ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2010.09

もう9月。まだ暑いけど、しかし確実にゆっくりと、1つの季節が暮れて行くね。


8月はライブ三昧だった。実際にライブしていない日も、ライブの疲れを休めたり、準備したり、ダイと練習したり、移動してたり、と、全てライブの
ために時間を使ってた。こう言うとこう思うだろうな、この後この曲やればこうなるかな、とかいっつも考えてた。PHASE 3.9ツアーもマジでいよいよ
トップスピードに入ってきてて、各地のオーディエンスもそれにしっかり呼応してくれてて、いつものようにガチ上がりで大騒ぎしながらも、どこか
刹那的に、大切に、我々に残された、減っていくしかない貴重な時間を分け合ってきた。何も事情を知らない(悪いって言ってるんじゃない)物見や
冷やかしで来てるお客はもうほとんどいなくなってるね。それでいい。出来るだけ多くの人に聴いてほしいとは今も思ってるし、まだ会ったことがない
人達にはもちろん誰も遅くはないと思ってるけど、今になって、薄くなってまで、無理してまで、このパーティーを広げたいとは思ってはいない。仮に
満員にならなくたって(ま、ちゃんと満員になってるけど)、それぞれ想いを携えて来てくれてる人が少しでもいてくれればそれでいいです。こっち的には
十分ありがたいです。今はもうそういう段階です。週末の鬱憤を晴らすためじゃないし、ぶっちゃけ流行の音楽を聴く場でもない。そこに価値を見出した
人達同士の、小さいがどこまでも深い、別れの宴だ。ここまで、各地の一瞬一瞬が、一曲一曲が、一言一言が、いつも以上に意味深いものになってきて
ます。俺は譲れやしないこの夜だけは。別れ際、全ての街、集まってくれた皆との間には、必ずあの柔らかな名残惜しさがあったね。そして俺とダイは
それを振り切って帰ってきた。もう、あの夜から俺等は、(俺等とは、ね?)随分離れていってしまったけれど、札幌で、俺はちゃんと憶えてるから。

各地、手伝ってくれた皆、集まってくれた皆、ほんとありがとな。

PHASE 3.9ツアーもあと10本!


オンラインショップで2010年ツアーTシャツ販売中です。今回は2パターンあります。1つは表が「サイの角のように」裏が「1997年から無限大」
ヴァージョン。もう1つは胸に例の漢字を発砲プリントで入れたもの。白地へのプリントは若干薄めの青です。よろしくです。

盟友FESNの森田貴宏氏の新作DVDが何やらとんでもないことになってるらしい。早く観たい。会う人等、皆、大絶賛中。どっかのクラブで何気に画だけを
流したら、皆、魅入っちゃってパーティーになんなかったとか!


