INTERVIEW
BY YUKO ASANUMA

ILL-BOSSTINO
#6[EXTRA]


Extra: 若い世代について

Mic Jack Productionの連中がさ、いろいろ試してさ、上がって来てさ、あいつらもあいつらなりの音楽を作ってさ…… 多分、あいつらにも少なからず影響されてると思うよ。同じフォーマットで、あいつらよりもいいもの作る、っていう。いい意味でのモチベーションの1つにはなってる。全てではないけど1つではある。何よりもさ、同じ街にレコーディングアーティストが他にもいるっていうのはいいよね。録りの事であったり、レーベル運営の事であったり、ツアーの事であったりさ、話せる奴らがいるのは純粋にいいよ。

● 確かにMic Jackはがんばっているし、いいもの作ってますよね。

がんばってると思う。いいもの作ってると思う。俺とかはさ、札幌でヒップホップのクラブに出入りして、若い奴らに「ヒップホップってこういうもんなんだぞ」とかさ、「いつまでもチャラチャラしてんじゃねえぞ」とか、全然やらねえ。俺は若いの引き連れて「なんとかクルー」とかやるのはもう、15年くらい前に止めちゃったから。めんどくさくて。だから超自分勝手にやってる。札幌レペゼンしてるとか言いながら、札幌の若い奴に直接何かしてやったかって言ったら、何もしてない。背中で語るっていうかさ、曲で語るスタンス。ただ、ジョージ(BIG JOE)はああいうクルー作ってさ、ちゃんとパーティーを月一でやってた。そこでヒップホップをあいつなりに広めていっていたんだと思う。でもジョージが今はいなくなっちまったんで、それを、あいつらが一生懸命やってんだよ。若い奴らを啓蒙するっていうか。そういうことを、あいつらはあいつらなりにやり続けててさぁ。去年の年末にあいつらのパーティーに遊びに行った時に、若いラッパーが出てたんだけど、どいつもこいつも若くて青臭えんだけど、真っ当なこと言ってんの。若いなりにね。ものすごいちゃんとしたこと言ってんだよね。それって、多分MJPの連中がちゃんとやってきたからだ、って初めて思った。ああ、すごいな、と思った。もしあいつらが、ブリンブリン大好きで、ヒップホップは暴力で、女コマしてなんぼだ、っていうようなことだけを歌い続けてたら、そういうラッパーは育たずに今とは別の事になってたんだろうけど。あいつらはあいつらなりに真っ当なことを教えてさ、若い奴も若い奴なりに、MCはそういうことを言わなければならないってことを知ってか知らずにかだけどちゃんと分かってるんだよ。そういうのを見るとね…… すごい、えらい、って思った。しかもあいつらは基本的にね…… いい奴らなんだ。本当の事はあいつ等にしか分からないんだろうけどね、あいつらもさ、それまではただジョージにくっついてただけなのに、ジョージがいなくなって、アツシ君(FREEZER BELL)も死んじまって、「じゃあどうすんだよ?」って境地に立たされて、今のMJPってものをあいつらなりに作ったんだと思うんだよな。俺は一歩離れた所からだけど黙ってそれをずっと見てた。自分たちの思想を広めなければならないってなってさ、最初は上手く出来なかったし、無駄なこともたくさんやってたけど、ちゃんと作ってやってるからね。見ててすごいと思うよ。

● 確かにファーストを出したときは、Shuren The Fireがいて、BIG JOEがいて、やっぱりその二人が目立っていたから、その二人がいない状態でここまでやっているのはすごいことですよね。

がんばったんだな。

● 今は全国規模で横の繋がりがすごく出来てますよね。大阪の韻踏合組合とかにしても。

そういえば、先週HIDADDYが札幌来てさ、俺を探し回ってたんだよ。フリースタイルしたいって。それで偶然街で会ってさ、挨拶もそこそこに一緒にサイファーやってさ、少しやって、俺も仕事あったからすぐにバイバイって行っちゃったんだけど。すげえ楽しかったよ。

● へぇー!!

