ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2008.01

ども 新年明けましたな。おめでとうございます。昨年中は本当に色んな人に、色んな街、箱、場面でお世話になった。
ATTACK2007が終わった今、振り返ると数々の場面が思い出される。全てが激戦だった。楽な勝負は1度たりとも
なかった。3枚目のアルバムの制作からレコーディング、発売までの様々な仕込み、ジャケットやポスターのデザイン、
そして発売後の怒濤のリリースツアー、夏のツアー、フェスティバル、秋のツアー、そして冬のツアー。ここまで、皆、
俺もO.N.OもDYEも、そしてチームメイトの皆、全力で走ってきた。全てが思い通りに進みはしなかったし、全てが望んだ
通りの結果ではなかったが、言える事は結果オーライ。それだけ。どの場面を切り取っても悔いは微塵もない。やるべき
事、やれる事は全てやった。胸を張って言える。2枚目のアルバムから5年。その間に学んだ事、得たもの、失ったもの、
アルバムからライブへ、全てをさらけ出す事を恐れずにやり遂げる事が出来た。もちろん我々は完璧ではない。が故に
完璧を目指して何度も、何度もトライした。完璧な瞬間は、頂上は一瞬で、それ以外はそこに向かっているか、そこから
遠ざかっているかでしかないことは今も変わらない。険しい道だったが、挑む事。不完全なりにこれだけは忘れなかった。

眠れぬ夜を抜け、酒の抜けぬ朝を起き、暑さ、寒さを抜け、電車を乗り換え、色々喰って、助けられながら、つまずいて、
迷ったり、時には点滴を打ち、時にはコルセットを巻き、機材をかついで、日本中を東に、南に、西にと渡り歩いてきた。
多くの偉大なミュージシャンの超絶なパフォーマンスに打ちのめされもしたし、もちろん無傷ではなかったけれど、それ
以上に、俺等の小さな器には入りきらないくらいの理解者、協力者、つまりは友人に新たに出会う事が出来た。変わらぬ昔
からの友人達も、俺等のやってることを理解してくれ、信じてくれて、そして力強く励ましてくれた。どの街、どのライブ
会場でも必ず別れの場面ではそういう気持ちになれた。心から感謝できた。まだ、日本中どこも腐り切っちゃいなかった。

2007年はキャパもでかくて、トリを務めさせてもらう事も多くて、全てが大事な落とせない勝負ばかりだったけれど、
実際俺等はシンプルに負けない勝負しかしていない。簡単な事だ。つまりはその勝負に、俺等的に勝算があったから、自信
があったから、俺等はそのオファーを受けたんだ。つまりはあの夜も、あのフェスも。オファーを受けた後、最悪の状況を
常に想定して準備していた。自分等の音楽、ライブには他の誰より疑い深く接していた。本番後の控え室でもそうだった。

ATTACK2007の総仕上げ、冬のツアーも無事終了。北九州。熱い夜だった。良い仲間が沢山いた。皆、自分等の街に
誇りを持っているのがよく伝わってきた。初上陸の興奮がダンスフロアーに充満してて、気合いが入ったぜ。初対面から
くる緊張感を維持しながらの魂の会話。あれがTHA BLUE HERBだ。みっちり入ったオーディエンスは誰一人とてその場
からいなくならなかった。最後まで聴き、見届けてくれて感謝します。外は寒かったけれど、皆の熱は受け取ったよ。

そして大阪。インストアライブも含めると今年4回目。今回はハードコアとHIP HOPのイベント。つまり気を抜いたら速攻
足をすくわれちまうハードな夜。対バンも凄腕ぞろい。トリを務めさせてもらう俺等に対する期待もひしひしと感じてた。
モッシュが炸裂しまくった後の沸騰してるステージから見える光景は、まさに最前線。やるかやられっかの修羅場だった。
熱かった。ハードコアのオーディエンスも、そして共演者も、皆が痛みと共に愛をも分かち合える最高の仲間達だった。

翌週は福井。いつもの箱、CREME。AKAKABEと久々の対面。釜飯が冷えた体にバッチリだった。もう数える事4回目。
ONLY FOR THE MINDSTRONGの最後のライブの「時代は変わる」は2000年の福井での最初のライブだったんだ。
現場でも言ったけど、あれから今回まで少しずつ、しかし確実にオーディエンスの数は増えていってる。いい感じだぜ。
今回も面と向かってのガチの果たし合い。昔からの友人達にも会えたし、終わった後の皆の笑顔がその夜を象徴してた。

翌日は神戸。ここはもう5回目。散歩が楽しい街だ。箱は音もばっちり。スタッフの仕切りもばっちり。対バンもこれまた
ばっちり。暖まったお客もいつもの様にばっちり。あれだけ音が安定して、言葉の解像度が高いとあんなライブになる。
雰囲気で上がるなんてレベルじゃなく、完全にお客の心と言葉だけの世界になる。外側ではなく内側で会話が成立する超
シリアスな空間。5回目にあんな時間を共有出来て良かったと思う。神戸と俺等の交信はここまで来た。次が楽しみだな。

