MESSAGE FROM BOSS
2010.7.1(#2)
俺は滋賀のライブを終え伊丹空港から沖縄入りした。1日目は先に沖縄に来ていたJOEの撮影がメインだったので、この日に沖縄に入ったOLIVEと俺はオフになった。もう空港から宿に行く途中から毛穴が開き、汗が止まらなかった。沖縄はちょうど前日に梅雨が明けたらしく、札幌に住んでいる俺にとってはもう灼熱の常夏だった。宿に荷物を置き、ショートパンツに着替えて、市場を抜けて街に出る。
結構前から札幌から沖縄に移り住んでいた古い友人であるヨコザワ君とOLIVEと一緒にCLUB BE GREENの事務所に向かう。そこでいろんな人と会い、話し、ゆっくりと沖縄に心が着陸し始める。すると現在沖縄在住、焦げまくってるDJ HIKARUも登場。その後ろには、LITTLE TEMPOの
トキ君も!これには相当上がった。いつ以来かってあの国技館でのライブ以来だって。一緒にKOYO君、コージ君とも邂逅。で、わいわい遊び、HIKARUとそば喰いにいったり、あれこれしているうちに日が暮れてきた。で、皆で開店前のマイルストーンに移動して、そこで真正面からサンセットを眺め、そのまま北谷へ。そこでFLEXっていうお店で、超極上のジャークチキンを喰らう。この日、バンパクさんを始めBE GREENのクルーにはマジで色々世話になりました。ありがとうございました。そのまま那覇へ戻って、コトノハでJOE、撮影スタッフと合流!皆、すでに日に焼けていた。俺よりも3日早く沖縄に入って、あちこち画になる場所を探しまくっていた。早速ミーティング。
今回力を貸してくれている沖縄の友人達を交え、明日からの撮影の細部を詰めていく。明日も暑そうだ。昼間っからの遊びの連続と久々の島酒ですっかり酔った俺は1人宿へ向かい、就寝。
翌日、天気はやはり晴れた。朝9:30、皆と待ち合わせ、那覇を出て北へ。目指すは普天間。しっかし暑かった。最初の場所で、最初のカットの時点で、がっつり汗かいてた。基地のフェンスが普通の住宅の前に張り巡らされている。フェンスには警告文が。この中に入ると、日本の法律で罰せられる、と。ここで産まれ、育ち、生きて、日々あり得ない爆音と墜落の危険にさらされている沖縄の人達が、沖縄の中のアメリカ様用の土地に足を踏み入れると、日本の法律で罰せられる、と。ここじゃ日本の法律もアメリカ様用だ。普通のことのようで、何か変だな。小さなハテナが晴れた静かな午前に落ちてた。場所を変え、構図を変え、美術館の屋上で、ビーチで、海兵隊の基地の横で、撮影は続いた。マジめっちゃ暑かった。ほんとこんなに暑さで消耗したのって昔モロッコ行って、サハラ砂漠に行って以来かもってくらい。JOEも合流して、OLIVEと最後のフックで3人の画も撮る。そして最後に監督が選んだ場所は基地のゲートの前。こっから先はアメリカ。その瀬戸際で最後のカットを撮る。もう全員、相当くたくただったけど全てのミッションをやり遂げた。名取君、菅井君、太田君、皆の驚異的な粘り強さのおかげで、俺等も前に出るしかないって感じで、根性振り絞ることが出来ました。本当にお疲れ様でした!引き続き、よろしくっす!
終わってから再び昨日行ったFLEXへ。そこで打ち上げだ。乾きまくったノドにオリオン生が注がれていく。皆、マジでお疲れ様だったな。
ケン、ケイスケ、バイト、リチャードさん、地元の皆が力を貸してくれなかったらあの奥地まで行けなかった。ほんとありがとう。続々集まってくる地元のMCやDJや古い友人達とテーブルを囲み、いろんな話をした。皆、やはり意識が高い。
ここでも知らなかったことを、沢山知れた。俺個人の滞在時間は48時間もなかったけど、とてつもなく濃い瞬間の連続でした。類が友を呼び、その友がまた友を呼び、皆やって来て、拡がっていった。最高の経験でした。沖縄の全ての友人よ!色々ありがとうございました。酒豪伝説飲んで乗り切ったぜ!
OLIVE OIL×ILL-BOSSTINO×B.I.G. JOEによる一撃「MISSION POSSIBLE」。CDは税込525円。発売は7月21日。アナログは税込1680円。
アナログの発売日はまだ未定ですが、なるべく早くリリースできるように動いてます。で、アナログはともかく、525円というお金に困っている人には無理を強いはしないが、そうではない人には、ここであえてこう言いたい。皆、忙しい中すまんが、お店に足を運び、それぞれで買ってくれ。頼む。焼かずに、この曲に、想いに525円支払ってください。
全然堅苦しくもなく、しみったれた曲でもないぜ。がっつり場外ホームラン級にぶっ飛ばして、君を上げてやっから、こっち来いって!