面白かった。ほら、京都の一件あったじゃん?(*たまたま京都で東西のラッパーが多数出演していたイベント会場の前を通りかかったBOSSがフリースタイルを仕掛けられ、サイファーに参加した事件)ほんとに、あれは確実に俺にとってはターニングポイントだったんだよね。すげえデカイ経験でさ。それまで俺はずーっとアウトローで来てさ、「俺が日本のヒップホップ変えた」ってちょっとは思ってたわけよ。でも、あいつらは俺らのことなんて聴いてもいねえし、あいつらはあいつらで勝手にやってた。それを知れたことがまず一つ。いつでもどこでも言葉を返す準備を怠っていた自分の甘さに気付いた事がもう1つ。ま、こちとら新婚旅行中だったんだけどね(笑)そんな事はあいつ等には関係ねえからな。正直言って最初に仕掛けて来た奴とかは、未だに誰だったのかは知らない。でもああいう奴ばっかりだったら俺もこういう気持ちにはなれなかったと思う。挨拶もしねえで、名前も名乗らねえで、人の悪口言って終わるのがヒップホップなんだとしたらくだらないっていうか、全然創造性がない。でもあの後、漢が出て来て、あいつが汚い言葉一切使わないで、ほんとに言葉のクオリティだけであんな長いの(フリースタイル)やった時はね、「ああ、練習すればこんな風になれるんだ」って思った。そんなこと思ったのはすごい久しぶりだった。こういう気持ちになれたのが最後の1つ。「ああ、まだまだ練習すれば、俺ももっと上手いラッパーになれるんだ」って。教えられたよ。感謝してるよ、俺。そうやって、みんなでどんどん研ぎ澄ませていくことが出来るなら、絶対間違った方向には行かない。俺も努力して、練習して、上手くなりたいって思った。俺本当に思ったし、自分がまたそういう気持ちになれたってことが、嬉しかったよね。
最初は俺たちも、ああいう風にドーッと出てくる若い奴らとどうやって付き合って行ったらいいのか迷ったんだよ。シカトこくか、潰すか、めんどくせえことになるのか、ってさ。でも、KRUSHさんが俺らのこといいって言ってくれた時は、俺たちの曲とか、やってることを見て言ってくれてたわけじゃん。それで、まあ本人はフックアップしたつもりはないって言ってるけど、実際曲をかけてくれた、そのお陰で今の俺たちがあるんだよ。だったら、俺たちはKRUSHさんにそういうこと教えてもらってんのに、ちゃんとすげえことやってる奴がそういう風に出て来たときに、ガキだからとか、分かってねえからとか言うのはダサいっしょ。KRUSHさんが俺らにしてくれたことを忘れてないんであれば、俺たちもちゃんとやってる奴らのことは向き合って評価していかないと。本気で俺はすごいと思ったからさ。ちゃんと努力して、練習して、上手くなっていかなきゃだめだって、そのときに思ってから、俺変わったんだよね。それも、3枚目のアルバムを作る上でのターニングポイントの1つだったと思うよ。これから出てくる奴らに対して、俺は何を言えるのか、俺は何で違いを出せるのか、って考えた。それだったら、これまでの経験とか、これからの人生のことを歌うっていう風になったのも、それが原因だったと思うしさ。実はあの夜が、最初の質問の、3枚目のアルバムに意識が切り替わった瞬間だったかもしれない。HIDAとのことも、その延長だよ。「会いたいんですけど」ってメール来てさ。わざわざ、こんな札幌くんだりまで来て、ただの悪口大会するわけねえじゃん?やっぱ何かあるわけでさ。会ってちょっとだけやって、HIDAもすげえいいこと言っててさ。なんかね、色んな話するよりも話早いじゃん?(フリースタイル見れば)そいつのことが分かる。俺も、俺のこと知って欲しくて言うわけじゃん?すごい、楽しかったよ。すげえいい時間だった。

● いい話ですねぇ〜!

ヒップホップのそういう、張り合う所って俺好きだしさ、面白いし、それが好きで始めたんだけど、俺は今35でさ、今の主流は22、23なわけじゃん?そいつらと何で張るのよ?って話になるわけ。ただの口喧嘩みたくなってさ、俺は「おめえみたいなガキに何が分かんだよ」ってなるし、向こうも「あんたみたいなおっさんには分かんねえよ」ってなって、絶対分かり合えるわけねえのよ。だから、俺も奴らの目線に合わせないといけないし、あいつらもあいつらで、漢やHIDAみたいに、若いけれどもアマチュアじゃなくて、それで飯食ってる奴が俺に対してちゃんとポジティブな気持ちを持って来てくれれば、コミュニケーションが成り立つんだよ。世代を超えられるんだ。そういう所にHIP HOPの未来を感じる。




戻る

トップ

(C)TBHR