MESSAGE FROM BOSS
2009.6.1(#2)
ライブレポート、5月は前半に関東圏3発、後半に関西圏2発でした。俺等は別にテレビの中に生きているわけじゃねえよ。何も変わらずにスケジュールは進み、チケットは売れていた。どこに行っても皆、信じて待っていてくれた。そこで、底で、交信するには、納得してもらうのには1分じゃ不可能。これはCMのような一方通行な会話じゃない。互い素晴らしく異なる我々が、透明な音と言葉でシンクロするのには長い時間が必要だ。それだけ費やしても望みが手に入らないこともある。何の話をしてるか解って、分かってくれてるかい?その時間を皆、チケット代を支払って買い、わざわざ体を運び、独りで、待ってる。
俺等は体2つで、今月もそこに、底にいた。
ここから先は、そこに、底にいなければ解らない、分からない話と言われるかもしれない。しかし今月居て、見て、聴いたのは、いつも通り、そこ、底だった。
しかも居たのは俺とダイだけじゃなかった。1人1人の名前を言うことなんて不可能な、多くの人間と、日本人と、つまり同じ時に居合わせた友人達が一緒にいた。
皆、俺等を見ていた。俺等に向かって叫び、励ましてくれた。俺等に向かって拍手をしてくれていた。2009年、日本、ノンフィクション最前線。
まずは2日。そう5月2日。東京上陸「演武」10周年。この夜のことは今年の正月頃からずっと考えていたんだ。酔っぱらってる時も、休息してる時も、いつも俺の頭の中、プレッシャーが溜まっている部分から、そのスケジュールは消えたことがなかった。どういう構成にするかをダイと組み立て始めたのは3月から。DVDのディスク2で手の内は1度完全に見せている。だから今回は大きく先を行こうと決めた。オーディエンスがついて来れるかどうかよりも、今回はこの10年の間に歌ってきた曲を、出来るだけ歌い、歌い尽くすギリギリの勝負をしようと、とことんまでやっちまおうと、口ポカーンとさせてやろうと決めていた。2か月間、練習してきた。執拗なまでに。そしてこれ以上練習したってもう何も変わらねえよっていう所まで行ってから、俺等は東京にやってきた。
で、遂にやってきた当日。10年前の同じ5月2日、俺とO.N.Oの音楽を、THA BLUE HERBを知っているのはこの街には本当に僅かしかいなかった。そして俺等のライブを観たことがある人は恐らく10人もいなかったと思う。今思えばHOT WAXが、タテちゃんがよくオファーしてくれたと、皆もよく観に来てくれたと思う。
あれからきっちり10年。3650日。HOT WAXも今はない。あの六本木のコアもなくなったらしい。進もう。舞台はこの10年を経て辿り着いた東京のホーム、リキッドルーム。前売りは完売。満員御礼。もう昔とは違うんだ。何も前例のない段階で、全く新しいことをやるのも確かに難しいし、大きな価値がある。そもそも狙って出来るモンじゃねえ。10年前のあの日、誰にも何の免疫もなかった。当の俺等もそこまで気付いてなかった。だが俺等の音楽はこの街にとって全てが初めての言葉と音だった。ある瞬間は。でも今は違う。あの頃に比べると、今のリキッドルームで待ち合わせている1200人のオーディエンスの数は最早無数と呼べる域だ。
そしてそれぞれの心に、記憶に、それぞれ分のTHA BLUE HERBがある。それぞれ多くの、最近知った人、10年前から知っていた人、10年前そこに、底にいた人、ライブでしか聴いたことがない人、ライブを初めて観る人。上がってる人、下がり気味の人。きっかけ待ちの人、別れたばかりの人、喧嘩中の人、結婚間近の人、人、人。
数え切れない、言い尽くせない人生が1200人分集まってくる。皆、ナンパのついでにや、底に出会いを求めて来てるんじゃない。何気にじゃない。社交場じゃない。
更に10年前にコアに俺等を観に来てくれた人とも、もう違う。物珍しさでは誰1人来ちゃいない。物珍しいものなんてもう何も残っちゃいないよ。皆、知ってる。
皆、THA BLUE HERBの音楽を、ライブを、思想を知っている。その上でそれぞれの人生の中の1日、忙しい中、時間を割いて来ている。ありがたいことだ。
本番前、俺はちょうど開催されていたTHA BLUE HERBの写真展に1人いた。SUSIEお疲れでした。そこでかつてのチームメイトを見つけた。もう死んでしまった友人の顔も見つけた。皆、今よりも若く、笑っていた。生き残った皆が、同じ時間、別の街で、それぞれの道を歩いている。今日のことを、俺等のことを思い出してくれたりはしてるかな?これから超えなくてはならない巨大なヤマを前にして、俺は少しだけ昔を振り返ってた。少しだけ。そしてステージ袖に歩いていった。
10年前のあの日、バックDJだったO.N.Oの、MAD MAXなマシンライブも、同じく10年前のあの日、まさにステージ最前線で知り合った森田貴宏が創ってきてくれたあのオープニングの映像も、シルエットだけで手を上げた時の歓声も、幕が落ちた瞬間の爆発も、初っ端の「孤憤」も、「北から頂く!」も、PVでその模様が観れる「STRAIGHT YEARS」も、アップデート後の「BOSSIZM」も、「DVD1200本...」も、カンパニーフロウのビートも、久しぶりにやった「知恵の輪」も、あの音でやる「BOG」も、4年半ぶりのKOJIの登場も、そして「コンクリートリバー」も、この10年の間に永遠に別れることになってしまった友人達の名前も、その直後の「MAINTAIN」も、2009年版「RAGING BULL」も、ディアンジェロに乗せた「この夜」も...........。流れてった。時間に換算して2時間50分の長丁場。
永遠があった。一瞬一瞬に多くの過去が内包されていた。1つのライムに、色んな思い出が浮かんでは去っていく。それを無数に繰り返し、上がったり、下がったり、迷い込んだり、内に向いたり、立て直したり、突破したり、それぞれ違う時期に創られた曲達が、2009年の今の俺等の心境に沿って並べられ、歌われ、消えていく。
良かった。そうとしか言えねえ。あれだけの言葉を並べた時間をここで別の言葉で改めて言い表すことは出来ない。俺は最高に楽しんだ。ありがとうございました。
終わってからは30周年(!)のDJ NORIさんが選び、繋げる音楽を聴き、踊り、ハメられながら、多いに遊んだ。北は北見、南は熊本、そしてそれ以外の街からも、京都や札幌からも、本当に多くの友達が来てくれた。そして他でもない東京で、この10年の間に知り合った友達、MC、DJ、音楽家、ステージ監督、オーガナイザー、仕事仲間、そして遅い時間まで同じように残って遊んでいる数時間前までオーディエンスだった友達と濃密な時間を過ごした。リキッドルーム、ごちそうさまでした!
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