翌日は、DYEと別れ、単身東京へ。渋谷シスコがなくなっちまう前の日、SEEDAとの「MIC STORY」のゲリラライブ。
しかし前日のライブで体調崩したSEEDAが病院直行で来れず。一時はキャンセルも考えるも、写メで送られてきた、沢山
の人だかりの写真を見て「やらねえわけにはいかねえな。」と。ま、正直言ってライブは1曲だけだし、SEEDAもいない
不完全な状況ってことで満足はしてないけど、集まった奴等に言いたい事は言えた。これが1番。やって良かったと思う。

翌週はQUIETSTORM、NORIさん、PAの佐々木さんをホーム札幌に招いてのBETWEEN YOU & ME。皆、無言だったが
思い入れと気合いが入ってた。お客の入りもちょうど良い感じ。俺等も今年は随分と札幌でやったんで、総決算のつもりで
渾身のロングセット。昔からの友人も多数遊びに来てくれて感謝。先頭を務めてくれた盟友QUIETSTORMがぶちかますテ
クニックとイマジネーションが溢れるプレイ。会場はどす黒く、ジワジワと暖まっていった。そしてその後2時間ちょうど
のライブ。ラストは言葉とその意味でパンパンになって、ぶっ飛びすぎた頭をトリートメントするかの様な、NORIさんの
優しく、美しく、ブレないメッセージ。朝方のダンスフロアーは本当に良い空気だった。NOW WE GOT TIME!!!!「これ
これ、この3組でやるといつもこうなるんだよな〜。」名残惜しい極上の時間が過ぎていった。悪天候の中集まってくれた
皆、そして素晴らしい空間を提供してくれたプレシャスホールのスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。

そして3日後、LIQUIDROOMでの今年3回目のライブ、そして新宿での1回目から数えて通算3回目のBETWEEN YOU
& ME。平日ながら満員御礼。今年3回目だけあって、音、照明などきっちり組んで挑む事が出来た。QUIETSTORMも
地元をレペゼンするキレまくったプレイ。彼の操る音楽の幅はマジで広い。がっちりはめられる。最後は「中目黒薬局!」
ライブはこれまた半端なかった。お客の上がりにぐんぐん引っ張られていった。そしてスペシャルゲストのエゴラッピン
中納良恵!彼女も半端なかった。全てが完全にシンクロしていた。あんなでかい街、でかい箱なのに全ての人間が限りなく
前向きな気持ちで結束していた。皆、素晴らしかったよ。1999年からもう何度目かはいつからか数える事をやめて
しまった東京でのライブ。いつもの事ながら力をもらってます。そして千人分の興奮と余韻を運んだNORIさんのプレイ。
これがまた楽しすぎた。随分飲んだね。リキッドルームのスタッフの皆さん、今年3度、本当にありがとうございました。

そして4日後、初の千葉上陸。着いて即リハ、飯。フグ!旨かった。ゴチでした。ライブはオーディエンスの熱気に上げら
れました。楽しかったぜ。その前のリキッドが音からステージ周りまで、もうよく知ってる場所だっただけに、逆にあの
箱、お客、そしてそのレスポンスの近さが生々しくて壮絶なライブになった。まさに大立ち回り。こういう場所での一戦、
一戦が俺等を鍛えてくれるんだ。地元の皆もいい感じで迎えてくれ、聴いて、効いてくれててマジで感謝。また遊ぼうぜ。

そして今年、道外最後の地、沼津。実に7年ぶり。またあの場所で皆と遊べて嬉しかったぜ。俺等の7年の成長を是非観て
欲しいと思っていたんで、静岡中から集まってくれたオーディエンスの歓声は鳥肌もんだった。ダンスフロアー、そして
ステージ、PA、スタッフ全てを集中力が終始支配していた、濃密だがあっという間に過ぎ去っていったあの時間。最後に
鳴り響きまくっていた拍手を浴びて、俺は今夜は今年の総決算の1つになったと実感していた。皆、マジでありがとうな。

ツアーフォトも合わせてどうぞ。今年も色んな場所でのツアーの模様をアップしてきたけれど、見てもらえばわかると思う
が、喰ってるもんは違っても、ステージからの景色、客席からの景色はほとんどどの街も変わらない。ステージには1MC
1DJ。客席にはびっしり入ったオーディエンスが暗闇に確認出来る。どの街が1番だったかとかは考えた事もない。日本中
どこも変わらない。今の時代、今の世代が話し、使う日本語、体が感じ取るビート、これらだけで進められた俺等と君等、
つまりは我々のツアー、ライブは、君等お客一人一人の音楽に対する希望、どん欲さ、真摯さ、誠実さのおかげで最後まで
時に熱を、時に静寂を保ったまま終える事が出来た。今年出会った全てのオーディエンスに礼を言います。ありがとう。


