキン、お疲れでした。

米子、鳥取県はよく行ってたけどこの街は初めて。会場のお店の空気感がとても良くて、ワクワクしてた。しかもこの日はタートルの愛樹の
バンド、ボンクラ峠も一緒。愛樹と久々の再会。タートルのモロッコ遠征やらを、あれこれ話してすっかりリラックス。韓国料理を喰って
スタミナつけて本番。マイクの状態が良くなかった中、諦めない俺等とお客。スリリングな時間だったな。次にいつ皆に会えるのか、分から
ないんでね、どうしても諦めるわけにはいかなかった。最前列の皆、後ろの皆、最後までそこにいてくれてありがとうございました。皆の
おかげで走り抜けることができた。終わってからはバカ話、マジ話、尽きることのない夜だった。ゆうじ、最高な仲間の皆、また遊ぼうぜ!

THA BLUE HERB、ライブ47都道府県制覇まで、あと3つ!!!

健康で。

ILL-B