GOMAちゃんに会いに行ってきました。もう知っている人も多いと思うけど俺等の昔からの仲間、ディジュリドゥ奏者のGOMAちゃん。初めて会ったのは
もう10年前、京都の、今はなきダムダムってクラブ。そこでクラナカ達に呼ばれてライブしに行ったら、ロンドンから帰ってきたGOMAちゃんがいた。
それからもう数え切れないくらいいろんな街で会って、同じステージを分け合ってきた。GOMAちゃん自身も旅が好きで、俺がバリに遊びに行った時、偶然
会って、遊んで、そのままバリでレコーディングしたり、札幌の仲間とも良い感じで繋がったり、ハーベストムーンのレコーディングに来てもらったり、
お互いのライブを訪ねたり。良い思い出しかない。前述のクラナカやレベルファミリアの秋本君とか、あの時代を共に過ごし、生き残ってきた、偉大なる
ライバルでもあり、大切な友達。そんなGOMAちゃんが去年、交通事故に遭って、記憶の多くを失うという脳機能障害になってしまったんだ。その知らせは
結構早くから聞いてはいたんだけど、実際に会うことはできず、時間だけが過ぎていってた。その間の時間も壮絶なものだったんだろう。GOMAちゃんが
画を描き始めている、ある日、そう誰かから聞いたんだ。画?GOMAちゃんが?って感じだった。で、その画の展覧会があると聞いてウェブでその案内を
見たら、たまげたね。めっちゃ凄い画だったんだ。本当に驚いた。いきなり描いてみて、あんなの描けるなんて。あんなの観たことない!驚愕だった。
聞けば、事故当初から自分の居場所や職業、生い立ちや仲間との記憶を、全てではないにしても多くの部分を失くしてしまった事実と、実際の検査や治療に
奔走し、打ちのめされていた日々、今なお蓄積していくことが困難な、現在の、今日、その日の記憶を画で残して、それを明日の自分に知らせたいって
思って、一心不乱に描き始めたんだそう。・・・・・。何でだよ。何故、あんなに善良で、例えようがないくらい優しくて、何1つ悪いことをしていない
GOMAちゃんがそんな目に遭わなくちゃならないのか、全く解らないよ、俺には。でも、でもGOMAちゃんはそこで終わんなかった。家族や周りの仲間も
そこで終わんなかったんだ。そこからまた新しいストーリーが始まっていったんだ。これは、はっきり言って、俺等のほとんど誰もが遭遇したことのない
現在だ。過去は失われた。でも、GOMAちゃんと彼の家族、仲間は未来を、もう1度、創ろうとしている。誰かが手を差し伸べたって何かがすぐに劇的に
好転するってことではないかもしれない。勇気と根気が長い間必要になる闘いだ。俺はGOMAちゃんにどう言葉をかけていいのか、圧倒的に輝いている画を
観ながら、久々に聴くGOMAちゃんのディジュリドゥを聴きながら考えていた。演奏が終わった時、GOMAちゃんは泣いてた。そして集まった50人程の
人達に手紙を読んだ。何度も言葉に詰まりながら、あの変わらない穏やかな口調で手紙を読んだ。最後、こう言ったんだ。「皆が僕のことを忘れてしまって
いて、取り残されて独りぼっちになってたらどうしようって思ってました。」「早く良くなって社会に何か貢献したいです。」って。涙声だったがはっきり
そう言った。GOMAちゃん、今、1番GOMAちゃんが大変な時に、GOMAちゃんは周りの人に何かをしてあげたいって思っているんだね。優しい人だ。
大きな人だ。本当に、立派な人だ。自分が恥ずかしくなっちまうくらい、その言葉は響いた。しばらくたって、GOMAちゃんは目の前にいた。幸い、俺や
ダイのことは憶えていた。さっきまでの涙はそこにはなかった。それからしばらく、いつものように談笑して、これもまたいつものように別れた。不思議と
いつものように。人生は時に非情で過酷なものだ。理不尽なものだ。だが命の炎はまだ消えていない。まだ終わっちゃいない。彼と彼の家族、仲間の皆の、
希望に、俺も想いを寄せる。離れた街から、これからの道のりも、常に胸に抱いていく。同じ時間に、GOMAちゃんが闘っていることを絶対に忘れない。
独りじゃないよ。俺等、ずっと友達だよ。いつでも何でも言ってくれよ。良くなっていくことを、祈ってる。また会おうね、GOMAちゃん!



ここからは完全実録、日本のアンダーグラウンドレポート。全て1ヶ月の間に起こったことなんだよな。濃かったな。一体全部で何人に出会ったんだろう。

苫小牧。TBHでは2回目。場所は初めて行くROOTS。札幌から電車で45分くらい。乗って、弁当喰ったらもう着いてた。近いな。ダイが前日、東京での
DJで、しかも飛行機遅れてたんで、しばしZ.O.I.D行ったりしながらのんびり過ごした。で、合流してリハ。音、良い。楽しみだ。飯は前回来た時に行って
やられてしまった、てっ平にフライを喰いに行く。今回も間違いなさすぎ。苫小牧が世界に誇る名店、ここにあり。サックサクの衣、未経験なとこに連れて
かれる。しっかり喰って本番。先週の札幌でのライブがひどい灼熱だったんだけど、あれを超えるのはもう当分ないと思ってたけど、いきなりあったね。
しかも翌週に。何℃あったんだ?めっちゃ暑かったね。お客も最後までよくついてきてくれた。あれはまさに死に物狂いっしょ。泥沼やったね。最後まで
行けて良かった。皆のおかげだ。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。こっちも次々現れるヤマを超えるので精一杯だった。確かに
きつかったけど、皆がそこにいてくれたから、やり遂げることができた。故に終わってからの苫小牧の仲間との酒が旨かった。生まれ故郷の函館で古くから
聴いてくれていた仲間との久々の乾杯も最高だった。「クイーンズの奴等がNASを聴いて育ったように俺等はBOSSを聴いて育ったっす!」だって!
ありがとう。またな。皆、元気でな。サダ君、シンさん、お世話になりました。

