MESSAGE FROM BOSS
2010.3.2(#2)
俺は1997年にレーベルを立ち上げて、1999年に初めて地元札幌以外でライブをやらせてもらった。以来、自分等のレーベルからのリリースと、ライブで生計を立ててる。1997年当時は沢山のHIPHOPを扱うレーベルがあった。色んな場面でそのレーベルを動かしている人と会うことができた。皆、情熱を等しく持って、俺等ともよく似たヴィジョンを持っていた。ただ、アーティストが自らレーベルを動かしているっていう俺等のようなレーベルには会ったことがなかった。ってことは、まあ、これは普通のことなんだけど、そのレーベルにはレーベルを運営している人と、所属するアーティストがいるってことになる。インディーズとか自主制作とか言っておきながら、実はメジャーの下に位置していて、そこの余りまくってる大金使って何のリスクもない運営をしていたレーベルとは違い(これは今でもたくさんある。むしろそれらは、だから生き残ってこれた。)、ほとんどのレーベルではその運営している人が全てのリスクを背負っていた。で、そこに所属してるアーティストってのは、大体が、その運営している人に完全に依存しているか、全て背負わせているかのどっちかで、リスクなんて知りもしない、レーベルの将来なんて考えもしない、ただうまい話に乗っかってやろう的な奴も多かった。まあ景気も良かったから、当時は問題はなかった。
レーベルに金だけ出させて、旨い飯をスタジオに出前して、なんとそこで今になってリリックを書き始め、書けもせず、だらだらスタジオ代を浪費して、結局何も作品ができない。で、金を払うのはいつもレーベル運営している人で、彼は本当に身を粉にして、そんなアーティストに尽くしていた。で、肝心のアーティストは自分の作品が売れないのをレーベル側が力を入れて宣伝してくれないからだ、とかほざく。そんなくり返しを数え切れないくらい見てきた。俺はそれを静かに見ていた。でもこう思っていた。遅かれ早かれそういうレーベルは消えていく、と。
ライブで招かれた街で、俺はその地元に根を張ってこれからを見据えている音楽家に出会ってきた。ラッパー、DJに限らず、彼等はほとんどが他に仕事をしていて、それこそ昼間の仕事をたった今、終わらせて、そのままリハに来たって人だっていた。彼等の後に俺等がリハをやって主催してくれた人にその街の旨い飯屋に連れてってもらう時、その地元の音楽家はついて来ない時がほとんどだった。彼等は箱に残るか、家に帰るか、仲間と何か喰いに行くかって感じで、「あれはこの街で1番旨いんで、しっかり喰ってきてください。」なんて言ってくれる人もいた。俺は彼等と
同じ場所から出てきたラッパーだから、今も腐ってない彼等の気持ちの強さが痛いほど分かる。そして何とも言いようがない悔しさをも。
皆の声が、それぞれ届かせたい所に届くことを祈ってる。
ライブで招かれた街で、俺は俺等と同じように他から招かれて来ているラッパーに沢山会ってきた。同じ夜、同じステージと貴重な時間を分け合う偉大なライバルってわけだ。今夜来てくれるお客、招いてくれたその街の友人達、そして上で話した地元の音楽家の気持ちに、命をかけて
自分等の表現を伝えなくてはならない。伝えることができなければ次はない。高いギャラと良い待遇はタダじゃない。俺は常に、相方のダイとそう思ってライブに挑んできた。そのための練習を怠らず、自分等の満足を常に疑い、これでもかと1MC、1DJの限界を追求してきた。
でも、そういう俺等と同等の気概のあるMCに現場で会えたことは少なかった。いや、正確には気概はペラペラしゃべることはできても、実際に本人が、時間と努力を支払って、その気概を表現しきっているラッパーに出会えることは滅多になかった。雑誌でよく見る奴や、昔から有名な奴ほど、本当に雑な仕事を散らかす奴等ばかりだった。リハーサルも適当、誰もダンスフロアーに出てきて出音をチェックしない、で、当然、声も全く聴き取れない、何を言っているのか全然伝わってこない。しかも20分か、長くても30分で息が上がって、クタクタなってステージを降りる。降りたら降りたで、その街の女を漁りに、タダ酒を片手に無様にうろついてる。俺はそれを静かに見ていた。でもこう思っていた。
