旅とインスピレーション
● リリックは旅先で書くことが多いんですか?
日本で書いたのもあるけど、ほとんどは旅の間だね。朝起きてから寝るまでずーっとそれだけなのさ、書くとなったら。それを1ヶ月とか1ヶ月半とか、その生活を続けるわけだから、なかなか日常生活では出来ないよね。いくら周りが気を使ってくれたとしても、俺もやっぱり気を使うしさ。だからそういうことを完全にシャットアウトすると、2週間後くらいからの後半が、すごい。研ぎ澄まされるっていうか。
● 具体的にはどんな場所に行って書いていたんですか?
今回はネパールのカトマンズか、アムステルダムかバンクーバーの3箇所の内のどこかに行こうと思ってた。結局カトマンズとアムステルダム。俺の場合、やっぱ都市じゃないとダメなんだよね。街っていうかね。Tha Blue Herbの曲ってさ、オーガニックなものではないんだよね。俺の好きなヒップホップっていうのは分かりやすく言うとストリートで知る知恵っていうか。都市生活で感じる寂しさとか、郷愁だとかロマンだとかっていうのが、俺がヒップホップで大好きな部分だからさ。だから、南の島とか山とか行っちゃうと、「人と人の間に生まれるモノ」がないからダメなんだ。そういう所に行っちゃうと、逆に全く書けない。全然知らない街に行って、多くの人に紛れながら歩いてさ、色んな人をずっと見てることでインスピレーションを得ることがすごく多い。俺が南の島で書いたものを札幌に持って帰ってきても、絶対札幌の人たちの心にはフィットしないと思う。あまりにもかけ離れてるから。緊張と脱力っていうか。人種は違っても、街で生活する人達ってそれはそれで1つの人種なんだ。考えてることなんて大して変わらないからさ、実際そこなんだよ。沢山の人がそこにはいるのに、みんな寂しくてさ、すれ違って、そして誰もが愛を探しているんだ。
● 確かに、都会の生活ってどこも同じかもしれないですね。
うん。ヒップホップっていうのはそういう所の音楽だと俺はそう思ってる。聴かれる環境って意味じゃなくて、あくまで産まれる環境としてね。都市生活する上でのツールっていうかさ。教科書にないことも、そういう音楽を聴いて道筋を与えられる。路上の知恵なんだよ。霧深くて影があって、それがすごく俺の心にフィットするんだよね。
● 少しは「影」の部分がないとダメなんですかね。かつて、一番最初に(六本木COREでのライブの二日後)インタビューしたときにも、Tha Blue Herbは「痛みの音楽だ」って言っていたのがすごく印象に残ってるんですよね。
南部のヒップホップでもなくて、カリフォルニアのヒップホップでもなくて、俺が大好きなのはやっぱりニューヨークのヒップホップなんだ。あの時代、94〜97年のヒップホップは全部そうだったもんね、暗くて寂しくて、寒くてさ。そしてそういうシチュエーションの中で燃やすタフさ、これが最高に好き。しかも、俺はそこで止まってるから、影響されたヒップホップに関しては。今の子たちはまた全然違うんだろうけどね、俺はそんなヒップホップがルーツなんだ。
ヒップホップと活動姿勢
● 今回のアルバムには、音楽的にはハウスやテクノの要素もたくさん入ってると思うんですけど、今「ヒップホップをやってる」というこだわりはどれくらいあるんですか?
自分等の内側の問題であってね、外側に向かって言う必要はもう全く感じないね。俺等の問題だよ。周りは勝手に言っててくれればいい。まあ俺にとってはねライム(韻)ってさ、ものすごい不便なルールなわけよ。例えば、J.S.S.だとそんなルールはないから、いくらでも(好きなように)表現できる。でも逆にそういう風になるとね、言葉が少なくなるんだよ。こっち(ラップ)の方はルールがあるから、言いたい事に近づこうとしてもなかなかすぐには近づけない。だからものすごい言葉が多い。ヒップホップにしかないルールだよね、これって。でも逆にきっと俺はそのルールがすごく好きなんだろうね。未だにそのルールから逸脱しようとしない。その中で表現を高めてやろうって思ってる。だから、俺はずっとこの場所にいるんじゃないかな。
● BOSSにとっては「ライミング」=ヒップホップってことなんですかね?