名古屋。もう何回目かはわからん。去年のクリスマス以来。箱はクアトロ。ここはマジで言葉の解像度が高く、今までも、数々の忘れ難い夜を過ごさせて
もらってきた箱。思えばPHASE 3の全国ツアーの初日もここだった。この日はPAにサニーさん、照明に畠中さん、TBH万全の布陣。これから続いていく
終焉ツアーの、このメンバーでの最初の公演ってこともあって入念にリハを。で、名古屋でのお楽しみの鰻、ひつまぶし喰ってスタミナつける。この日は
MO'SOME TONEBENDERとの対バン。彼等とも長い間、色んな場面で音で対決してきた。いつだったかのライジングでも俺等の前にやってたり、彼等の
渋谷でのライブに呼んでもらったり。久々観たけど一段とスケールアップしてたな。でも持ち前のフリーキーな部分も残ってた。変わらず熱かったよ。
そして俺等の出番。ステージに出て行くとMO'SOMEの置いてった熱気がまだ残ってた。おっしゃ〜!名古屋の皆とのしばしの別れの宴だ。だからって
しんみりはさせねえぜ。行くとこまで連れてってやる。しょっぱなから全開でぶち当たっていった。エンディングは、マジで究極輝いていたよ。いつも
いつも名古屋の皆とは最高を更新してきたね。今回も皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。打ち上げも味仙で、MO'SOMEメンバーや
名古屋の仲間をも交えて、最高の時間だった。クアトロの皆さん、お世話になりました。和尚!いつもありがと!

山形。ここももう何回目かはわからん。ただ初めて行ったのは相当早かったよ。2000年のPHASE 1だったはずだ。あれから場所をサンディニスタに
移し、ほぼ毎年呼んでもらっている。そのサンディニスタも最初から行ってるんだけど、本当に行く度に音も良くなっていくし、そこに来ていたりこれから
来る音楽家の幅もどんどん広がっていってて、それも友達だったり、ライバルだったり、またここサンディニスタで繋がったり、山形以外でもこの箱の話に
なったり、何つーか、日本のアンダーグラウンドの1つの交差点になってるんだ。そういう箱にずっと呼んでもらっていることに、バシッと一際目立つ所に
ポスターが貼られていることに、俺は誇りを感じているぜ。去年のライブが最高だったんで今回も楽しみにしていた。リハもスムーズに終わらせ、飯だ。
この日は山形牛。ひゃっほ〜。しかも山の中の雰囲気、店の親父さん、肉のカット、全てただもんじゃない感出しまくりの店。味、究極!ゴチっした。で、
ライブ。言葉がくっきり聴こえてたね。皆のノリも素晴らしかったよ。上がり、深みで聴きこみ、また上がる。シンクロしていたね。あんな良い音で山形の
皆としばしの別れ話をさせてもらってこっちは感無量です。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。色んな土地から集まってくれてた皆と
話して、飲んで、笑ってっていつもの山形の深い時間だったね。八鍬、ばっちり。GOOOOD JOB!

