2012.3.11特別声明  ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB)


あれから1年が経った。

今日まで、俺自身40年間生きてきて多くの事件事象に遭遇してきた。まだ函館の郊外で野球ばかりやっていた子供の頃に起きたチェルノブイリ
の事故。当時まだ実感できない遠い国から、汚染された透明な空気がここまで飛来してくるという話もまた実感できなかった事を憶えている。
ベルリンの壁が崩れた時や天安門事件や世界各国で起こった自然災害、今思い出してもそれらはやはりテレビや新聞の中での出来事であって、
自分の肌で感じた事ではなかった。でもアメリカ同時多発テロが起こった2001年9月11日に俺はニューヨークにいた。イーストリバーを間に
挟んだクイーンズにいたけれど、崩れ落ちたビルの粉塵が混ざった街の空気、その延長に広大に存在するアメリカという国の空気を吸い、その
重大性や恐怖、先の見えない不安を全身で感じていた。周りのアメリカ人も皆、無論俺以上の重大性や恐怖、先の見えない不安を持っていた。
そこは共有できていた、と思う。でもあと2つの感情をも彼等彼女等は共有していた(ように見えた)。怒りと憎しみだった。確かにそれには
抗えないとも思う。肉親や友人、知人、あの街では誰もが犠牲になった誰かと繋がっていたはずで、普通に晴れ渡った普通の日に、いきなり
あんな事をされれば誰だって怒り、憎むはずだ。そこにいた俺は、そこにいたのに一種の疎外感を感じていた。皆が路上に出て「USA! USA!」
と連呼する様を見て複雑な思いを抱え部屋に帰ったのを憶えている。ここで言いたいのは誰が正しくて誰が間違っているかって事じゃなくて、
俺自身、少年野球や学校、バンド仲間や札幌の友人達といった範囲を超えて、もっと大きな数えきれない多くの人達と同じ問題を抱え、苦難を
共有して、解決に向かって立ち向かった経験がなかった、という事。THA BLUE HERBという3人、それを支えてくれている仲間、そして全ての
オーディエンス、それらは確かに同じ目標に向かって進んではいるが、ここで言っているのはもっともっと大きな範囲、大きな問題についてで
あって、それは最早ラッパーだとかじゃなくて、そう、言うなれば日本人っていう意識で考えるべき事。そういう意識で何かを考えた記憶が
なかったんだ。サッカーや野球で日本が勝った時の高揚感は感じてはいたけれど、皆と一緒の事をあえて俺はやりたくないとか、群れなくては
何もできない奴にはなりたくないとか思っていたし、国のために団結するとかなんて、はっきり言って胡散臭く思っていた。

そうするべきと声を大に言いたいわけじゃないよ。大きな事を話してるけれど、これはそれを構成している一個人の話だ。あの日起こった事、
そしてあの日以降起こった事は俺個人の意識を大きく変えるきっかけになった。1年目の節目だという事で多くの特別番組を観ていたけれど、
あの波の映像には今も言葉を失ってしまう。出るのはため息ばかり。1年前に自分の心を支配していた無力感がまた蘇ってくるかのようだ。
あの場にいた方々、愛する人を亡くされた方々を想うと、失われた命が本当に悔まれる。理不尽すぎる。復興だとか、支援だとか、お金や物資は
後から継ぎ足されるけれど、悲しみの根っこの部分は何年かかれば和らぐのだろう。それぞれの心に平穏の時が訪れる事をいつも願っています。
生き残った命をどうか大事に、発展的で実りのある人生を、焦らず、急がず、励まし合い、共に生きていきましょう。いつも想っています。
NBC作戦を通してTBHRからお米を送らせてもらってきましたが、1人の人間としてこの先もできる事をやっていきたいと思っています。

