MESSAGE FROM BOSS

2012.6.1(#2)

函館に行ってました。そこは俺の故郷です。そこで生きていたラッパーY to the ONEに「TOTAL」を持って行きました。彼が突然この世を去ってから、初めての帰郷になりました。何と言うか、俺は、手をつけたアルバムを完成させるまでは帰るわけにはいかないって思っていた。「TOTAL WORKS」を観てくれた人は解ってると思いますが、「TOTAL」の11曲目「STAND ON THE WORD」の間奏で聴こえてくるメッセージは生前のY to the ONEの肉声です。函館も、Y to the ONEも、どちらも深く気持ちが入っている事で、至極個人的な話になってしまいますが、少しだけ。俺は高校まで函館にいて、大学入学と同時に札幌に出てきた。そしてそこからHIP HOPに出会い、RAPを生業に今を生きている。そのRAPを始めてまだそれほど時間が経っていない頃、俺は故郷函館にライブに行ったんだ。もういつだったかははっきり憶えていないくらい昔。その時、函館で俺等を迎えてくれたクルーの中にY to the ONEはいた。その時、彼はまだ中3。中3だぜ。あの時代、今から15年くらい前、中3でラップやってるって事がどれくらいスゲエ事かって、今の中3には解んないと思う。とにかく、俺は驚いたな。
このままやり続けたらどんなラッパーになるんだろって思った。それから、Y to the ONEはずっと函館でラップしてた。心を病み、独りで、囚われの孤独の中で、傷つき、もがき、のたうち回りながら。やがてあいつのスタイルは特異な形で進化を続け、世界中の誰にも似ていない境地にまで辿り着いていた。東京の音楽評論家達に面白がられたりもしながら、Y to the ONEは頑張ってた。ここで数行で書かれるような簡単なもんじゃない。あいつは1度地獄を見てきた男だ。そしてそこから戻ってきた男なんだ。あの頃のあいつの作品は、そんなキツい状況下でも諦めずに、確かに目に映る、確かに聴こえる、あいつにしか感じない錯乱混乱したこの世の景色を全てあるがままに描ききった点で究極。自分を笑い、呆れ、決して腐らずに、畜生、負けねえぞと最後までラップで歯向かった点であいつは勝者だ。そんな葛藤の時代を経て、やがてY to the ONEは、いつしか、だんだん優しくなっていった。本当の事はあいつしか知らないけれど、それはまるで憑き物でも落ちたような、心の平安を力を抜きながら歌うようになった。その頃の作品は、こうして死んでしまった今聴くと、改めて深い味わいを出してくる。あいつは苦しんだから優しくなったんじゃない。本当は元々優しい人間だから、苦しんだんだよな。心の迷路に迷い込み、お先真っ暗憂鬱な冬、苦しみ
抜いて、その苦しみを乗り越えて、元に戻ってきたんだよ。そして心に残った苦しみの小さな種を抱えて、それが再び騒ぎださないために、優しく、元々よりも優しくなったんだよな。今なら何となく解るよ。全く見当違いかい?そんなもんじゃねえって怒るかな。あの頃は今よりも情報もなくHIP HOPで生きてる人間も少ない頃、会うのは年に数回あるかってくらいだった。会う度、函館でラップし続ける難しさを俺に話してた。そして必ずこう言った。「俺はただBOSSさんに認められたくてやってるんです」って。いっつもそう言ってたし、そう書かれた手紙もよく送ってきてた。俺は、その頃はそんな言葉なんて構っちゃいなかった。そりゃそうだ。何故なら俺も自分のスタイルを探してる最中だったし、生活はどん底の更に底、そりゃひでえもんだったから。懐かしいな、ヨネ。礼も言えない、無礼な俺を許してくれていたのかい?