新潟。ここは数えてみたら5回目。新潟の皆もちゃんと憶えてた。YES!2年ぶり、帰ってきたよ!2年前もとんでもなく盛り上がったんでね、あれを
越える気満々だった。箱は無論プラハ。しかも!この夜、俺等のライブの後のDJはNORIさん。やばすぎるブッキング。リハを終え、NORIさんと新潟の
仲間と極上すぎる海の幸をいただいて、本番。プラハはいっつも暑いからショートパンツで行こうって、で、始めてみたら、もしそれで行ってなかったら、
最後まで行けなかったかもなってくらいステージもフロアーも最凶に暑く、熱かった。一応クーラー全開だったんだけど、マジ、苫小牧は比じゃなかった。
耐え切れず逃げ出すお客、ぶっ倒れて運ばれてくお客。引くか残るかの究極のサバイバル。最後は膝ついて、お客に肩借りてラップしてたもん。お客の皆も
必死な形相。後ろ、霧で霞んでたっしょ。しかも湿気で音が変わってた。水の中にいる感じに聴こえてた。皆、ほんと最後まで聴いていてくれてありがとう
ございました。なあ、あれ乗り越えたんだったら、皆、殆どの苦難乗り越えれるぞ。問答無用で伝説決定やね。終わっても暫くは体の水分バランスってのが
変になってた。ゆっくり時間かけて復活。ビールが旨い!よし、遊ぼう!そっから朝まで、NORIさんのDJを久々がっつり満喫させてもらいました。簡単に
形容し難い、本物中の本物の伝道師の背中がそこにはあった。智也おつかれしたっ!

翌日はオフ。まだNORIさんが心の底に残していった音楽の余韻が残る中、洗濯して、細かい仕事を終わらせて、外に出る。この日は新潟まつり。仲間と
合流して、皆で河川敷へ。ここでも仲間が場所を押さえていてくれて、涼しさの中、皆で座って酒飲んで花火を観た。昨日の話や、最近の笑い話、連れて
きてた子供の話、間に花火。至福の時だった。何も不安はなかった。不安と言えば、あまりにも満たされすぎていて、この幸せが途切れてしまうことへの
贅沢な不安くらいだった。でも何も悪いことは起きなかった。皆、それぞれ持ち寄ったささやかな酒と食事で十分だった。新潟の皆のあったかい気持ちが
あったからね。他はもう何も必要じゃなかった。花火でさえ、添え物みたいなもんだった。皆、楽しかったね。ありがとう。仲間のお店をハシゴして、
旨い魚を食べて、笑って、そして、握手して、別れた。皆に出会えてほんと良かった。元気で!

東京。新宿。前入り。澄み切った新潟から来ると、いやはや、歌舞伎町は凄いね。ありとあらゆる普通なら隠されている欲望たちが全て丸出しでこっちに
迫ってくる。手招きしてくる。ちょっとこの日の俺にはそれが過剰だったんで、こんな時は中野へ。久々青葉のつけ麺喰って、ファット行って、そっから
ヘビーシックでOPSBのリハを観に行く。で、新宿戻って休む。今回のライブは異色なブッキング。毛皮のマリーズというバンドと同じ箱を分け合う。箱は
初めてのRED CLOTH。お客との距離が近そうだ。どんなことになるんだろう。PAのサニーさん、照明の畠中さんも集合。出番は俺等が先陣。ステージに
出ると、なるほど、こんな感じか。俺等目当てと彼等目当てのお客がはっきりと分かれていた。上がってる人と、探ってる感じの人。いいよ。始めよう。
与えられた時間は50分。俺等にとっては長くはない時間の間、どこまで皆の心に入り込めるか挑戦だ。結果、出来ることは全てやらせてもらいました。
後は皆の心に言葉の破片が刺さってくれてるか、そこだな。若干アウェイな空気の中、いつものようにがっつり俺等を上げてくれた皆、そして初対面でも
最後までそこにいてくれた皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。毛皮のマリーズも初めて観たんだけど、個性爆発してたね。知らない
世界を知れた時、自分の世界が少しだけ広がるね。RED CLOTH、スリルとワクワクをありがとう。