天災は本当に思いがけずやって来る。方向も時期もいつも唐突だ。人は備える事はできても、止める事はできない。それを予知する事はできて
も、やはり止める事はできない。起こってしまったらただただ過ぎ去るのを待つだけ。今回の震災から得た教訓は多い。人とは小さく弱く、人の
社会とは不安定で、今とは脆いものだ。しかももう2度と起こらないという保証はない。が故に、自分達人間の非力を自覚して、自然を畏れると
いう事は、この国のずっと昔からの営みの一部であって、豊かさや繁栄の名の下に、科学や文明がそれを忘れさせたり、操作できると思わせたり
してきたおかげで忘れていたんだ。それは俺等は誰もが元々持っていた心情なんだ。だから根本部分に戻るだけの事。だからそれ自体は難しい
事ではない。きっとDNAレベルで誰の中にもある事だと思う。ただ、今回の震災とその後が文字通りどうしようもなく厄介なのは、この震災が
最初は天災から始まったが、1つだけ俺等人間が産み出した災いを連れてきたという事。そう、皆知ってる。それは原子力発電所。こうなった
以上、もう昔には戻れない。決断を迫られているんだ。それぞれがそれぞれの自由な決断を。この先がどうなっていくのかは誰にも解らない。
どの情報が正確なのかもはっきりしない。だから俺も含め誰の意見が正解なのかっていう段階じゃない。だからこそそれぞれが意見を出し合う
べきだと思う。それはそれぞれのペースで大丈夫。先に話せば良いってわけじゃない。1年やそこらで答えが出るって問題じゃない。まず今日は
俺から話そう。黙ってたらいなかった事に、ここでの場合賛成したって事になってしまう。これから書くのは俺という一市民の持つ意見です。
何度も言うがこれが正解だとかじゃなくて、俺個人の意見です。しかもそれはまだ構築中です。俺は自分の意見を聞いて欲しいと思っている。
だから同時に人の意見、更に言えば反対の意見も聞かなくてはならないと思っている。その中で自分の意見を磨いていきたいと思っている。

俺は昔も今も原発には反対です。ただ昔と今では気持ちの種類がちょっと違う。昔は観念的にっていうか、原爆の歴史もあって原子力ってものに
対してアレルギー的に反対だった。それが当然だと思っていた。誰もがそう思っていると、ぼんやりとある種共有している気になっていた。大体
賛成の人なんているの?って思っていた。ただそれはそう思っていただけの話。人にも話した事もなかったし、そんな必要も感じていなかった。
そして同時に反対とは思っていながら普通に便利を享受して生活していたし、もっと言えば事故が起こるなんて夢にも思っていなかった。その
当時から真実に気付いて、実際に行動していた人には心から敬意を捧げる。俺は遅かった。でもまだ遅くはないと思ってもいる。そう、知った。
もうダメだ。あれはダメだよ。自然や畑や家畜や家族との愛に満ちた生活から一瞬で追い出されて、下手したら一生帰れないなんて、本当に酷い
話だ。避難したって、避難先のアパートのコンクリートからも放射線が出てる。表面の土取ったって捨てる場所なんかない。行き場のない家族が
一杯いる。屋根洗ったって水は地面に流れてく。現在格納容器の中がどうなってるのかなんて誰にも解らない。緊急マニュアルなんて何にも役に
立たない。全部めちゃくちゃだよ。今となっては一度ぶっ壊れてしまった後の被害の規模、それを思うと観念的にとかじゃなくて、現実の問題と
してあり得ない。あと1回起こればこの国は終わる。たった1回で全て終わる。そんなものをあり得ない金額で維持して、修理してなんて、一体
何故成り立ってるんだろう?何故だろう?それをずっと考えていた。だってあんな事故、その後の避難や汚染や除染を見ていたら、誰だって反対
すると思う。これは上で述べた、以前思っていた観念的な心情とは違って、現に隠し切れない事実として皆がこの1年間見せつけられ、知って
きた。何が普通かなんて俺などには言い切れないけれど、あえて言わせてもらえば普通に反対すると思う。でも何故、今もなくならずにそれらは
あって、そして何気にうやむやになってなくなりそうもないのか?どうすればなくなるの?普通に原発の敷地に入っただけで逮捕されてしまう。
俺等の権利であり味方であるはずの法律がこの場合向こうを守る役目を果たすんだ。あっちがあれだけの事件を起こしたって、法律違反はこっち
だって事になってしまう。それが法治国家だ。維持するのにも税金、除染も税金。金が惜しいって言ってるんじゃなくて、それも法律で決められ
ているって事を言いたいんだ。それが今住んでいる法治国家。原発ですら、事故を起こした後ですら、法律で存在が認められ、保護されているんだ。
じゃあ法律を変えれば良い。確かにその通り、それが1番良い。でも、実際に法律を変える役目を負った、俺等それぞれが託したって事に
なってる(選挙に行かなくたって、自動的に法律ではそうなってるんだよ)あの政治家連中を信じられる?一体その中の誰を信じれば良いんだ?
教えて欲しい。法律を変えられる数もいるの?だってさ、そもそも国策扱いで今まで原発を建てまくってきたのは他でもない奴等なんだぜ。
今の民主党内閣の中で誰か1人でもはっきり原発反対って言ってる人いる?ましてや民主党の原発事故対応をあれこれ批判している自民党が、
建てたようなもんなんだぜ。本当に福島の人達の事を、日本の未来を担う子供達の事を心から考えているって政治家、誰?知ってたら教えてよ。
いい歳した爺さん達がさ、もう本人達は十分儲かってんのに、一生喰うに困らねえのに、地獄には金なんて持って行けっこないのに、この期に
及んでも、しつこく、意地汚く国会に居座り続けたいっていう本心が丸見えで、どいつもこいつも談合、密談、数合わせして邪悪に笑ってる。
まったくもって本当に厄介な問題なんだ、原発と選挙ってのは。実際今原発がある町や村だって、確かに詐欺まがいのうまい話が山ほどあった
だろうし、裏では暴力や脅しもあっただろうけれど、誘致した町長なり村長なり、皆選挙で選ばれたんだ。無論すでにちゃんと全てが見えてて、
反対票を投じた人もいたはずだけど、多数決で、推進したい首長が選ばれればそれまで。残念ながらそれが民意ってやつだ。結局は騙されたよう
なものだと今から言ったって、既にそこに建っている原発を今からどうこうする事はとても難しい。しかも事故が起きて、故郷をいきなり追い
出されるのは原発じゃなくてその選んだとされる住人なんだ。糞みたいな道理だ。正義なんてどこにもない。狂ってる。でもね、それがこの国の
システム。合法的にそういう社会が作られて、今、ほぼ完全な形で機能しているんだ。全ての可能性を否定はしないけれど、この日本って国では
リビアみたいに皆で団結して暴力で政権を倒すなんて事はまず不可能。じゃあどうすれば良いんだろう。こうしてる間にも、火力発電でお金が
かかるからって電気料金が値上げされ、払わなかったらさくっと電気止められてしまう。あんな前代未聞な事件をやらかした会社が、何と1年
経ってもなくならずに、誰も法的に追及もされずに存在している事実は、俺にこう気付かせる。俺等は自由に見えて、実は支配されている。

