MESSAGE FROM BOSS

2013.4.1(#3)
3日目。起きてカーテンを開ける。辺り一面、やはり何もない。ただの更地。ここが街で、色んなお店があって、沢山の人が行き来していたとは、やはり思えない。頭では解ってるんだけど、視界からそれは想像できない。今回行って思った事の1つに、そこがあの日以前はどんな街だったのかを本当に知りたいと思った。航空写真の比較とかじゃなくて。路上の目線で、生活の視点で知りたいと思いました。それ程に、何も、全てがないのだ。一行は再び国道45号を南へ。陸前高田を通る。ここも、ない。街の跡は2、3個のビルの廃墟しかない。車のナビには郵便局、銀行とか出ているんだけど基礎すらない。
一面の雑草の平原。ナビでは駅前となってる所、賑やかだったであろう所も、ただロータリーの跡しかない。そして俺自身、言葉がない。昨日、大船渡のライブで乗り越えたかに見えたけれど、現実は甘くない。よそもんの音楽などで全てが救われる程の被害ではまるでない。目に映る、人の跡を黙示する光景が、再び無言で襲いかかってくる。とにかく大きな街が丸ごとなくなってたり、小さな集落でも湾という湾、全てが、ないのだ。そして湾から山側に入った草原には、細い棒に結ばれたリボンが風に揺れていた。それはある場所には寄り添うように複数あったり、ある場所では独りであった。悲しい。
気仙沼、南三陸町、被害は甚大だった。目は慣れない。気持ちも全く慣れない。ため息も出ない。言葉は、また根こそぎ奪われていった。一行は石巻に到着。感傷に浸ってる暇などどこにもない。常に俺達は追われていた。自分の頭の中を整理するのはそれぞれがそれぞれの時間でやるしかない。ただの金土日なのに、とても遠い所に来た感覚だった。元新宿ロフトの上野君の案内で石巻を少し走る。あの日から100日後、仙台でクラムボンがライブやった時に、俺、1曲だけ参加して、その翌日に俺は石巻に来ていた。そしてまた同じ場所に立った。何も変わってなかった。ガレキは片付けられてたけど何も解決なんてしていなかった。何も解決なんてしていないし、っていうか俺や俺等などに解決なんてできもしない事だ。できる事は、今夜音と言葉を鳴らすだけ。それだけ。いつからか解らないけど、とっくに吹っ切れてたぜ。疲労は心も肉体もまさにピークだったけど、気持ちはまだ消えちゃいなかったぜ。
遠慮なんかしねえ。それこそ失礼だ。好きか嫌いしかねえ。好かれたい、この言葉で癒されてほしいなんて思ってちゃまるでダメ。貴重な2年後の週末に来てくれた人、しかも柔らかい音楽なんかじゃなく、他でもないガチガチな俺等THA BLUE HERBを選んで、わざわざ足を運んでくれた人達だ。真正面から堂々やるしかねえ。伝わるか伝わらないかは関係ねえ。そんな気持ちだった。俺等、追いつめられまくってもう前に出るしかなかったんだ。完っ全に手負いよ。俺等が生きてるってのを証明するには前に出るしかなかったんだよ。そしてライブは、本当に素晴らしかった。輝いていたよ。皆の目の中が輝いていた。俺には未来が見えたよ。本当だよ。本当。そこで聴いていてくれてありがとうございました。タカオ君、そして皆さん御世話になりました!

今、札幌に戻り、いつもの生活から皆を、あの夜を、街を想う。3回のライブ、あの場で語られた言葉、あれは一体どこから来たのか、と。俺一人の力で辿り着いた言葉とは到底思えない。ただの金土日。ただの週末。でも俺等は相対性理論の及ばない所で生きていた。時間の価値ってのは長さじゃないな。やっぱり濃さだよな。人生ってのは本当に短いけれど、儚いけれど、失われていく土砂降りの中の涙のようなものだけれど、頑張ろう。生き切ろうぜ。
そう。またあの場で皆に会う事を約束してきたんだ。憶えてるかな?憶えてるさ。またきっと会える。あの続きは絶対にある。未来は俺等の?ってね。

出会った人。地元の人、近隣の人、ボランティアで来ていた人、情報を広めてくれた人、1人1人、ありがとうございました。NBC作戦続行中です。



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