RISING SUN ROCK FESTIVAL。2年ぶり5回目。正々堂々、地元札幌から登場だ。力入ってたよ。俺等がいつも日本中のフェスでやっているライブを
愛する地元のオーディエンス、友達や仲間に観てもらう貴重な機会だからね。先月のJADEとはまた全然違う、巨大なステージ、音響、照明、それらを
1MC1DJで、細部まで操って、全てコントロールしての表現。1つの世界の中だけにいては知りえない、ジャンルの壁を越えた先にウジャウジャいる
数えきれない強者達の中で、いかに埋没せずに、どれだけ強烈な印象を残せるか、モチベーションはこれに尽きる。そして純粋に札幌、北海道の仲間に
ぶっ飛んで欲しかった。楽しんでもらいたかった。当然、PAにはサニーさん、照明の畠中さんに来てもらっていた。RSRは過去4回も良いイメージが
残ってる。やったるぜ〜!夕方スタジオに入ってしっかりリハーサルして平岸から出陣。サンステージ裏に到着。2007年、サンステージでやった時、
裏でそのステージ見てそのあまりの巨大さに一瞬ブルッときたのを憶えてる。でも今回はデカさを全然感じなかった。この3年で少しは俺等の器もデカく
なってくれたかな。楽屋エリアの賑やかさ、終えた方々のリラックスした空気を避け、すぐにステージ裏へ移動。そこでダイと静かにその時を待つ。持ち
時間は70分。目の前には5000人。柵の右側にも人が沢山いる。最初から皆、上がってたね。待っててくれてありがとう。楽しもう。70分あれば
上げるだけじゃなく、深みへ誘い込むことも可能だった。あの時間は深かった。そしてそこから、人生の悲哀や深み、ある種の限界を知ってから、皆で
再び、想いの破片を拾い集めて前よりも高く飛ぶ。そしてその最高地点でパッと散り、別れる。ずっとイメージはしていたが、実際にステージから見れた
景色は半端なかったよ!ずーっと向こうまで、皆の前向きな気持ちが、ぶっちぎりで輝きまくってたよ!あの景色を見たいがために、ずーっと練習して
きたんだ。ずーっとラップしてた。それが報われる瞬間でした。もちろん、俺等は取るべくして取るつもりだったし、その通りに取った。ごちそうさま。
皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。RSR、間違いない楽しさでした。終わってから、続々集まって来る皆と乾杯を重ね、で、直後の
EGO-WRAPPIN'でがっつりぶっ飛ばされ、その余韻のまま、ホーム、フィルモアノースのダンスフロアーまで帰ってきた。そこで疲れと達成感と共に、
なんと更に上の、天上の世界を垣間見て(あったね〜)、ゆっくりと着陸してました。DAVIDさん、う〜ん、とんでもない。とんでもなさすぎる。聴けば
聴くほど、どんだけとんでもないかがほんの少しずつ解ってくる。最後の最後にあんな人が控えている札幌アンダーグラウンドに生きて、底で、あんな
ライブの後にも学べて、また知らないことを知って、成長できて、幸せだ。

京都。今年4月以来。THA BLUE HERBの勝手に第2の故郷。1999年の秋以来、あの愛するオーディエンスに何度も何度も迎えてもらい、頂点を更新
してきた。大事な別れの宴だ。想いはたっぷり詰まっていた。しかもこの日、俺等のライブの後はCALMさんのDJ。楽しくなるぞ〜。その前にしっかり
リハ。サニーさん、畠中さんにも来てもらってて、現時点でのベストのセット。箱はWORLD。昔、もういつだったか憶えてないけど、ポンの周年で皆で
音を出して大騒ぎして遊んだとこ。木屋町でライブなんて久々だ。激ウマのイタリアンをゴチになって、会場へ。しっかし入ってたね。何と700人超え。
ヤバいね、京都。おっしゃ〜やるか!いつものことながら初っ端からこっちもお客もテンション高っ。上がりっぱなしでしたね。昼間の暑さとクーラーの
繰り返しでちょっと体調ヤバかったんだけど、1発で治ったわ。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。無論全ての街が、俺等にとって
等しく特別ですが、京都の皆、ほんといつもありがとう。上げてくれてありがとう。上がりました。皆も上がってたね。音響的に良くない瞬間とかもあった
けど、余裕で上がりの方が勝ってたね。圧勝やった。終わってからもノリは全然続いてて、そりゃあ沢山の友達と、あっち行ってこっち行ってって遊んで
楽しかった!久々7時過ぎにポンまで行っちゃったもんな。皆、元気で!また遊ぼうな。