どうしようか?

理想論ならいくらでも話せる。勇敢に闘っている気分で陶酔してたって何も変わりはしないんだ。現実に、本気で、冷静に、粛々と、俺は原発を
どうにかすべきだと考える。同時にそれには長い時間がかかると考える。事態は切迫してはいる。それは知っている。でも時間は絶対かかる。
俺はね、国や国会議員や役所や電力会社を責め立てる事も必要だけれど(無論、犯した罪は問われるべきだし、最終的な決定権は歯がゆい事
だが奴等が握っている)、俺、君、私達が変わらなくてはならないと思うんだ。世界でもこんなに明るくて、スイッチ1つで寒暖自在で、最高
便利な国はこの地球上どこにもない。この国に当時新しい豊かさのモデルを教えたアメリカだって、すでに貧富の差が絶望的で、全員が豊かさを
享受してるとは言えない。このまま行ったら日本もああなる。で、他のアジアの国に行ったら俺等は一日1000円で普通の生活ができるくらい、
つまりは日本は豊かだ。じゃあヨーロッパ行ってみれば、夜なんて大都市でも真っ暗だし、日曜日には多くの人が休む。もちろん全員とは言わ
ないけれど、物質的な豊かさ一辺倒の生活からすでに抜け始めている人も多い。(ヨーロッパ諸国は元々は世界中から搾取を重ねた結果、今の
安定を、今の心理的な高みを手に入れているわけだから、罪深い存在である事は確かだ。でもその事には今は触れない)そして今言った世界の
どこにも原発はある。資本主義経済である事はどこも同じだから、貨幣で買える豊かさを追求していく行動原理も同じだ。コストを抑え、利潤を
増やすという思想、これが基本。でもさ、日本、もう、十分豊かでしょ。日本、豊かだよ。普通に殆どの家に洗濯機あるっしょ。日本中どこに
行っても電気、ガス、水道、ばっちりでしょ。道路も線路も航路も空路もばっちり。いい国だよ。本当1945年の焼け野原からさ、ここまでよく
やったよ。明治維新以後、たった150年にも満たない期間で、しかも敗戦挟んで資本主義をここまで極めたのは見事だ。本当に素晴らしいよ。
日本格好いい。で、どこまで行くの?もういくね?社会主義や共産主義にしようって言ってるんじゃないよ。俺が言いたいのはさ、俺の考えた
言葉じゃないけれど、言わせてもらうよ。「足るを知れ」って事。たかだか長くて100年だ、生きられるの。時間はすぐに過ぎ去っていくんだ。
あれ買え、これ買えって言われて、買わなくてはならない雰囲気に追い立てられて、あくせくあくせく働いて、物質的豊かさを与えてくれる
システムに上納するだけの人生からは、もう脱出するべきだと思う。ここが全ての出発点。原発をなくするために、その分燃料を燃やして同じ
量の電気を作るなんて馬鹿げてるし、では環境に無害な風力発電を作るって言ったって、今の原発の発電量分全てを生み出せる風車って一体
いくつ作ればいいんだ?だから原発が1番効率的なんだって推進する人達は言うけれど、そこが巧妙なトリックなんであって、今の、この1度
減速すれば全てお終いだよって脅迫されてるような、消費社会を維持しようっていう前提こそが、ここで俺が言う出発点とは違っているんだ。
根本的に異なる出発点から議論が始まっている。俺等が皆、「足るを知って」、今よりもほんの少しだけ(皆集まればそれは少しにはならない)
歩いたり、待ったり、不便とされる事を受け入れていって、「悪いけど、そんなに電気作んなくてもいいよ」って奴等に言ってやれれば、無論
奴等もあの手この手で負けじと便利をプレゼンしてくるだろうけれど、「いやいや、親切にどうも。でも大丈夫だって」って言ってやれればさ、
それを何十年も続ければ、どっちが諦めるかの長い長い闘争だけれど、その頃には歩いてる最中に風を感じたり景色のいい道を見つけたり、皆で
急がすだけから、少しだけゆっくりした生活を手にしているようなイメージが見えるんだよなあ。理想論に聞こえるかい?夢想主義と呼ぶかい?
俺は大真面目だよ。日本中のどこに行っても、駅出てみれば、駅ビル、スタバ、コンビニ。どこも同じ。どこに来たか分からなくなる時がある。
商店街は廃れてて、郊外にはショッピングモール。どこも同じ。皆、早くて、安くて、簡単な事を追及してたら、日本中が、味気ない同じ景色に
なってしまった。俺は携帯持ってないけれど世界から取り残されているなんて思った事はない。車も持っていないけれど一カ所に閉じこもってる
なんて思った事もない。レコードは重いけれど音楽からは豊かさを十二分に感じられている。もちろん、暖房も使うし、クーラーもありがたい。
山に籠って畑耕して自給自足してるわけじゃない。言いたいのは、暑さ寒さの加減ってやつだよ。つまりは「足るを知る」って事。聞いてくれ。
俺等はさ、新しい世代なんだよ。君も。皆がこの日本を引っ張っていく新しい世代なの。戦後に産まれて、便利さに生きて、教育も与えられて、
当たり前に男女平等で、やがて祖国の没落の過程を生きて、インターネットで世界を理解し連帯して、そして、3.11を経験して、そして俺等
次第で将来の子供達の生活がどうなるか、判断を、天に託された世代だったんだよ。全く新しい価値観で、経済最優先の因習などに囚われない、
先見性を身につけた、これからの日本を引っ張っていく特別な世代なんだよ!俺等がそうだったんだ。未来は?そう!俺等の手の中なんだよ!


