MESSAGE FROM BOSS

2013.4.1(#2)
そしてやってきた「CAN'T STOP TALKING TOUR」。あれから2年後の週末。東北東海岸側を巡るツアー。あの日、2011年3月11日からこの日の事を想っていた。生業云々以前に、言葉で生きてきた俺がそこで何を言えるのか、苦悩してきたと言っても過言じゃない長い長い時間だった。2年かかった。
宮古、大船渡、石巻。目指すは東北ライブハウス大作戦というプロジェクトによって生まれた3つのライブハウス。ただの金土日なんだけど、明らかに気持ちの中、特別な感情が腰を降ろしてそこから動かなかった。どうなるのか、何を見るのか、何を感じるのか、全く解らないまま飛行機に乗りこんだ。
初日。まずは花巻空港へ。そこで今回のツアーメンバーと合流。運転&ツアーマネージャーの東田君。写真のHayachiN。映像担当の川口君、ピーさん、ノリP。皆、不安と気負いとかはそれぞれ背負ってはいたけど、まだリラックスしていた。一路東、宮古へ。山深い。途中、何気に立ち寄った道の駅で店員さんにサインを求められる。驚いたね。同時に上がったよ。何か1つの弾みがついた感あったな。宮古到着。箱はCOUNTER ACTION。そう、札幌のあのライブハウスと同じ名前。つまり同じのれん。あのロゴを見るとアウェイに来たって気がしなかったな。お店の皆の気遣いも身にしみて暖かかった。ご飯も旨かった。先に来ていたPAのナオミ、照明の畠中両氏、ウルトラ池田君とも合流。PAも照明も先週3発も一緒だったけど、今日もリハは念入り。本番まで少し街を歩く。箱の周りも海が近かったけど、街全体に被災の後は余り見られなかった。俺が歩いた狭い範囲に限ってだけど。そして箱へ戻り本番。この日は高校生以下は特別料金で入れたので見るとそれらしき人もチラホラ。さあ、始めよう。その道は、険しかった。俺の気負いとリリックのバランスがとても深い所でギリギリに保たれていた、と思う。観る人によっては保たれていないと言われてもしょうがない。それくらい剥き出しだった。約2時間の長丁場。上がったり下がったり、お客との心の距離も近づいたり離れたり。揺れたり取り戻したり。こっちでも、今夜は一体どういう終わり方になるんだろうってやりながらも想ってた。でも最後は1つになれた。輝きも見れた。未来も見えた。俺、今はそう記憶している。正直、ステージ上のこっちも一杯一杯だった。2時間近く言葉を並べたけれど、言葉足らずの表現もあったと思う。精一杯ありのままっす。そんな中、最後までそこで聴いていてくれてありがとうございました。終わってからも外には、寒い中、多くの人が待っていてくれてた。1人1人、とても重い現実を生き抜き来ていた。
俺などよりも人生の1つの答えを知っている人ばかりだ。彼等、彼女等の話を聞かせてもらって、俺はそこで今回のツアー初めて、目、耳、実感として震災を感じたんだと思う。皆、本当にありがとうな!俺にできる事は本当に限られてっけど、そんな俺の生に、存在に、言葉に、音楽に、この街で意味を与えてくれて感謝です。チャンピオンになれよ!そしてジュン、社長(美味しいご飯ごちそうさまでした)、関わってくれた皆さん御世話になりました!

2日目、寝ていたら地震が。その後、街の防災無線の声で津波情報が。心配はないらしいが、自分がどこにいるのかが寝起きからはっきり解った。起きてメンバー集合。そこからまずは浄土ヶ浜へ。ここでも優美な景色に目を奪われ、そこが被災地なんだとは実感し難かった。お土産屋の中でその日の写真が貼ってあって、それを見ると、ここも相当な被害が出たらしい。しかし、建物自体からはすでに傷跡は消えていた(ように見えた)。そう、俺等は、まだ自分の目では見ていなかったんだ。そこから国道45号線を一路南へ。今夜の舞台大船渡を目指す。途中山田町を通る。道の駅で軽く休憩。店は賑わっていた。至る所に復興への合い言葉みたいなのが見受けられたが、その時点でもまだ見てはいなかった。そこから大槌町へ。ここで一行は初めて目にする。
何もない更地を。置き去りのままの家々の基礎部分を。その間取りを。そこに書かれたメッセージを。そして大槌町役場の姿を、見たんだ。余りにも何もないので、そこがそもそも街だったのか一見しては解らない。あの日から2年。その時間はガレキを片付けさせ、雑草を一面に育てた。少しずつ心の中に広がっていくあの想い。あの日2011年3月11日に感じた感覚が蘇ってきた。それは俺があの日まで1度も感じた事も信じた事もなかった感覚。それとは言葉の無力感ってやつだ。あの感覚を振り払い、ゼロから言葉を書きため、揃え、曲にして、更に時間をかけてここ東北東海岸側でライブをできるまで自分自身を立て直してやってきたのに、いきなりまたあの感覚が俺を乗っ取り始めたんだ。見渡す限りの生活の痕跡しかない無の世界。覆ってる静寂。
同じように言葉を失った一行を乗せ、国道45号を道は続く。釜石を通ってる間も、もうそこからはずっと。ずっと津波に破壊し尽くされた小さな集落を目にした。怒りも諦めもなかった。ただただ悲しかった。車内で音楽なんてかけられなかった。代わりに寝てもいられなかった。皆、精神的に一気に追いつめられていった。そして大船渡へ。ここも流され更地になった景色が広がっていた。見ると一軒だけ建物が。1階部分は流され空洞になってる。そこの2階が今夜の舞台。え?ここ?って感じだった。この時点で体調崩したのが2名。それの原因がどこから来てるのかは解らん。でもやらなくてはならん。やるために来てる。そして辺りが暗闇に包まれると、建物全てが流された街(の跡)は、風の天下だった。容赦ない風音が、まるで何かの泣き声のようにずっと耳に迫ってくる。俺を脅すかのような向かい風を耐え抜け、本番。そこは小さなライブハウスだったけど、中は暖かかった。っていうか熱かった。辺り360度全てが破壊された世界で、そこでだけ生のエネルギーが爆発していた。熱が1つに固まっていた。あの風音も、ライブの間中、静寂のシーンの度に忍び込んで泣いてた。でもそれは何かを恨んでるようにはその時は聴こえなかった。私事になりますが、本当に諦めないで行って、言って良かったです。あの夜、縁で、そこに生き合わせた皆のおかげです。そこで聴いていてくれてありがとうございました。沖縄、そして皆さん御世話になりました!



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