翌日はオフだったんで、すぐ起きて、いつもの京都のオフの過ごし方。南禅寺行って、哲学の道歩いて、ポン行ってって流れ。それから今回のパーティーの
主催のウメちゃんやCALMさんチームと合流、旨い夕食を皆で食べた。びっくりするくらい旨かった。やはり京都、奥深いね。今回は龍門行けんかったな。
ウメちゃん、ゆうたろう、ありがとう。色々御苦労さんでした!

佐賀。47都道府県制覇の旅、46番目の地。しかもこの日は野外。出演も各ジャンルから出てて、こっちもかなり楽しみにしていた。京都を朝9時半に
出て、ダイとサニーさんと一路西へ向かう。博多で降りて、そこから迎えの車で佐賀に向かったんだけど、もう普通に駅の駐車場の時点で暑さ、シャレに
なってなかった。こんなんで野外って、お客大丈夫?ってくらいの灼熱だった。着くと、やはり多くのお客が木陰でダウン。そりゃそうだわな。暑いもん。
でも、ライブは行われてて、ちょうどKEYCOの出番だった。初見でしたが、プロの仕事を見たね。頭上からがっつり照りつけまくる太陽の下、それでも
集まって来ていたお客と、まるで天国のような光景を作り出していたよ。マジ素晴らしかったっす。その後もプログラムは続き、沖縄以来のOLIVE OILや、
去年の名古屋以来の向井君とかと談笑。で、我等の出番。日は陰り、雨が軽く降る中での登場。佐賀の皆との記念すべき最初のコンタクト。時間は俺等に
しては短い50分。だから最初から最後まで一気に飛ばした。MCも極力減らし、核心のみをラップしていく。皆、最後まで聴いていてくれてありがとう
ございました。良い初対面になった。野外独特の開放感の中、笑顔で迎えてくれて感謝です。終わってからも会場の雰囲気を楽しんで、友達やその日友達に
なった人、皆で音楽に浸かって、まさにNICE TIMEでした。スタッフさん、おーじろう、お疲れさま!

横浜。ここはPHASE 3になってから初めて訪れた街。しかしPHASE 3の間に4回も呼んでもらってる。ありがたい。しかも毎回頂点極めてる。ZAIMUの
KAIKOO、去年のTURTLE ISLANDとの激戦、マジでこっちも色んなもんもらってる街。前入り。天気良い。しかも海風で夕方以降は結構涼しいね。中華街
行ったり、根木ちゃんに野毛案内してもらったり、良い休日を過ごしました。ライブはサイプレス上野とロベルト吉野とのツーマン。知ってるかな?良い曲
沢山あるよ。しかもお互いに1MC1DJでのライブ。最近色んな現場で会ったりしてマイク1本でのライブならではの話もよくする。先頭はサ上とロ吉。
好きな曲も沢山やってた。良かったぜ。ZZの面々もいてこっちも上がりました。さあ俺等の出番だ。スカッとやり遂げた顔してるサ上と握手してステージ
に出て行く。そっから100分。怒涛やったね。こっちも聴かせられっぱなしってわけにはいかねえからさ、ガッツリやらせてもらったよ。これは勝ち負け
じゃない、大事な横浜の皆との別れの宴だ。1度限りの時間が流れていく。しっかし盛り上がりまくったね。ずっと沸点超えてた。やっててこっちも時間を
忘れるくらい楽しかったです。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。俺等とサ上とロ吉、スタイルの違う2組でも、楽しみまくってる
皆のおかげで良い夜になりました。恒例の中華街での打ち上げも楽しかった。吉野君お疲れした!

