MESSAGE FROM BOSS
2012.1.1(#2)
ステージには3度立った。全てクラムボンのライブ。1度目は震災から100日目の仙台。その日に仙台でライブがあることを知り、ミト君にメールした。俺は正直、沈黙を続けていながらも、あの曲は、つまりクラムボンと創った「あかり from HERE」は、まさに、この今しかないと思ってもいたんだ。ここで、この年に鳴らさないでいつやるんだと思っていたんだ。その気持ちをクラムボンの皆も受け取ってくれた。空港からのバスの窓から大きな傷跡が見えた。郁子ちゃんと話し合いながら歌詞も変えて、プレッシャーを与えることなく、とにかく丁寧に、気持ちを込めて大事に、あの曲を4人で鳴らしたんだ。2度目は北海道であったJOIN ALIVEというフェス。北海道で初めての演奏になった。その時に俺は感じたんだ。絶望し、迷い、きっかけを待っているのは東北の人達だけじゃないのかもしれない、と。無論、程度の違いはあっても、皆、同じ苦難を共有しているのかもしれない、と。あの曲は岩見沢の空に大きく羽ばたいていったんだ。なっ!メグロック。そして3度目の演奏でその想いは確信に変わっていった。最後の舞台はフジロックフェス、しかもグリーンステージ。こんな形でここに立つとは思いもしなかった。その日は前日から土砂降りで、俺自身4度目のフジロックだったけど最悪の天気だった。山の下では洪水で大きな被害が出ていた。そんな朝1番のライブ。雨が止み、不思議な空白地帯が生まれ、とてつもなく大きな空間にそれはコダマした。7、8分が3回。2011年にステージで俺が言葉を発したのはそれだけだったけれど、最小限が故に、シンプルに、言いたいことは言わせてもらえました。クラムボン!、スタッフさん、そしてクラムボンのファンの皆、機会を与えてくれてありがとうございました。
昔からずっと知っていた同郷の友人の死、そして親友の死にも直面した。2人とも俺等の音楽を信じていてくれた。俺が何をやろうとも、新しく何かに挑戦しても、ずっとずっと俺を肯定し続けてくれていた。甘えとかじゃなく、馴れ合いとかじゃなく、ただずっと信じてくれていたんだ。2人がいなくなって、時間は過ぎていく一方だけれど、不在はその日以来、何も変わらずにただただ悲しい。2人に聴いてほしかった言葉は沢山ある。これからのライブも観てほしかった。本当に大切なことを2人には教えてもらったけれど、その代償にもう2度と会えないなんて、残念としか言いようがない。
俺は2人のことも歌っていくよ。
そして言葉は、思った通り、我慢した分だけ、しっかりと確かに降り積もっていった。これまではアルバムくらいの言葉量になると、海外で腰据えて、じっくりとその期間に書き上げることが多かったけれど、今回は全てを日本で書いた。というか今の日本以上に、インスピレーションを与えてくれる場所なんて世界中のどこにもなかった。ロンドンとニューヨークにも行ってたけれど、心は常に日本に向いていた。この大切な機会を無駄にするわけにはいかなかった。アウトプットは前述の7、8分が3回だけ。それらもその場の空気に溶けていって、もうない。あとは全てインプット。そのまま仙台に残って書いたり、北九州にしばらく居て書いたりもした。残りは札幌で書いていた。ひたすら書いて、直して、書いていた。以降も、多くの方々からライブやレコーディングの誘いをもらった。皆、真剣で、こんな俺の言葉を必要としてくれていたけれど、気持ちには応えられなかった。その時点ではまだ足りなかったんだ。俺がのうのうと制作などと言っている間に、実際に体を酷使し、動いている人達が大勢いる。そんな沈黙を続けている以上は!
俺は!簡単に!適当な言葉を見繕って!顔を出すわけにはいかなかったんだ!自分自身の答えを見つけるまではやり遂げなくてはならなかったんだ!
そして・・・、言葉は我が身と一体になった。遂にそうなった、と言える所まで辿り着いた。だから帰ってきた。まだ間に合っている、と思ってる。
東北は今も苦難からの再生の途上だ。福島も。原発は冷温停止したとは言われているが、本当のことは誰にも分からん。そもそも政府の発表をそのまま信じることはもうできなくなってしまった。信じて死んだって奴等は何もしてはくれない。そういうもんだ。さっきも書いたけどもう一線越えたんだ。ましてやあんな手に負えないものが、既に大量に、野に、田に、海に、川に、空に放たれてしまったんだ。
これから我々は音楽を発表します。それは今までの沈黙の裏側、心を巡っていた無数と言っていい思考の中から具現化され、選ばれた言葉と音です。
札幌は吹雪の中。それが全て鳴り響く春はまだ先です。今はそれの完成に向け、努力を続けます。まずはシングルが来るぜ〜!
今年もよろしく!!
ILL-B
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