MESSAGE FROM BOSS

2010.10.15(#3)

山梨。意味深いヤマは続く。そう、遂にたどり着いた。1999年5月2日六本木コアでの北海道以外での初めてのライブから11年と4ヶ月半。
47都道府県制覇最期の地、山梨県、甲府。遂に。長かった。ライブは文字通り生活だ。招かれる街、タイミングがあった所は全て周ってきた。
で、初めての夜、2回目の夜って感じで時間をかけてその街との繋がりを深めてきた。無論1度っきりの街もあった。でも振り返る暇もなく道は前にしかないって感じでずっとライブ続けてきた。で、今年の頭にね、そろそろこのPHASE 3を終わらせようって心境になった時に、何気に振り返ったら行ってない県があと6、7つだってことに気づいた。よし、じゃあまずここ全て周ってからPHASE 3を終わらせようって決めたんだ。
この11年に繋がった友達の多大な協力を得て、ブッキングは決まっていった。ただ山梨だけはどこからも繋がりがなかった。上等、ならこっちで箱借りちまおう。で、この日を3月位にはもう借りていた。その後、名前と音は知っていた山梨を代表しているクルー、stillichimiyaのメンバーの電話番号をゲットして、いきなりかけた。ワケを話して、力を貸してほしいと、一緒にライブをやろうと伝えた。彼や彼のクルーはばっちり快諾してくれた。そしてポスター、フライヤーをこっちで作って彼等に送り、彼等が自分等の足でそれをまいてくれた。山梨のオーディエンスと俺等を繋げてくれた。山梨に着く前から、マジで感謝で一杯だった。甲府に着くと、stillichimiyaの田我流が迎えに来てくれていた。MMMも。普通に速攻、友達になれた。思った通り。で、彼等の車で箱に向かう。箱はKAZOO HALL。stillichimiyaのメンバーも皆いた。で、挨拶して、お互いリハ。俺は彼等の音楽は聴いてはいたが実際にこの目で観るのは初めてだった。で、観たんだけどね。いや〜、見つけた!って思ったよ。47都道府県最期の地にいたのかって。感じた音楽を、ここで後から言葉で説明するのは難しいね。とにかく、フレッシュ。スタイルは俺等とは異なるが(異なるのは記憶に残る必須条件だ)、言ってること、メロディー、見せ方、ほんとばっちりだったよ。リハの段階でめっちゃ楽しかった!で、俺等も俺等でいつもの様にリハやって、開場。沢山のオーディエンスが来てくれた。俺等のゴールを見届けようと、山梨以外からも遠いとこから
沢山集まってくれた。先頭はstillichimiya。リハも良かったが、本番はもっと良かった。熱かった。自分等では「いなたい」って自分等のスタイルを言ってるけど、いやいやマジで洗練されてるっしょ。住んでるとこが中央から離れてても、最後にそいつらのアートを決定づけるのは自分等のセンスなんだよ。その肝心のセンスありすぎっしょ。とにかく、唯一無二なラップショーを見せてもらった。上げられた。お客も上がってた。で、遂に俺等がステージに立った。立って走り出してみたら、47都道府県制覇完結なんてことより、この夜をモノにしねえと先に進めねえっていう
いつもと同じヤマだったな。とても感傷に浸るって隙はなかった。そりゃそうだ。この一期一会を意味深いもんにする以外、頭には何もなかった。気づけば100分。一気に走り抜けていた。皆の笑顔が輝いていた。それを見て、皆が楽しんでくれてた事が俺にも分かって、ホッと、俺も最高に楽しくなったよ!その相乗効果がライブの醍醐味だな。ってか全て。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。1つのゴールではあったが、俺等と山梨の皆との歴史はあの夜に始まった。最後の「この夜だけは」の時の、あの、暖かい雰囲気は、今まで切り抜けてきた46都道府県での夜の中でも、最高の夜のそれとまるっきり同じだった!最後が皆で良かったとすら思えるよ。初対面ながら名残惜しさを胸にステージを降りてきた。stillichimiya、皆のおかげで俺等の歴史に1つの区切りを最高の形でつける事ができました。ありがとう。皆のこれからの未来を、
俺もワクワクしながら見させてもらうぜ。また絶対遊ぼうな!