長文、ここまで読んでくれてありがとうございます。俺は味方が欲しいわけじゃない。良く思われたくて書いたんじゃない。ましてや俺の意見が
完璧だとも思ってはいない。先に言ったように長い時間を必要とする難題なんだ。一市民の意見です。でもこうやって書いたり、口にしたり
する事によって、単なる内気な内なる思考は、活発な外なるメッセージに姿を変える。常に探求。完成までの過程。一生解らないかもしれない。
したけりゃ冷笑してもいい。異なる意見もばっちり。言葉たった1個拾ってあれこれ言うのも構わない。それが君のやるべき事ならやればいい。
自由。反対、賛成、全廃、推進、民主、自民、アメリカ、中国、チベット。君がどれを選ぶかも君自身の自由だ。君の人生は君の思想で鮮やかに
彩るのだ。ただ、学ぶ事、考え、自分の意見を養う事を、それを自らの言葉で人に伝える力を手に入れる事を諦めてはならない。そしてこの国の
退廃を見つめなくてはならない。歴史を公平に見据え、何故こうなったのかを自分の事の様に考えなくてはならない。それが悲惨で怨嗟に満ちて
いても事実を恐れてはならない。がっかりしたり、裏切られても、今は今、受け入れ、そしてそれを次の世代に伝える義務を自覚しなくてはなら
ない。言葉で、音楽や詩や諸々の特技で、伝える事の難しさ、危うさを知り、傷つけ、傷つき、それでも伝える事に挑戦しなくてはならない。
どうせ皆すぐにいなくなる。命の輝きは色褪せて暗くなる。毎日大変なのは皆同じ、俺等が爺さん、婆さんになった時、人の助けが必要になった
時、その後に残ったこの国の人々に恨まれて、今日の選択の大間違いを犯した世代だと、バカにされ軽蔑されないように、そして尊厳を持って
いられるように、何よりこの国の皆が幸せに笑っていられるように、学び、答えを見つけていければ、と思う。目醒めよ。ありがとう。