MESSAGE FROM BOSS

2014.1.1(#3)
札幌。この日が遂にやって来ました。地元中の地元、GHETTOでのライブ。最後にそこでライブをやってからすでに15年経った。時は極寒のクリスマスイブ。
平岸を出て、地下鉄乗って、ススキノで降りて、ポールタウン歩いて、狸小路に出て、そのまま東に向かう。15年前と同じ道のり。昔はシスコに寄って、相方O.N.Oの働いてる店に寄って、で、何か喰って行ったりしたな。金もなかったからせいぜい良くてもびっくりドンキーとかだったな。観光客が去り、すっかり暗闇に包まれた2条市場。そこの地下1階。中に入るともうその時点で懐かしかったもんね。何もかもが昔のまま。札幌ヒップホップの源泉GHETTO。KOJIも来て、TAMAも来て、YAMAさんも来て、続々とあの時代の顔ぶれが揃ってくる。リハしっかりやって(昔はリハなんてやった事なかったね)、いざ本番へ。
リリックスのあちこちに出てくる実在の名前、エピソード。笑い話も悲しい話も、生も死も、15年の歳月を超えて蘇ってきてた。漂うヒップホップの亡霊達。
お互い15年分生きたけど、それでも今も関係が何も変わらない仲間達。10年以上ぶりに再会したかつての仲間達。そして今の俺等を支えてくれているお客達。
気付けば2時間経ってたよ。ありがとうございました。貴重すぎる帰還でした。ここでは書き切れない想いがそこにはあった。変わった事、変わってない事がはっきりと存在していた。俺はあのささやかなステージで確信してた。ファッションとか、流行とか、金とか、スタイルとか、そういうモノでは計れない事をラップしていく、この道にも、ちゃんと辿り着く場所はあって、年を重ねれば重ねる程、そこに深みが表れていく。40超えたヒップホップも悪くねえなって。
っていうかまだ40じゃねえかって。これからも色んな事が起こる。札幌の昔からの仲間、今の仲間、これからの仲間。悲喜こもごも、色んな事が起こるんだ。
あの場でも言ったけど、俺が覚えておかなくては忘れ去られていく事、誰にも知られずになかった事になっちまう事、それらはGHETTOみたいな、あんな狭い場所でもずっと確かに起こっていて、きっと日本中、世界中でそれらは起こっていて、新聞やテレビに出るような大袈裟な事ではないけれど、そこにも真理はあって、そういう生き様、死に様を口承で伝えていくのが俺等のヒップホップでしょ、そう確信していたよ。YAMAさんが皆を笑わせ、O.N.Oがカウンターに入って酒を作り、WACHALLがビズを回し、KOJIが歌い、皆で歌い、笑い、呑み、話し、その夜はこうして賑やかに過ぎていった。酔いつつも、醒めていた。
夜明けにはビートが満ちるように、何かが変わってく、俺は信じてる、朝方、水曜の朝方、現実の世界はクリスマス。枕元に置いてきたプレゼントを子供達が見つける頃、もう父親になったかつてのDJは、朝9時の会議にそのまま向かった。その後ろ姿、十分ブルースが鳴ってたぜ。最高に詩的だった。昔とは違って酒の抜けもキツいだろうな。頑張ってんな。頑張れよ。年末の忙しい中、来てくれた皆、生き残ってまた会おう。GHETTOよ、永遠に。たかし、ありがとう。

東京。2013年のラスト。舞台は昨年のラストと同じ渋谷ASIA。この夜はBRAHMANとの激突。この時代、この国屈指のライブ強者。今年も色んな人達と同じステージを分かち合ってきたが、年末土壇場、とてつもないヤマが用意されていた。ジャンルが違うからとか、バンドとターンテーブルだとか、何の言い訳も通用しない、超えるか屈服するかの大勝負。思えばもう10年以上前に初めて競演して以来、彼等はいつも全力で走り切っている。離れた北海道でもそれは俺、いつも観て、聴いていた。最近は縁あって、よく話すようにもなった。いつも笑い話が多くて、それは穏やかな時間が多いし、この間柄はシンプルに友達、と呼べるかもしれない。でも俺は知っていた。彼等は本物の音楽の化物だって。人の皮かぶってはいるが、本物の獣だって知っていた。だからこそ、あの普段の穏やかな時間なんだ、と。もし闘う場面で会えば、幸か不幸か会ってしまったならば、潰されちまう事もあり得る奴等だ、と。それは何もTOSHI-LOWだけの事ではない。バンド、そして支える裏方、BRAHMANと呼ばれるチーム。この凄みをずっと場面場面で思い知らされてきた。こういうチームを俺も作りたい。
そう素直に思ってた。俺等、俺等を支えてくれているPA、照明、マネージャー、カメラ、映像、彼等彼女等とがっちり組んでチームで動くようになったのも、BRAHMANを知ったから。そしてその時は来た。その時は、空気の薄さと熱気も相まって、とても、とてもキツかった。そこでの俺等のパフォーマンスがどうだったか、一夜明けた今、ほとんど覚えていない。俺は夢中にいた。ただ、1つだけはっきりしている事がある。それは俺も持ってる全てを出し切ったって事。
こっちは斬り合う覚悟で行ったから、こうして無事に翌日を迎えられた事に安堵すらするよ。無傷ではないが、俺は生き残った。この傷は俺をまた成長させてくれる事だろう。ライブ終わりは朝5時。濃密なパーティーだった。結局は自分との闘い、それは終わり、そしていつものように、乾杯、笑い、穏やかな時間があった。あってくれた。東京、いつもの事だが、最後に良い勉強をさせてもらいました。今年最後、最後まで付き合ってくれた皆、ありがとうございました。



もう1度。平安な1年を、そして愛する皆の幸せを祈ってるよ。また笑って会える事を、どこでも行けて、何でも言えて、大きく広がっていける事を祈ってる。


新年早々、長文失礼しました。
今年もよろしくお願いします。

ILL-B



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