MESSAGE FROM BOSS
2010.1.2(#1)
あけましておめでとう。
2010年が始まった。昨年も沢山のサポート、力になりました。ありがとう。色々あったけどここまでたどり着くことができた。思えば昨年の今頃はシスコショックを経て、これからのTBHRの進む道を模索していた時期だった。まだ見ぬ道に踏み出す心境だった。不安と言えば不安だったけど、根拠もなくワクワクもしていたね。無理やりね。ワクワクはいつでも、最後まで持っていたいね。ま、とにかくその頃から比べると今の俺等に迷いはない。完全に吹っ切れてる。新たに戦線に加わった仲間、そして昔からの仲間と共にやらなくてはならないそれぞれの仕事ははっきりしている。MC、MPC、DJ、PA、照明、デザイン、カメラ、映像、ブッキング、ウェブサイト、通販、流通、制作、経理、あらゆる場面でのプロフェッショナルを擁する、巨大なTHA BLUE HERB RECORDINGSと名乗る母艦は、時に1人何役もこなしながら、航海を続けている。出発した時は2人乗りのボロ舟だった。
思えば遠くに来たものだ。
昨年は年始からずっとDVD「STRAIGHT DAYS」を森田監督と制作、そしてウルトラヴァイブと流通、販売の段取り、宣伝、プロモーション、で、3月発売して、すぐに5月2日の東京上陸(札幌以外でのライブ)10周年記念ライブ、「演武」DVDの再発、さらに「STRAIGHT YEARS」発売、ゲータレードのCMの音楽の制作、と落とせない激戦は続き、その間も列島各地でのライブ、サマソニ初参戦、過去のCDの再発、O.N.Oのライブアルバムのプロジェクト、そして客演の制作、とまあ中々大変だったね。客演も今年は自分等の制作がまだまだ個人レベルな段階にあるってこともあって、タイミングが合う限り受けさせてもらった。DJ BAKUとの「JAPANESE HIP HOP AND ME」、クラムボンとの「あかりfrom HERE」、G.CUEとの「真夜中の決闘」、SEEDAとの「WISDOM」。こうして並べて見ると皆、それぞれ異なるスタイルを持った人達なのがよく分かる。全てが素晴らしく違う。出来上がった楽曲もやはり違う。同じように聴いた人の感想もそれぞれ違う。同じ音楽、HIP HOPでも趣味趣向が異なるように、色んな表現がある。それがおもろいとこやね。だから俺もそれぞれの楽曲でそれぞれのスタイルをそのまま感じて、受け止め、表現することができた。何よりさ、偏ったある一方から、内輪から誘われるのではなく、こうやって色んな畑から誘われるのが嬉しかった。何故ならまさしくそれこそがこの10年余り音楽をやってきた1つの成果だと思うから。俺は来る者は拒んでこなかった。スタイルが自分の音楽と違うと思っても、そこに固執してこなかった。
違いを違いのままに、それよりも人間そのものを、目の前の相手の人間性を見極めてきた。そこで、遊べる人か、違うかを決めてきた。だから今、俺は本当に沢山の友達に恵まれている。HIP HOPにももちろん、ロックにも、パンクにも、ダンスミュージックにも、スケーターにも、服屋や夜遊びにも、どこにでもいる。日本中にいる。しかも彼等、彼女等も結局は繋がっている。最高だね。愉快なことだ。それがある意味、時代が変わったと言えることなのかもしれない。初対面の人とも、共通の友達がいることですぐに話が進む。皆、音楽と笑い、そしてポジティブでさりげない友情で繋がっている。
もちろん俺がやっていること、言っていることの全てが正しいとは思っちゃいない。俺は今38歳。初めてアルバムを創ったのが1998年。あの頃、俺の世界は札幌だけだった。俺や俺等は、今現在、数え切れないくらいライブに呼んでもらってる東京って街そのものと、そこだけに集まっている金と名声を憎んでいた。それを奪うための大義は、こっちに、北にあると思ってた。その無邪気で純粋な大義の元、多くの人間を傷つけもした。事実多くのMCの仕事を奪ってきた。お客も奪ってきた。もちろん暴力は使わずに言葉と音だけでね。だから、今現在、あの頃の俺等と同じ無邪気で純粋な大義を持ち、俺等の仕事を、お客を、奪わなくてはこの先の人生はおろか、明日の飯すら喰ってはいけないMCが、どん底で、大勢があがいていることは理解できる。俺等だけが安泰ってワケにはいかねえことは重々承知してる。何よりもそうやって色んなスタイル、思想、個性が切磋琢磨しあうことが良い結果を産むこともあることを知っている。憎しみで終わらずにね。憎しみで終わることも多々あるけどね。とにかく、俺が言いたいのは、それぞれが、それぞれの表現をしてれば良いってこと。あとはシンプルにお客が選ぶ。後々の歴史が勝敗を決める。MCはさ、それぞれから見える景色を、経験と挫折と絶望と希望を、信念を持って言葉にしていけばそれでいいんだよ。それが仮に俺をディスることであったとしても、それがそいつにとって、どうしても言わなきゃならない事なのなら言えばいいんだよ。いくら他人を削っても、自分が1番だと言い張っても、結局最後は自分自身との勝負なんだ。人に向けた言葉は必ず自分に返ってくるんだ。絶対返ってくる。でもそれに気付くのはもう少し後のこと。気付かずに終わる奴等も大勢いる。俺自身がこの数年、色んなMCから投げつけられた罵詈雑言は、何の因果もない、防ぎようがない、理不尽なモノとは思ってない。あれは全て,もっと昔に俺が誰かに吐いた罵詈雑言が返ってきただけ。それは受け止めなくてはならん。受け止め、自分に憶えさせ、心の奥深くに埋め込むんだ。そうすれば、次に新しい表現を得る事ができる。返ってきた罵詈雑言に簡単に罵詈雑言を返したところで、また罵詈雑言になって返ってくるだけだ。ずっとずっとそれを繰り返すだけ。何も残らない。ゴシップ好きを喜ばせても、俺はもう楽しくない。それがエンターテイメントだと思う人を否定はしない。そう思う人で楽しめばいい。そう俺は、気付いた。気付けて幸運だったと思う。俺はもう誰かと罵りあいをしたいとは思わない。それで小金を稼ごうとは思わない。それよりももっと難しくて、やりがいのある表現はある。昨年も、誰に何を言われても返答はしてこなかった。がっかりされても、バカにされても。
でも、そんなのは俺に言われたって、離れた北から、インターネットで、上から言われたって分からねえよ。なあ。経験しないと理解は出来ねえよな。そりゃそうだ。だからさ、とりあえずは言いたいこと言ってりゃいいよ。理解しあえない人がいるのは残念だし、そりゃ削られりゃ痛みは少なからず感じるけど、それがMC稼業。俺の信念は揺るがない。やるべき事は変わらない。お情け無用。今までもそうしてきたし、これからもそうしていくさ。
この世界ってのは、つまりMC稼業ってのはさ、絶対やって来る順番を回してるわけじゃない。待ってるだけじゃ絶対芽が出ない。そんな甘い世界じゃない。のんびり屋には務まらない。自己顕示欲の化け物みたいなヤツだけが生き残ることができる。自分のスキル、度胸、説得力に、自信を通り越した確信のようなモノを、ドロドロしたヤツじゃなくてはっきりと曇りのない正義を持ったヤツじゃなきゃダメなんだ。知らない街の、真夜中のクラブでずっとその街の路上で生きてきた荒くれどもを説き伏せなくちゃならない。パソコンの画面を閉じさえすれば逃げられるような仕事じゃない。
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