東京。リキッドルーム。2月のラフィンとの邂逅以来の帰還。この日は最高に意味深かった。何かが再び始まるかもって思えた夜。出演は全てラッパー。
再会あり、初対面あり、俺等にとっても色々な因縁が絡んでる面子。リハの段階から緊張感が漂ってたよ。俺等は無論ベストを尽くした。凄かったね〜。
皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。全てが終わった今思えば、皆、見事にスタイルが違ってた。観れた限りでは全員違ってた。違った
上に完成されてた。しかもね、それぞれの違うスタイルを観ても、真似しようとも思わないし、真似できるとも思わないんだな。ってかできないんだよ。
皆、ルーキーじゃない。それぞれがそれぞれのスタイルと長い間生きてきた。今更、他の事はできないし、やろうとも思わない。迷いがないんだな。遂に
そういうとこまで来たんだ。日本のヒップホップも。自分と違う他人のスタイルをどう据えるか、貶すのか、尊重するのか。無論、好き嫌いはある。これは
しょうがない。自分の理解を超えたスタイルもある。そんなのお互い様だ。でもそれを貶すのか、尊重するのか。これは大きな違いだ。他人のスタイルを、
自分とは産まれも育ちも違う別の人格である他人のスタイルを、あれこれ口を出すことの不毛さに、いい加減さ、俺も含め、皆、気付き始めてんだよな。
意味ねえもん。決めんのはお客さんだもん。それでいいっしょ。後は各自が自分のスタイルをベストな状態で観てもらうことに心血を注ぐべきなんだ。
長い間、多くの争い、過ちや試行錯誤を繰り返して、実はそう皆が思い始めてんだよね。別に皆にそう思えって言ってんじゃないよ。自分で気付かないと
意味がないからね。しかもそれはある一定のレベルを超えた後の話だ。もちろんオリジナルであった上で、更に高いレベルでの話だ。その日のリキッドは、
表舞台も、バックステージもそんな安定したバイブスがあった。皆、ほんとあのエゴの泥沼を生き残って上がってきたラッパーなのに、(俺も含め)マジで
謙虚だった。まずちゃんと自分が何者かを話し、握手し、今日を楽しもうって言い合ってたよ。本当だよ。何ていうかバランスが保たれていた。そして皆、
自分のやることだけに集中してた。で、ステージに出て、そのそれぞれがそれしか持っていない自分のスタイルを炸裂させていた。それだけしかなかった。
妬みもひがみも、いざこざもなかった。皆、プロに徹してそれぞれのスタイルを貫いた。それを観れただけで十分だ。誰がどうとか、優劣を口にする気は
ない。後は、実際に足を運んでお金を支払ったお客が、それぞれ映った感想を言えばいい。それも人の数だけあるだろうし。こっちは皆が送り手だからね。
とにかく!良い日だったな。楽しかったよ。ドリームマッチとはよく言ったもんで、思い返せば、そして昔を思えば、多くのラッパーと、まるで夢の中の
出来事のようなエピソードが沢山あった。もっと早かったら、また何か違う未来になってたかもね。ちゃんとその価値を理解している、独立して、公平で
成熟したメディアがあれば、あの日のことは永く残されただろうけど、ま、今のヒップホップ、そういうのは滅んじまってるから、あの場にいた皆で、あの
ポジティブなヒップホップを広げていくしかない。でも遅くない。俺は観て聴いてきた。今もヒップホップは熱いぜ!東田、三船君!お疲れ!ありがとう!


もう1回言わせてください。

PHASE 3.9ツアーもあと10本!

我等THA BLUE HERB、1999年5月2日東京、六本木コア、北海道以外での最初のライブから、足かけ11年。この国のヒップホップでは初となる、
47都道府県制覇まで、いよいよあと1県!おっしゃ〜!山梨を代表しているクルーSTILLICHIMIYAの力をお借りして、山梨県甲府市で1つの区切りを
迎えるのです。だからといって当日、特別なことは何もないです。いつもやってきた通りの1MC1DJのライブです。お近くの皆さん、是非お越し下さい!

来月の今頃はもうPHASE 3のライブのほとんどが終わっていることだろう。ここが正念場。各所、その時に感謝し、一生懸命やらせていただきます。

健康で。

ILL-B