MESSAGE FROM BOSS
2008.6.1(#2)
その間もライブの練習は続いていた。そして初上陸岡山。今まで何度もブッキングがありながらも、タイミングが合わなく泣く泣く来れなかった街。気合いが入ってたぜえ。まずは飯って事で、岡山ならではのが食べたいとの、俺等のリクエストから連れてってもらったのは「やまと」という一軒の洋食屋らしき店。そこのラーメンはキ・テ・タ。ひっさびさに撃たれたね、味に。デミグラスソースがかかってるカツ丼(?)も最高の旨さ。参ったねこりゃ、降参だ。箱はそこからすぐのライブハウス。音もばっちりだぜ。今回サポートしてくれたHANABISとも握手。水戸以来。仲間も皆、いいヴァイブス。俺等のライブ、そしてこの日のパーティーに対する気合いの程が、言葉を介さずとも伝わってくる。本番が楽しみだ。で、本番。ステージからの景色はとても初めて来る街とは思えない程、しょっぱなからフロアーは大爆発。そのまま、輝ける、素晴らしい雰囲気のまま2時間はあっという間に過ぎ去った。
いやー楽しかったな〜。ありがとうございます。初めての街は、ステージ、客席共に、お互いの緊張感がまず支配しがちな事が多いのだが、まるでずっと昔からの付き合いがあるかの様なシンクロっぷりでした。勇気をもらいました。こっち側もやっていて最高に楽しかったです。特に俺自身、ライブを観て欲しかった沢山の岡山の顔役達も心開いて、観に来てくれてて、俺も心から感謝です。終演後、軽く飯を喰ってから向かったアフターパーティーでは、またもや刃頭がスピン中。久々爆音で「KNOW THE LEDGE」!!!
俺は結構疲れ気味で、さくっと引き上げたんだけどダイが残ってて、彼、ずーいぶん飲んでたらしいです。翌日、彼、最高具合が悪そうで笑えました。ダイ共々世話になりました。岡山との良いスタートになった。岡山から発せられる音、楽しみにしています。
そして翌週、再び俺等は新千歳空港にいた。次なる目的地は福島県、いわき市。福島市は以前1度呼んでもらった事があるんだけど、いわき市は初上陸でした。この街には俺等少なからず縁がありまして、さかのぼる事1999年のあの六本木コアでの夜(俺等が初めて札幌以外でライブをした夜)、今の俺等のライブとは違い、誰も俺等のライブを観た事がない状況の中(いや、KRUSHさんは観た事があった。)少ない情報を手に入れた、アンテナの敏感な人達だけが集まったあの夜、福島からRHYTHM TROOPSというクルーも底に来ていた。その場で出会った人達との交流はそれ以後ずっと続いている。同じようにRHYTHM TROOPSという名も俺はずっと憶えていた。今回呼んでくれたのは、そのRHYTHM TROOPSの若きDJだったんだ。あの森田貴宏に最初に俺等の音を聴かせてくれたのも彼と彼の仲間だった。それ以後、俺等の音楽は、いわきの地下深くに常にダイレクトに伝わっていったという。
「この街程、THA BLUE HERBの音楽を愛している奴等が多い街はない!」そう彼は言う。OK、ならガッツリやらせてもらうぜ。俺等も気合いが入りまくっていた。リハの時点から箱の中には特別な夜になる予感がびっしびし漂っていた。旨い魚を喰って、いざ本番。あの日、1999年のあの夜から、数えきれない位、繰り返してきた俺等のライブ。2008年ON THE RUN。あの日やった
曲も沢山やった。彼等の昔の仲間も集まってくれていたらしく、俺も、今の俺等の持つ実力を本当に、本当に観て欲しかったから、ガッツリやらせてもらった。あの最後の拍手、皆の笑顔、歓声、会場を覆い尽くしていた雰囲気、美しい光景だった。筆舌尽くし難いとはまさにあの事だ。ありがとうございました。8th Wonderやchaos、そしていわきのホーミー達、皆、また遊ぼうぜ。