宇都宮。1つのゴールを終えた後も、スケジュールは続く。浮かれてる場合じゃない。そこはもう新しい1日。きっちりと、PHASE 3の散り際を宇都宮の皆とも分かち合うべく山梨を出発した。前の夜、山梨を終えてすぐに都内に戻った照明の畠中さん、PAのNAOMIXもすでに向かっていると聞く。始まるぜ。新宿、東京で乗り換え、宇都宮に到着。すでに懐かしさすら感じてしまうこの街、もう何度来たか、いつからか数えるのをやめてしまった街の1つ。思えば2000年のPHASE 1の段階で来ていたんだ。DJ YASやDJ QUIETSTORMや1945と一緒に大騒ぎしたり、PHASE 3のリリースツアーでのあの究極の灼熱空間でのライブとか、AUTUMN BRIGHTNESS TOURの時とか、数々のエピソード、今でも憶えてる。その舞台はずっとプラネットだったんだけど、今回の箱は前回に引き続きHEAVEN'S ROCK。今回もシゲの仕切りで、色んなバンドとの競演。やることは何も変わらない。いつ、どこででも、相手が誰でもね。そこはもう全くぶれなくなったね。で、本番。この日はタイムテーブル的には1時間ってことになっていたけれど、俺等の後には誰もいないし、箱の制約も厳しくないってことで、とことんやらせてもらう気満々だったんだ。長年、俺等のライブを観てもらっている宇都宮の皆に、もちろんあの夜にいた人はもうそこにはいないかもしれないけれど、宇都宮って街自体に、次の未来のために、俺等の成長の足跡を残しておきたかったんだ。オーディエンスの皆も応えてくれた。すぐにシンクロしていたね。
静寂の中に俺は皆の内側の高ぶりを確かに感じていたよ。いつもながら最高でした。力もらいました。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。長い時間を付き合ってくれて感謝です。シゲ、今回も色々ありがとう。絶対また会おう!!


東京、渋谷。ASIA。遂にやってきた東京ラスト。東京で、PHASE 3も数え切れないくらいライブをやってきた。その全てが意味深かった。別れの宴だ。派手にいこう。競演陣も猛者揃い。バックステージはやり遂げた者とこれから挑む者が交錯していた。ケンケン、達也さんともばっちり
邂逅!こだまさん、レベルファミリアとも再会!よし!出番だ。文句なしの音響、照明、ここまでの経験、成熟度、そしてこの日が東京最後という時間的高まり。これ以上ない条件が揃ったこの日、オーディエンスも含めた俺等が唯一予想していなかった事態、そう、あの暑さにはトバされた。ここにこんな厳しい条件が待っているとは夢にも思ってなかったよ。皆も大変だったっしょ。ダンスフロアーに入りきれなかった人も大勢いたと聞く。空気薄いなんてもんじゃなかったな。空気なかったっしょ。究極ハードだった。大阪や京都では経験してきたが、恐らく東京であれほどの
激戦はなかった。完全なるサバイバル状態。だからって引き下がるわけにはいかない、俺と君。進むしかないんだな。目もうつろに、体の自由を奪われながら、なおも喰らいついてくる皆、マジでお疲れさんでした。ラップする方もしんどかったぜ〜。途中、何度もダメかと思った。ここまで準備してきたのにと、その殺人的な熱気を呪ったりもした。でもやめなかった。皆も聴くのをやめなかった。どうしようもない困難を前にしても楽しむことを、上がることをやめなかった。そしてその先にあの時間はあった。やっぱりあった!輝きの中、全てが報われる瞬間が。上り坂が最高厳しかった分、頂上からの眺めは格別だった!皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。リリック1つ1つがあの苦境だとマジでリアルに響きまくってたね。気づけば2時間10分の大立ち回り。全て出し切りました。東京、また会う日まで皆、元気で!


終演時点で朝5時半。何せ、こっから飲み始めたもんで、ASIAの営業終わっても全然着陸できてなかった。色んな友達が訪ねてきてくれていたしケンケンや秋もっちゃん、太華、競演陣との積もる話も尽きなかった。爆笑に次ぐ爆笑で、結局24時間営業の居酒屋まで行って、帰ったのは朝
9時。あ〜面白かった!翌日は、いきなり夏が跡形もなく消え去ってて、寒かったし、体調がまだ良くなかったんで宿でゆっくり静養。で、翌日大阪へ。大阪も寒い。秋が来ちゃってんな。着いたその日はオフだったんで、ノリに誘われるままに、COCOLO行って〜、UPRISE MARKET行って〜、MARGINAL RECORDS行って〜、NEWTONE行って〜、ROOT DOWN RECORDS行って〜、堺の「暇」行って極上の飯喰って〜、梅田でタイマッサージ行って、満喫して帰ってきました。



戻る

トップ

(C)TBHR