うーん、どうなんだろ。俺に関しては…… いやー、でもぶっちゃけね、今皆さんが「ヒップホップ」って呼ぶものに関しては、俺一つも共感できるものがないんだ。ゲイを差別したり、ジルコニア着けてブリンブリン言ったり、高級車持ってねえのに持ってるって言ったりさ、全部がもう、超〜〜下らないんだよね。最高にどうでもいいっていうかさ。それがヒップホップなんだとしたら、俺は別に自分がそんなヒップホップじゃないって言われても痛くも痒くもない。そんな奴らと一緒にして欲しくない。ではなぜ俺はそこにいるのかっていうと、自分が表現する上で一番難しくて、かつ達成感もあって、しかも「出来る」、そのルールの中で1つ1つレベルを乗り超えられるってとこが好きだからなんじゃねえかな。あとは、さっき言った「街を生きていくための知恵となり得る音楽」っていうタフな側面。そこがすげえ好きなんだと思うね。
● では、世間一般で言う「ヒップホップ」には当てはまらないかもしれないけど、Tha Blue Herbなりのヒップホップをやり続けてるってことですかね?
俺はもう、昔からそういう世間一般で言うヒップホップに対して、言いたいこといろいろ言って来たけど、やっぱ変わんないからね。彼らは。俺がセカンドや、10年前のファーストで、「俺はヒップホップってこういうものだと思う」って言ったものとのズレは、全く解消されてないし、むしろ開いていってる。だから、俺は「彼ら」に対して(これ以上言うこと)はもうない、とっくの昔にない。俺らは俺ら。もう多分さ、俺らの思想がくたばるか、あいつらのがくたばるか、っていう長い勝負なのよ。昔俺らがぱっと出てきて、それまでヒップホップだって言ってた奴がみんなぶっ潰れて、みんな食えなくなったけど、それでもくたばり切ってないわけじゃん?確かに、「俺らがやってることがヒップホップなんだ」って思えた時間はあった。でもすぐに俺らの次の世代の人たちが、「これが今のヒップホップなんだ」っていう時代が来るわけで、今またそういう人たちが実際いるわけじゃない?そういう事ってさ、外部のことっていうかさ、メンタルなことではないわけ。外側の問題だから、そこでいちいち今は誰で、昔は誰だったとかってことに心を揺らしていると、音楽の世界で長生きはできないね。だから、みんなが「今は誰々だ」って言うことに対しては全く何も感じないね。そんなことよりも、俺等の言いたい事はちゃんとあってさ、それは聴いてもらえればハッキリするし、って思ってる。
● 確かにTha Blue Herbの音楽って、そういった流行とかの外部からの影響は感じられないですね。
ないね。全くない。相変わらずないね。
● それが今回は特に顕著に表れていると思いますよ。離れ小島っていうか、さらに遠くに行っちゃったっていうか(笑)。
でもね、聴いてもらえばわかるけど、遠くに行っているようで実は近づいて行ってるんだよ。「よくあるヒップホップの彼ら」にじゃないよ、聴いてくれている人達にだよ。今回のアルバムに関しては、俺はものすごい、普通の人、普通に仕事に通ってる人、公務員の人、喫茶店の人、学生、何もやってない奴、お母さんとかさ…… そういう人たちに向いて行ってるんだよね。ヒップホップの世界で一番取りてえっていう風には、もう思ってないんだよね、多分。そういうことではなくて、もっと「人々の歌」を歌いたいっていうかね。生活の営みの中で感じるドラマを歌っていきたいんだ。そういう風になってきてるから、ヒップホップのシーンからは遠ざかってるかもしれないけど、俺らはそんな小さいシーンを楽勝で含めた上で、普通の人に、人々に近づいてるっていう意識がある。となると、ほんとに遠ざかってるのはどっちなんだ?って思うわけ。