MESSAGE FROM BOSS
2009.4.7(#2)
で、今月は最後にこのインフォメーションを。
今年も5月2日がやってきます。5月2日とは?そう、俺等THA BLUE HERBが初めて北海道以外でライブをやった日です。時は1999年5月2日。場所は東京、六本木コア。凍てついた札幌の、ススキノの人知れぬ地下1階で、仲間と1本のマイクを分け合いながら、ずーっと自分等の信じるHIP HOPを模索し、醸造し、レーベルを立ち上げ、実際にレコードを創り、そのレコードが少しづつ、ゆっくりと、日本中に旅立って行っていたちょうどその頃。心の中は、夢や希望に満ちてはいたが、実際、逃れられない現実の世界、部屋には売れ残って行き先のないレコードが山積みになっていて、自転車操業からの借金が目一杯膨らんでいて、焦りを募らせながら、職無し、文無しな上に、空腹で、世紀末、人生の崖っぷちぎりっぎりの状態で、俺とO.N.Oは東京にやってきたんだ。もう他に行く場所がないかのごとく。その日の直前の俺等の生活、心情は「未来は俺等の手の中」に書かれている。そしてその日、コアでの俺等の態度、姿勢はビデオ「演武」に映っている。
その、たった1晩で、全てが変わったとは言わない。そんな簡単じゃなかった。それからも東京で、そして日本中で絶対に落とせないヤマは次々やってきた。何せ先輩も前例もない道だ。次は絶対にない1度限りのチャンスの連続だ。もうあのどん底の生活には戻りたくないから、出されたモノはなりふり構わず喰ってきた。それが仮に毒だとしても一息に飲み込んできた。無論、この10年を通して、無傷ではいられなかったし、人を傷つけもした。多くの人に受け入れられもしたし、認められもしたけれど、憎まれもした。出会いも別れも、今生の別れもあった。まさに生と死のド真ん中の1本道、色んな事が起こっては過ぎ去り、それを繰り返しながら、夜が、10年分降り積もっていった。
その日からちょうど10年、2009年。同じ5月2日にリキッドルームを借りました。
10年前のその日、DJだったO.N.OもソロでMACHINE LIVEをします。そして無論、俺も、ここまでの長い道の途中、この札幌の1個小隊に加わったDJ DYEと共にLIVEをします。ビデオ「演武」のパッケージに載っている1999年のその日のセットリストを見ると、改めてこの10年という時間の長さを実感する。あれから世界はどんどん広がっていった。たくさんの街を訪れ、そこで多くの友人に出会った。そこで俺は知った。日本中、どこに行っても、同じ価値観で、同じ目線で話し、笑いあえる、愛すべき人がいるってことを。俺は教えてもらった。
もしもあの日がなかったら、あの日を落としていたら、そしてあのままずっと札幌にいたら、それはそれで、また違った人生が待っていただろうし、俺は楽天家だから、その人生を楽しんでいたとは思うけれど、今日、確かに毎日忙しく、責任も増えたし、嫌な思いをすることもあるし、ま、それはどこに行っても、何をやってても、皆、一緒だよな。とにかく、今、改めてこう思う。
未来は思ってたよりもずっと広かった。
10年前のその日、そこに、底にいた、恐らく250人にも満たなかったであろう、1番最初に、俺等を信じて集まってくれていた友人達に、このインフォメーションが届く事を祈っています。そしてその日と等しい価値を今も持つ、その日からの数えきれない1日、1日、共に同じ時間と空間を分け合ってきた友人達にも。そして来たる新たな5月2日からの友人達にも。ただ、お手手繋いで仲良く祝おうってんじゃねえよ。今から10年前のその日、あれからずっと鍛え続けてきたTHA BLUE HERBのライブをしっかり俺等はやるだけだ。終わってからはNORIさんが同じリキッドルームの深夜の部で朝までがっちり回してくれるんで、その時はリラックスして遊びたいな。遊ぶために頑張る。共に爆音と静寂の狭間で遊ぼうぜ!
そしてさっきから話している、10年前の俺等の、まだまだ若く、無骨で、荒削りな俺等の、俺等の器、ギリギリ一杯まで溜まりまくった、怒りとやるせなさ、欲望や焦り、鬱憤を全てぶちまけた、北海道以外での最初のライブを収めたTHA BLUE HERBにとっての最初の映像作品ビデオ「演武」を、DVDにして再発売します。それをある意味THA BLUE HERBにとっての独立記念日、5月2日当日、リキッドルームで先行発売します。ウェブ通販、店頭発売のスケジュールは来月詳しく。
あと今、その日に発売したくて新曲も創ってます。
健康で。
ILL-B
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