MESSAGE FROM BOSS

2008.10.1(#2)
(#1)から続いてます。

翌日は早々に起きて、札幌へ。かなり眠かったけど、KRUSHさんはもう次の現場に旅立っている。南アフリカに!トップにいる人ってのは1番働いてる。これ真理ね。とにかく!ここで俺等が疲れたなんて言ってられねえ。望んだ仕事だ。さっさと次のステージに向かうんだよ。

目指すはホーム札幌、フィルモアノース。いつも遊びに行ってる場所なんで、安堵感と緊張感の両方があったね。対バンはCALM BAND。
久々聴けるんで楽しみ。しかーも!今回は一緒にセッションする事になってた。俺とCALMさんがセッションってなると、そう、一つしかないね。JAPANESE SYNCHRO SYSTEM(J.S.S.)です。J.S.S.は去年のリリース以来、ライブは一度もしてなかった。J.S.S.は俺的にはリリースしてしまったら、もう俺等の手を離れてDJのモノになるって感覚でいたんだ。そりゃ色んな場所で聴いた。色んなDJがかけてくれて俺はその度にダンスフロアーで最高の時間を過ごさせてもらった。そうしてる間にもJ.S.S.の皿は海を越えて旅を続けて、ニューヨークのDJが札幌でかけたり、ロンドンのDJが東京でかけたり、アムステルダムでアムステルダムのDJがかけてたり、アテネでオムニバスのCDに収録されたり、イタリアの雑誌に特集されたり、ドイツのレーベルから再発されたりって感じで、思った通りの広がりを見せてます。

初めてって事で多少の不安はあったけど、多分大丈夫。本番での爆発分はここではあえて触れずにって感じで、リハでは軽ーく合わせた。

この日は俺等本当に昔から世話になってるCAMCAMの独立1周年とSTILLYというお店の7周年、合同企画。おめでとうございます。うす!
皆、飯喰ったり、飲んだり、話したりといい感じでフロアーは暖まっていってた。俺等は静かにその時を階段下の控え室で待っていた。まず口火を切るのは俺等、THA BLUE HERB SAPPORAW。愛するホームタウンでの2ヶ月3本のライブの3本目。ライジングサン、マジカルとここまではばっちりな流れで来てる。だが、ここをモノにしねえと意味がねえ。今日は古くからの友人も沢山来てる。それこそ昔、10年前、あの、前のCAMCAMで一緒に、数えきれない夜を、ぶっちぎりの若さと上がりでかっ飛ばしてきた友人も沢山来てる。よう、久しぶりだな。
俺等は、まだ、やってるぜ。あの頃創った曲を、だ。まだ歌ってる。時間がたって、言葉にも少しずつだけど、あの頃のよりは重みが増してきてるぜ。とにかく、絶対ここは逃さねえ。ここ外すと、次、いつ、このメンツの前でライブが出来るかわからねえ。気合いが入ってた。
とにかく熱かった。皆の熱さが俺等を燃やした。最高だったぜ。仲間と過ごしてきた長い時間の間に産み落とされ、育まれてきた俺の言葉、俺等の音が、目の前に広がる、それを産み出した人達と産み落とされた空間に還っていく。一言一言がそこでは歴史であったし、皆が、皆で見てきた真実だった。それは今となっては過去になっちまったけれど、まぎれもなくあの頃の俺等の現在だった。
そして、この、今、俺等の手の中の現在は、あの頃の俺等の未来なのだ。多くの友人が志半ばで倒れていった。昔の様に、毎日、何の責任も負わずに遊んで暮らしてはいけない。色んな事が変わっていった。何かが変わってく、俺は信じてた。そして全ては変わっていった。でも、それでもやはり、変わらないモノも確かにあった。愛する友人達よ。聞こえるか?そこにいてくれてるか?あの夜も、あの夜も、どの夜も、全て長い道の途中の出来事だ。皆、今や背負っているものは色々あるが、未来に向かおう。共に。

出番後は、つまり闘いの後は、心からリラックスして酒を呑みました。CALM BANDの極上すぎる旋律で、この2日間の疲れと傷を癒した。

J.S.S.は.........。究極に楽しんだねえ。言うなれば...........、やったー!って感じだったよ。これ以上は言葉にならない。とんでもなかったね。



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