翌朝っていうか昼過ぎ、少々の二日酔いを引きずって起きる。昨日は昨日、今日は今日。次なる使命が俺等には残ってる。まずは飯。腹が減ってはってやつだ。俺等をいわきに呼んでくれたその男、Cheeba Changと小名浜港へ。そこで旨すぎる魚介を大盛りで喰って、いわきを後にする。24時間居れなかったけれど良い街だった。そして向かう先は御存知説明不要、山形サンディニスタ。俺的にこのドライブはすぐに着くと思ってたけど、甘かった。結構な長旅。でも仙台のマイメンKAMAちゃんも一緒で、わいわい楽しかったな。着いて即リハ。箱の音も、PAさんもいつもの顔。ばっちり。で、飯。飯は山形の夜はここって決まってる。久々の「海山」。昼は太平洋の魚だったけど、夜は脂の乗った日本海の魚。どっちも旨い!で、軽くHEAVENLY RECORDSで皿掘って、ホテルで待機。山形でライブやらせてもらうのは本番では4回目って言ってたけど、実は5回目。確固たる、動かせない、神聖な歴史が俺達の間には既に存在している。これまでの夜達に恥じぬライブをするのみだ。毎回、毎回フロアーはびっしり入ってくれて俺等をアゲてくれる。岡山やいわきの時のような、高いステージがあって、快適に、観て、聴けるというライブハウスではなくて、この夜はクラブだ。俺等とお客は近い。押し寄せるお客の怒濤の熱気を二人で受け止め、押し戻す。手を触れる事なく、心二つで。
空気が薄くなり、スタッフは扇風機抱えて走り回る。ぶっ倒れたお客が運ばれていく。渾身のセットは2時間。皆、最後までそこにいてくれて本当にありがとうございます。終わってからは初対面、いつもの面々、マイメン達とゆっくり酒を飲んだ。極上の夜だ。
翌朝起きて、これまた山形と言えばって事で「竜山」のそば喰って札幌に帰って来た。やくわ、今回も世話になった。ありがとう。
今月はライブ一色な毎日でした。実質ライブは6本。しかしその前後の移動、練習、回復の時間などを入れると1ヶ月はすぐに過ぎ去っていく。残るのは透明な記憶のみ。それすらも毎日の時間の流れの中で少しずつ薄まっていく。これは不特定多数に伝える作業なんかじゃない。全てが消えてしまう前に言葉を、音を、気持ちを、目の前の顔の見える一人一人に注ぎ足していく地道な作業だ。そこに意味があったかどうかは、価値があったかどうかは、正しかったかどうかは、後々の歴史が決める。今は走っている最中だ。
最近、通販部門を始めたんで、薄々知っていたつもりの事が確信に変わった。それは皆の住所を見ていて気付いたんだ。本当に東西南北、あちこちに俺等の音楽をサポートしてくれてる人がいる。俺等がライブに行く街は、ほとんどが県庁所在地か、それに準ずるデカイ街だ。でも、住所を見てっと、そんなのはほんの小さな点でしかない事がよく解った。…市、…町ではとどまらずに、字…、…村という感じで、日本中、毛細血管のように道は張り巡らされ、山、川、谷を遥か超えた所で俺等の音楽を聴いてくれてる人が沢山いる。そして今や海外にも沢山いる。俺は、常々、本当に、皆に、全員にライブを観て欲しいと思っているけれども、そういう遠い場所から会場までの距離を考えると中々難しい事も実感出来た。ましてや皆、日常を生きている。やらなくてはならん使命を皆が背負っている。気楽に音楽を聴いていられる身分は当たり前の事じゃない。だから、俺等に出来るのは、待つ事。常に準備して待つ事だ。もちろんその街に生きてる人、そして遠くからわざわざ足を運んでくれた人、一人一人の大切な「その時」に備える事。
6月も引き続きライブ中心に突っ走ります。ADFとの世紀の対バンツアーに始まり、4月のKAIKOO以来、早々2回目の横浜。あのKAIKOOのライブは確かにとんでもなかった。けれど50分のセットと、俺等がいつもやってる1MC1DJで1時間半を軽く超えるセットじゃあ中身の濃さがまるで違うぜ。この日が横浜での最初の夜だと思っている。そして長野の山で素晴らしい世界の凄腕との共演、TAICOCLUB。そしてやっと行ける日が来た、初上陸、富山。さらに馴染みの八坂の地下、京都。そしてMJPとの初の札幌以外での共演となる神戸。どの夜も落とせない大事な山場が続くぜ。鍛錬を怠らずに、万全の備えでぶつかっていくぜ。楽しもう。
健康で。
ILL-B
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