俺等にとっては、1997年当時、あらゆる日本語ラップのアクトと共に、最初は落とすべき牙城だったはずが、その後
ディストリビューションや制作の面で、そして完全なるビジネスパートナーとして、いつからか共に同じ理想に向かって
闘ってきたシスコの皆。札幌、大阪、そして東京、本社の営業、経理、制作、そしてサウンドスケープの皆!本当に今まで
お疲れさまでした。今の、もうずっと続いている、あの俺等と俺等のオーディエンスの輝ける時代は、確実に皆がいたから
出来上がった部分も多々あると思ってる。今思えば「LIFE STORY」が皆と創った最後の作品になってしまった。でもそれ
であることに大きな意味があるとも思っている。数々の伝説を共に打ち立てた。俺等は本当に心強かったぜ。ありがとう。
これから皆がどんな戦場で闘うのか、何に夢中になるのか、俺にはわからないけれど、その先に素晴らしい未来がある事を
心から祈っています。皆ともう仕事ができなくなるのは本当につらい。大きな痛手だ。でも俺等はまだ音楽を続けますぜ。
どんなに遠くに行っても、絶対に俺等の音楽を届けてみせるよ。皆の、その時、目の前にはどんな現実が展開しているかは
まるで想像出来ないけれど、俺等の音楽が何かその場面で意味を持つ様に、君の背中を今までの様に前向きに強く押す事が
出来る様に、俺等も努力を続けるよ。皆と仕事を出来た事は俺等にとって誇りです。だから、皆も俺等と仕事をした事を、
THA BLUE HERBをここまで大きくした事を誇りに思って下さい。ではさらばだ!また会う日まで、笑って別れようぜ!

シスコについて思う事は皆、沢山あるだろうな。残念だ。レコード屋そのものがどんどん減ってきている。業界全体が、今
その事にとても揺れている。俺等的にも打撃は大きい。おそらく2008年から先は、今までの様には何もかもが進まない
と思う。充分覚悟はしている。でもね、はっきり言うとね、全ては、万物は流転しているんだよ。永遠に続くモノは、者は
何もないんだ。うまく行く時、そうじゃない時、全ては流れていくんだ。良い時も、悪い時も、両方の場面で、自分自身を
保って、揺れずに出来る事をやってくだけだよ。俺等に関して言えばさ、まっじで最初はなーんにも持っていなかった。
なーんにも頼る場所なんてなかったのよ。自分等の音楽に対する自信しかなかった。そこに、そう底に戻るだけの話だぜ。
昔の様に、自分等の音楽に対する自信ならたっぷりある。全ての送り手達よ、ビビってんじゃねえよ。受け手に目を移して
見ればね、確かに大変だと思う。でもアンテナちゃんと上げて、鼻効かせてよ、集まる所にはちゃんと人は集まっている。
音楽の入れもんの形は変わっていくけど、音楽は鳴り続ける。求め続ける限り。昔の音楽はレコードに密封されて、今も
君が掘る、見つけるその瞬間を待ってる。これからも素晴らしい作り手が、素晴らしい音楽を創るさ。まっじでお楽しみは
これからだって!俺等も皆のアンテナに引っかかる様に努力を続けるよ。音楽の旅を続けさえすれば、また必ず会えるさ!
各街、各街、ステージから見える眩しすぎる光景が俺にこう言わせるんだ。今も広がっている、今も増え続けている、と。

昨年は本当にお世話になりました。皆の直接の声、拍手、そしてここに送られてくるメールには随分勇気をもらいました。
業界再編が進行中の今、上記の様に、俺等THA BLUE HERBも大きなビジネスパートナーを失った。これははっきり言っ
て片方の翼が折れた様な感じだ。これからどうやってビジネスを進めていくのか、大きな山場にさしかかっている。事実、
多くのレコード会社からオファーを受けている。とても偉い方々直々に丁寧な応対で誘ってもらってもいる。でも今は少し
考える時間が欲しいので、返事はまだしていない。これからの道を今はゆっくり考えている。道が定まったら発表します。

自分たちの音楽を高めたい、そして皆の期待に応えたい、そう思って今年もクタクタになるまで走ってきた。しかし俺等も
何度も言っている通り完璧ではない。知らず知らずに過ちを犯してもいるし、誰かを傷つけてもいるのだ。そしてその事で
我々も傷ついてもいる。混乱には平静が、苦しみには安らぎが、留まる人、去り行く人皆に平等に訪れる事を願っている。

皆、元気で、生きててくれ。そして今年こその人は頑張ってくれ!では2008年!今年もよろしく御願いします!
ILL-B