ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2015.04

4月。

そちらは暖かくなってきてますか?

賛成、反対、人の数だけある未来。行使するのは権利、というよりは当然の義務だよ。選挙行こうぜ。


2月から旅に出てました。先月ここで話した通り、極寒のニューヨークに2週間滞在して、そこから俺自身、初と
なるメキシコ行ってました。ニューヨークがマジで何も出来ないくらいの寒さだったので、いきなりそこは半袖の
国で、しかも物価もノリもかなり緩くて、まるで一気に毛穴が開くような感覚でした。行く前からニューヨークの
友人達にメキシコでの旅の難しさを聞かされていたし、実際にアメリカとの国境付近での治安の悪さも知っていたし、
エリアこそ全然違うけれど中東での凄惨な事件の事などもあって、正直、相当ビビっていたのは事実です。この
タイミングでメキシコを訪れる事の価値とリスクをニューヨークにいる間、常に計っていました。しかし、そんな
俺の心配が実際に現れる事はなく、会う人会う人、それこそ地下鉄やバスの中、飯屋や屋台、場末のバーや路上、
果てはプロレス会場に至るまで、本当に人の親切に触れる機会ばかりでした。偶然か、幸運か、悪人には1人も
会わず、むしろそういう目で人やメキシコ自体を見ていた自分の心の小ささを痛感してばかりでした。俺1人が
見て聞いて感じた事がここでは全てなのを前提として言ってますが、メキシコ、気候、街、飯、酒、そして何より
人、全てが最高でした。これ程までにストレスを感じずに旅を続けられた国は中々ない。何度も言いますが、俺が
たまたまラッキーだっただけかもしれない。どこかで誰かがこっちを見ていたかもしれない。たった2週間の滞在で
断定出来る事など何もないかもしれない。でも、それでも、特に情報が大量に光の速さで駆け巡っている今日の
世界、その一端を理解したければ、外に出なくてはならない。実際に体を運ばなくてはならない。そして、そこ
には、良かれ悪かれ、それら情報とは全く違う生々しい現実が待っている。これが、俺がメキシコで得た教訓だ。

そこから再びアメリカに入ってニューオリンズに行ってきました。俺はアメリカはニューヨークしか行った事がない。
いきなりの南部。知っている事はジャズの起源であるという事くらい。滞在日数も少なかったし、ここでは連日連夜
ジャズを聴きに行ってました。ジャズの街と銘打ってはいるけれど、実際はあらゆる音楽が鳴っていた。でもそれは
ニューヨークのようなラジオやクラブで鳴る音楽ではなく、道端で鳴っていた。昼も夜も鳴っていた。ジャンルも
何でもあり。結局、そこは音楽を媒介にした一大歓楽街であって、ニューヨークでは考えられない事だけど、酒を
片手に道をブラブラ出来るし、店内でタバコも吸える。老若男女、アメリカ中から来た人達が、昼間はのんびり、
夜はハチャメチャにハメを外しまくっていた。だから音楽も、どっちかというと所謂EDMと呼ばれるものも爆音で
鳴ってて、その反面、硬派にジャズで勝負してる店は意外と多くはなかった。でもちゃんと探せばあった。ど渋な
店はちゃんとあった。音の大きさよりも、ミュートされた音で感情を表す、足し算よりも引き算で空間を支配する
鳥肌モノのジャズマンが沢山いた。演奏、それが合奏からソロへと移り、テクニックはもちろん、自分のパートが
来る前、終わった後の立ち振る舞いが本当にぶっちぎりでイカしてた。バンド間のメンバーの間に流れる隠しようも
ないそれぞれの我のぶつかり合い、せめぎ合いが、シリアスで、ただただ圧倒された。名前も知らないジャズマン。
何百回、何千回目のソロパート。からかうように見ていたお客や通りかかったお客も誰一人何も言えずに黙って
それの行く末を追ってる。そこで動いているのは鍵盤の上の10本の指だけ。自分が今、この空間を完全にロック
している事を絶対に知っているその、恐らく70歳を超えているであろうピアニストはスパッと全員をぶった斬った。
何百回、何千回目の喝采。凄いね。俺は俺が同じ音楽をやっている事すら忘れていたよ。俺はそこまで行けるかな。

そこからニューヨークへ帰還。寒さは緩み、春の気配も感じながらの日々。ダンスフロアは相変わらずメルティング。
表現の渦。潮騒が立ち現れてはぶつかって溶け入るような個性と個性の調和。心と心の絶妙な距離感。見ていない
ようでちゃんと見ている、見ててくれている、皆が肌の色も出自も違うからこその気の配り方。本当に洗練されてる。
そんな場所では、いつだって日本人が良い仕事をしてる。時にDJとしてばっちり統括してる。もうそれが日本人と
かってよりも、誰が回してるとか関係ない境地にジャンキーをトバしまくってる。パーティーを実際に仕切ったり、
支えたり、その丁寧さ、誠実さが大舞台で信頼されている。俺はダンスフロアから時折、そんな友人達を見ていた。
誇らしいってのとはまた全然違う。悔しさとも違う。何というか、俺も俺という人間を知ってもらうためには俺が
何をすれば良いのかを考えていたんだ。自分に与えられた役割というか、俺に貢献出来る事とは何かを考えていた。
そして実際にそう行動していた。日本でもニューヨークでも、それが音楽でも、正社員でも、バイトでも、修行中の
板前でも、美容師でも、それぞれの選んだ生き様貫き、犠牲を厭わずに今を頑張ってる友人達に俺は出会えている。
昨日の笑いを動力に、眠い目こすって出勤する。下っ端でもいつかきっと、と上を見て。とっておきの一手を磨いて。
俺は見てるよ。そういう人に認めてもらいたい、俺もそう願って頑張れてる。ありがとう。また会う日まで元気で。

近々EARTH PHOTOに旅写真をアップしておきます。


冬は終わった。芽生えの時。旅のインプットがどれ程のものだったのかは、ペンを持てば自ずと解る。その時は来る。
昔の話はCDやDVDに残してきた。やり直しは出来ない。吐いた唾は飲みません。否定も肯定も聴き手に委ねてる。
歴史上のラッパーじゃない。そんな大層なもんじゃない。まだ生きている。今、何を考えているかで生きている。
こうしたいな、こう生きてみたいな、20代、30代、40代に渡ってその都度見えてる事をラップしてきた。怒ったり、
憎んだり、傷つけたり傷ついたり、勢いだけで前のめりになったり。色々あった。人生が200年なら、俺などはまだ
始まったばかりだけど、現実はそうじゃない。進んできたこの道を進んでいくしかない。この頭の中の想いを言葉に
変えて、声に出して録音して、アルバムを完成させたら、また俺はド派手に蘇る。誰も俺の事なんて知らない。隠し
持ってる野望の事も。俺はやってやってやりまくってここまで来たんだぜ。AVE.Bのコインランドリー、イマココ。

春だ。ハッスルしていこう。

ILL-B