本人は全く気付いてないけれど、遅かれ早かれそういうラッパーは喰っていけなくなる。
ここで誤解しないで欲しいのは、音楽をやりながら仕事をしている人の音楽が良くないと言っているんじゃないぜ。むしろそういう友達の方が多い。そうじゃねえ。音楽を仕事にしているか、音楽をやりながら別に仕事をしているかは関係ない。そんなこと比べてるんじゃない。どっちにも
事情がある。この事情ってやつには、HIPHOPをやっていけば誰でもぶつかる。同じように音楽やスケート、スポーツやアートの全てにおいて、長い間やっていく上での永遠のテーマでもある。30超えれば誰にでも選択の時期が迫ってくる。パトロン持ちやボンボンでもない限り。遊びか仕事か。
続けるかやめるか。残された時間は長くはない。俺は仕事をしながら音楽を鳴らしている人を沢山知っている。札幌にも、中野にも、横浜にも、町田にも、豊田にも、それこそ日本中、ヒップホップにもバンドにもダンスミュージックにもいる。皆の言葉は重い。人生や生活が色濃く滲んでいるから。
そして音楽を楽しめている。締め切りに拘束されていない。音楽の本来の姿がある。俺は皆と接したり、皆の音楽を聴いたりして、時々、自分に、いつの間にかたっぷり付いている落ちない泥を恥じたりする時すらある。だが俺も俺でいまさら引けない。俺はこうなりたくて生きてきた。
俺が言ってんのは、ここで線を引くべきは、やることやってるか、やってないかってこと。やるべきことを本当にやってきたかってこと。
ある日、キャリアも名声も手にしているベテランラッパー兼ラジオパーソナリティーがこう言ったという。「今となってはバイトしないで喰っていけてるのはブルーハーブだけだ。」と。褒められてんのか、からかわれてんのか、負け惜しんでんのか、誰を代弁してんのか、俺には分からなかったが、俺にも言い分があった。おいおい、笑えねえ冗談だぜ。簡単に、知った口でこの10数年を言い切ってくれんなよ。何をいまさら。
こっちからの景色はクリアだ。理由ははっきりしてる。そうなったのは、俺等が別に優れてるわけではなく、俺等の幸運でも彼等の不運でもなく、まして時代のせいでもない。外側の問題じゃない。日本のHIPHOPの内側の疾患だ。単に、事実、もうずーっと前から、やるべきことを
怠ってきた連中の業だろ。初めから何も持ってはいなかった俺等は、ただ当たり前のことを当たり前に続けてきただけだ。10年以上も後になって、十分にやれたのに、それを誰もが期待していたのに、浮かれ上がってやらなかった連中の行く末と比較されても、まるで構っちゃいねえよ。
なあ、そういう奴等いたろ?やることやらずにレーベルを食い潰していった奴等、沢山いたろ?今もいるだろ?生き残ってきたあんたなら知ってるだろ?
なのに、さくっと、日本のHIPHOP総括してることに疑問が生じたってこと。もっと凄い世界なんだよ、音楽ってのはさ。知ってるっしょ?
俺等も、皆、1つの過程なの。日本のHIPHOPなんて始まったばっかりなの!
ラジオでもライブでもマイクがオンになった状態で話している以上、陰口ではなく、それによって何か波紋が生じることはお互い承知の上だ。
それぞれ長く続けてきてる。譲れねえもんも1つや2つじゃねえ。どっちも正義だが政治じゃねえ。何の因果か、そういうことが彼等とはよく起きるな。
あの日、O−WESTのステージから、ここまで長々と書いたことを伝えたかったが、俺も言葉が足りなかったし、言葉が過ぎた部分もあった。
それについては、いつか本人に伝えに行く。俺もまだまだ修行が足りねえな。でも、言いたいことはこうやって皆の前で言っていたいもんだ。
話はまだ終わってない。ただね、特定の誰かを喜ばせたいわけでもなくて、ここまで言わせてもらったついでに本音を言っておくけれど、今回の彼等の、ライムスターの新曲は熱かった。始まったばっかりだって思った。俺もあきらめないで貫こうと思わせてくれた。そう思えることになるとは思ってなかった。
その後の若いラッパー達のリミックスの繋がりも、ポジティブなものを感じさせてもらった。昔のような一種の疎外感は俺の中には全くないよ。
以上。
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