MESSAGE FROM BOSS
2010.10.15(#4)
大阪。盟友クラナカが取り仕切る老舗パーティー、ZETTAI-MU。15周年!俺等を初めて関西に紹介してくれたのがクラナカ。時はPHASE 1。DJはO.N.Oだった。1999年の秋、場所は今は無きベイサイドジェニー。今は亡きケンケンの運転で向かったのを今でも憶えている。あれから11年。「DAWN」は「NOON」に変わり、シスコもなくなり、色んなことが変わっていった。でも、まだパーティーは続いている。今年も箱は名村造船所跡地。2007年、初めてクラナカがここを借りてZETTAI-MUやった時も伝説だな。
このロケーションに対するノウハウを誰一人も持っていない中でのパーティー。今みたいに空調も万全ではなかった。しかもその日は異常に暑かった!あのサバイバル空間は先日のASIAよりも半端なかった。道々にぶっ倒れてる人の画は忘れられねえ。よく全員、マジで生き残ったと思う。リハの段階からそんな話が出るのもZETTAI-MUスタイル。次々やってくる個性の塊のような出演者たち。初対面もたくさんあった。出番はトリの前。しかも前がO.N.O。つまり2時間半TBHR。口火を切った爆裂ファンキードラマーO.N.O。切れまくってた。ドラムの洪水が階下で暴れまくっとった。そしてダイが雷鳴らし、俺がマイクを握り、はい、TBHR3枚揃い踏み。3人でステージに同時に立つなんて前がいつだったか記憶にないね。そっから愛する大阪のオーディエンスとの別れの宴。5,6メートル下のダンスフロアー。いつもの様に手が届く距離ではない中、届くと信じて言葉を撃っていく。一言づつに反応してくる歓声。ちゃんと聞こえてたよ。90分は一瞬やった。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。関西の友人達よ、PHASE 3も数え切れない夜を我々に与えてくれてマジでありがとう。皆、そのまま元気で。また遊びましょう!
終演後は2つのステージのそれぞれのトリ、クラナカとOKI DUB AINU BANDという、これもZETTAI-MUならではの意味深いROOTS SOUNDを聴き、揺れながら、O.N.Oと行ったり来たりして楽しみました。外は明るくなってきて、秋の涼しさがあった。長かった夏は列島、この週にどこも終わった感じがするね。いいタイミングだ。全ては枯れていく。次の再生のためにね。DJ KENTARO見つけてゆっくり話したり(いつ会っても俺等は変わらない)、凄腕すぎる絵描きの皆と出会い、短い時間だったけど良い酒をいただきました。クラナカ、タケシ、ケイシ、ありがとう。
スタッフの皆さん、ご苦労様でした。
翌日はまだ抜けぬ酒を引きずり、そのまま金沢へ。AUTUMN BRIGHTNESS TOUR以来だったから2年ぶりか。でも金沢の仲間達とは色んな所で会ってた。明生とヨシミツが迎えに来てくれてた。宿に入り、まずは洗濯、で飯。寿司がいいか、鍋がいいかと聞かれ、う〜ん、そうだな、連日の乱れまくってた食生活を省みて、よしっここは鍋!歴史を感じる最高の雰囲気の中、極上の鍋をいただきました。う〜まかった〜!養生できたよ。ありがとう!でAFTERHOURS行って、タマさんにも久々再会して、芋焼酎軽く飲んで、明日の打ち合わせをして、楽しみすぎになって、ここは
休んでおこうってなって宿に帰って寝ました。翌日、15:00に、今夜の箱21世紀美術館に着くと、既に舞台は出来上がっていた。明生を始め金沢の皆が朝から動いていてくれたんだ。ありがたい。しっかりやらせていただきます。撮影に来てくれた森ちゃんと、宇宙軒でしっかり喰って、
箱へ。ウェルカムテキーラ+ヨシミツのDJでお客は暖まりまくってる!で、出番。金沢、北陸、果ては日本中から集まってくれた皆、初っ端から全開だったね!がっつり上がってた!こっちも最高のテンションで駆け抜けた。上がりと深み、共に極限だったね。皆の視線に魂がこもってたよ。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。金沢の愛する仲間達との偉大な歴史にまた1つ大きな1歩を、全員で刻んだ夜だった。
1人1人の協力、尽力のおかげで本州最後のライブ、最高なものにできました。YORKとも邂逅した。打ち上げはこれまた金沢の底力全開!マジで極上な焼き肉に完全KOでした。ワイワイ楽しい時間だったね。最高な仲間の笑顔に囲まれ、長かったツアーが終わってしまう事実にここで初めて
気づいてた。明生、そして仲間達、本当に最高の夜をありがとうございました!皆、元気で!
金沢翌日、朝9時のフライトで新千歳空港へ。何度も何度も旅立っては凱旋を繰り返し。本州全てのスケジュールは終わった。残すは道内2カ所。
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