それから、時間は過ぎ、有り難い事に俺は音楽で生計を立てるに至った。そうなると変わった事がある。それは遊びでやっていた頃とは違い、いつだってお客を相手にするって事。つまりはお客の満足、不満足と向き合わなくてはならないって事。そうなったらそうなったでハードな仕事だよ。褒めちぎられ、持ち上げられ、ただの俺を神様みてえに呼ぶ奴すらいる。貶され、バカにされ、俺の事を俺より知ってるかのように語り出す奴すらいる。笑えるかい?憐れむかい?ま、笑ってくれよ。別に大した事ねえ。それがUNFORGIVENなラッパー稼業ってやつだ。
それも給料に含まれてる。でも、でもY to the ONEは、ずっと俺を肯定してくれていた。俺だって解ってるさ。そこまで浮かれちゃいねえ。
俺の全てが正解じゃないし、俺の間違いや勘違いを含めた上で俺なんだ。でもY to the ONEは、ずっと俺を肯定してくれたんだ。無条件で。それで、そこに頼ったってさ、何にもならない事くらい俺も知ってた。喜んだって、変わらずにゲームはハードなままだ。いつだって独りよ。褒められたくてやってるんじゃねえし、かといって誰にも相手にされねえんなら面白くねえ。そんなラップゲーム。俺の事は俺しか知らない。
俺はさ、ただ嬉しかったんだよ。昔から俺を知っててくれてるあいつの言う事に勇気付けられた。ささやかな自信を取り戻す事ができたんだ。
俺がどこかでY to the ONEについて話してる録音物を聞かせながら、「BOSSさんが俺を認めてくれてるんだぜ」と、あいつが言ってたってあいつの母さんが話すのを聞きながら、自然、ずっと思っていた事が俺の中ではっきりした。あいつが死んだと聞いた瞬間から、俺は、そんな有り難い気持ちを受け取っておきながら、受け取るだけで、何故、何かあいつに返してやらなかったのだろうと、ずっと考えていたんだ、と。
いつか、いつかって、いくら思っていたって、今となっては全て遅い。遅きに失した。俺はあいつの親切に応えられなかった馬鹿野郎だ。

Y to the ONEに最後に会ったのは、2008年のクリスマスイブ。俺等が函館でライブをやって、MUSTANGもやって、Y to the ONEも俺等の前にやって、そしてカリフォルニアベイビーっていう店で軽く打ち上げしながら呑んだ。その店ってのはさ、俺がまだ高校生の頃には、すげえオシャレな店って言われてて、それこそクリスマスなんて、彼女とそこでデートしたなんて言ったら、仲間内でスゲエなって事になるような店でね、それからずっと時間経って、2008年のクリスマスイブ、よりによって何でオマエといなくちゃならねえんだよっ!とか言ってさ、馬鹿笑いしながら呑んだんだ。それが最後になるなんて、もちろん知る由もなかったけれど、とにかく楽しかった。楽しかったよな、ヨネ。
俺は、先週、Y to the ONEの父さん、母さん、兄貴と別れて、そのカリフォルニアベイビーで、あの夜と同じ場所に座って、あの夜の事を1人で思い出してた。もっと話したかったな。何かさ、もっともっとってキリない感じだけど、こうしてもう2度と話せないって知ってたら、もっと言いたい事、聞きたい事あったのに。俺はとっくにオマエを認めてた。そしてオマエに認められ続けたいって思ってた。「TOTAL」、最高だぜ。オマエなら解る。細かいとこまでオマエならどれだけヤバいかが解るはずだ。「どうせ皆すぐにいなくなる」ってな。確かにな、言いたい事があったら言っといた方がいいよな。死んじまったのは本当に残念だ。運命を呪う。言いたい事があったら言っといた方がいい。
うん、そうだ。愛でも感謝でもな、すぐに言っとくべきだよな。それを学んだって事にするよ。ヨネ、教えてくれてありがとう。またな。



言いたい事はまだまだあった。言わなくてはならない事も多かった。それらを面と向かって言っていく旅が始まる。やる気満々だぜ。汚ねえ罵りあいなんかじゃねえ、死をも乗り越える、俺の、俺等のHIP HOPを聴かせて回る。短い人生1回、楽しまなくちゃ損。皆、待ってるぜ。

THA BLUE HERB「TOTAL」RELEASE TOUR 開幕!

ILL-B



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