すっかり日に焼けて札幌に戻る。雨の札幌、いつもの日常へ。沖縄の街のどこでも聞こえていた飛行機の音はしない。俺の身は再び、あの島から遠く離れた。今回の短い滞在で、俺はこの目で深い傷跡を何度も見た。この耳で多くの貴重な話も聞けた。文字通り現在日本の最前線にある、ヘリが旋回する幼稚園や、飛行機が石を投げれば届くかと思わせる距離で普天間第2小学校をかすめて着陸する光景も見た。会話が上空の爆音で遮られることも何度もあった。ったく何て奴等だ、と思った。でもね、簡単じゃないんだよな。アメリカ人とデートしてる女も沢山見たりさ、そこにどんな会話が交わされているか、どんな約束があるのか、俺には知る由もないんだよな。そんな人達で賑わってるお店で飲んだりさ、またそのお店は俺にとってもいいお店でね、皆フレンドリーでさ、居心地もいいし、そんなある意味、沖縄の1つの日常に身を置いて、何て言うか、簡単ではないことは承知していたけど、万物は善と悪の2つでは割り切れないことは知ってはいたけど、やはり、俺は少し混乱したよ。何気に、あの戦闘機に乗ってるアメリカ人も、そう、日夜、人殺しの訓練をみっちりして、事実、イラクやアフガニスタンでその手を汚している、子供や老人を殺しているかもしれないアメリカ人もね、結局は、本国では貧困層だったり、大学に入るための奨学金の引き換えに軍に入ってきた人もいたりしてて、殺人マシーンに改造されて、こんな遠いアジアに派遣されて、憎まれてる彼等もさ、上空で何を思ってるのかな、とかね。基地で働いてる人達や、親がアメリカ人の人達。いろんな人のいろんな事情がある。経済的事情もある。食わせられなかったら子供を育てられない。そんな現実で切迫している人に、俺が何をできるというのか。何を言えるというのか。
「何もしないお前に何がわかる。何もしないお前の何が変わる」。そうだよな、KOちゃん。俺は冷めた笑いの皮肉屋じゃ終わらねえぜ。
たった1回の人生、声を醜悪なカゲ口ごときじゃ終わらせねえ。行動だ。答えを焦るな。単なるリゾートめぐりではない、炎天下の沖縄で、慰霊の日に、俺は多くの思索に身を焦がした。
何度も言うけれど、俺の行動は、戦前から、戦後の65年から、他の誰でもなくずっとそこで、その土の上で身を持って感じ、全てを受け止めてきた人達を差し置いて、何か突拍子もない手品のような、奇跡のような解決策を遠い北海道の地から投げつけるような真似ではない。そんな動機じゃない。ましてや、政治家や先生や、評論家や文化人や、研究者や学者や記者たちがもうずっと、少なくとも65年間も、探し、議論され続けている答えを、わずか4分半の曲で言い終えることはできない。正直、そう思っているよ。俺は当然だが万能じゃない。
俺の内から起こった衝動だ。遠い未来から見て、これが何かのきっかけになるか、あるいは何も起きずに消えてなくなってるか、知らん。
でも事実、県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦、この世に考えられる悲劇の全てがかつてそこであった。そして沖縄戦の体験者は今や10人に3人もいなくなっている。沖縄で新聞を読むと、本当にスポーツと経済以外の全てのページに戦争に関する記述を、大なり小なり見つけることができる。札幌では、普天間の基地移設問題に関する政府の方針や、沖縄を代表する人の話しか載っていない。それくらい違うってことだ。それくらい見えない所に遠ざけられているってことだ。どんどん歴史は風化していって、いつか完全に忘れられちまうかもしれない。沖縄の人しか知らないなんてことになってしまうかもしれない。もちろん俺も毎日の生活が楽しい方がいい。笑っていたい。
仕事は幸運にも忙しく、それをこなすので精一杯だ。遠く沖縄の地でいくら爆音が鳴り響いていても、札幌では聞こえない。心は痛むが実際に身は痛まない。俺はそんな普通の人間だ。そんな人がほとんどだと思う。無理もない。超えなくてはならないヤマがそれぞれにあり、それを超えるので一日が終わってしまうんだと思う。
ただね、こりゃ理屈じゃねえんだよ。法律的に何の問題もないとされている中にも不正義は存在しているんだ。しかもそれを目に、耳にしてしまったんだ。見えないふり、聞こえないふりはできねえ。法律じゃない、仁義に外れてる。俺達はさ、誰も政治家なんかに今さらなれねえっしょ。でもさ、それぞれ正義と不正義、公平と不公平くらいの判断は出来るっしょ。飼いならされちゃいないんだろ?
皆が、同じ時代に、同じ国に産まれ育った、同じような音楽に出会った友達を得てさ、やがて視界が開けていって、悪い事ばかりやってたのが、次第に人生に起こるいろんなことを知って、出会いと別れ、生と死の狭間に多くを学んでさ、そんな感じじゃない?俺はそうだよ、今。
その友達が困ってんだよ。抗えない大きな力に潰されそうになってんだ。出来る事をしたい、そう思うだろ。俺はそう思う。HIP HOPから学んだんだ。学校でじゃない。学校ではただの知識を学んだ。でも行動すること、身を削って、リスクを冒して、世の理不尽に声を上げること、俺はそれをHIP HOPに始まり、札幌のダンスフロアーで学んだんだよ。そう、出来るヤツが出来る事をすればいい。俺はここでやる。この曲が、この世に、沖縄に、日本に出て行くことによって何かが変わる、とは俺は言い切るつもりはねえよ。誰の力にもならないかもしれない。変わって欲しい、変わるべきだ、という想いこそあれ、無邪気に何かを変えてやる、という望みが俺を駆り立てたわけではない。正しいこととは何か、それを言い当て、言い切ってしまえるほど、俺は若くはないし、老いちゃいないし、偉くはないし、物事の全てを知らない。誓って、金や名誉が欲しいわけでもない。違うんだよ。俺に出来んのは、歌うことだ。命の分、歌いきること。ただそれだけだ。
それが俺の心の底からの命令なんだ。信念からの要請だ。俺は黙ってそれに従う。その使命を読み上げるために、伝えるために声を出す。
答えは、まだ見つかっていない。誰も傷つかない、失わない、損をしない答えは見つかってはいない。いつか君が見つけたら、教えてくれ。
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