ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2008.12
もう12月。今年もあとわずか。こっちはすっかり冬っす。
もう皆知ってると思うけど、シスコがなくなってしまった。思えば、1997年のTBHR設立以来、ずっと自分等で流通まで手がけてきて
新千歳空港まで自分等のできたてのアナログを取りに行ったり、税関の業務をやったり、郵便局の駐車場で各街、各店への出荷をやったり
してた俺等に、あの日、声をかけてくれたのもシスコ。2枚目のアルバム「SELL OUR SOUL」発売を前に、ネパールのポカラまで(!)
わざわざやって来てくれて「俺等と組んで仕事しようぜ。」と「SUPA STUPID」でも言ってるけど、流通をがっちりサポートしてくれた
おかげで、俺等も制作に没頭する事が出来たってわけ。まさに、今日があるのはあの日があったからこそ。いや、あの日々があったからこそ。
それから制作や宣伝の面でもお互いの利害が一致して、手を組み、足並みを揃え、俺等はここまで生き残ってきた。去年の暮れの店舗の完全
閉鎖、そして制作からの撤退を経ての、今回の倒産。俺等にはどうする事も出来ない所まで来てしまっていたんだな。マジで、これ以上は
望めねえって位、腕利きが揃っていた。制作、宣伝、流通、営業、各部署でばっちりの人材が沢山いた。ただの仕事上の付き合いだったのが
TBHR共々、デカイ山をいくつも越えて、打ち上げ、飲み、酔っぱらい、語り、新たな山を目指し、それを超える。これをもう何度、一緒に
繰り返してきたのかわからない位、共に歩んで来た。人間の心の中はその人にしか解らないからさ、彼等が本当は何を考えてたか、ここでは
断定出来ないけれど、少なくとも俺は、共に歩んで来た。そう今でも思ってる。皆が、シスコのチームメイトがいたから、俺や俺等は、TBHは
TBHRはここまで来た、来れたと思ってる。曇りは全くない。純粋に感謝しかない。本当にここまでお疲れでした。ありがとうございました。
この世の中、すぐに全ては移ろって行く。永遠に続くものはない。特にこの世界、皆、自分の事で精一杯だ。別れは、ここじゃよくある事だ。
あの輝ける日々、俺等のチームを止めるモノなんてどこにもなかった。思った事や望んだ事は、自分等が行動を起こしさえすれば何だって出来た。
事実、多くの夢物語を現実にしてきた。数えきれないプロジェクトが現実のレコードやCDとなって今も音をどこかで、世界中のどこかで今日も
鳴らしている。あの頃の俺等の行進を、遠巻きに苦々しく思っていた奴等は、今頃どう思ってるんだろう?次は俺等が上がって行く番だ、と
思ってる奴等も大勢いる事だろう。最後までシスコに残り、今回の激流の中、今も、もがき、闘っている友人へ。この声が聞こえるか?諦めるな、
とは言えねえ。そびえ立つ現実を前にして、ここで何と声をかければ良いのか、言葉で喰ってきた俺にもわからねえ。つくづく、こういう時程
言葉ってのは無力だよな。だが友人よ、これだけは言える。オマエは間違ってはいない。オマエは最後まで正しかった。オマエが積み上げ、そして
今も積み上げ続けている、その「徳」は、「得」では計れないほど崇高なものだ。それを俺は知っている。俺以外にも知っている人は大勢いるぜ。
全て終わらせて、札幌に帰って落ち着いたら、またフィルモアで遊ぼうぜ。DAVIDさんは、変わらず、完璧を志向し、揺るぎなく、新しかったよ。
そんな中、先月21日、O.N.Oの2枚目のアルバム「SIGNALOG」が発売になりました。今は、流通は自分等でやっているとは言え、かなりの
数をシスコを経て各店に流していたため、突然のシスコの倒産を受けて、かなり動揺はあった。そんな中、アンダーグラウンド・ギャラリーの
協力を幸運にも得る事が出来て、彼等の尽力の結果、当初の予定通りの日程で発売する事が出来ました。アンダーグラウンド・ギャラリーには
マジで感謝してる。ありがとうございました。オンラインショップでの先行通販も、用意していた数は1週間も経たずに完売しました。注文
してくれた皆、ありがとうございました。そもそも、商品を買ってくれたお客に礼を言うのは当たり前だけど、こういう大変な時期に俺等を
サポートしてくれる人、会社、友人にはマジで助けられる。こういう時にこそ、本当に俺等を信じてくれてる人の顔が見える。声が聞こえる。
俺は、TBHRは、冷静に、しっかりこの世の中ってやつを見定めてるぜ。このクソッタレな世の中を。そして、まだ腐り切っちゃいない部分を。
O.N.Oは現在、ダンスフロアー最前線をリリースツアー中。かなり列島を広範囲に回るんで、近くの人は是非!MACHINE LIVEを体感してくれ。
ツアーのCMはこちらから。
俺がシスコの倒産の一報を聞いたのは、AUTUMN BRIGHTNESS TOUR '08の後半戦の最前線。長崎から熊本に向かう途中の車の中だった。
その時、俺の心には一瞬の落胆こそあれ、そこで止まって塞ぎ込み、絶望してる時間はなかった。それがある意味、俺にとっては幸運だった。
やらなくちゃならねえ事は、超えなくてはならねえ山は、そう、あの忌々しい登り坂は、電話の向こうではなく、事実、目の前にあったんだ。
こっからはAUTUMN BRIGHTNESS TOUR '08の話。
広島を終えて、一度札幌に帰って、休養しつつ、セットの修正をしたりしてるうちにすぐ出発の日はやって来た。再び新千歳空港で皆と集合し
福岡へ。箱はDRUM BE-1。福岡では1番多くやってる箱だな。東京からPAのサニーさん、撮影の森ちゃんも合流。さあ仕事だ。しっかりと
リハして、まずは飯。福岡、ライブ前の飯はここ。そう紀文のマグロです。で、スニーカー何気に買ったりしてるうちに本番。お客はがっちり
入ってた。後半戦の1発目、かますぜ。怒濤の120分。一度札幌戻ってリセットしたせいか、やってるこっちもフレッシュな感じで終わりまで
一気に駆け抜けた。最後まで聴いてくれてありがとうございました。いつも福岡には上げられてます。終演後、物販を片付けて、宿に荷物置いて、
打ち上げへ。ホテルの向かい、チェックインした時から、行こうぜと言っていた鉄鍋餃子。激ウマ。で、撃沈、皆は遊びに行ったけど、俺は就寝。
翌朝、10時集合。こっから九州最後の宮崎までは、永尾さんの運転で、皆で1台のレンタカー。ありえねえ荷物の量なんだけど、もういい加減
慣れて、テトリスの様にすき間なく荷物を後部に詰めていく。天気は快晴。九州はまだ暖かい。札幌は一ケタ台まで最高気温が落ちてきてたので
この陽気は上がるぜ。途中サービスエリアで飯喰って、長崎到着。ここも約1年振り。街の感じが本当に和む。でも仕事で来てるって事で、着いたら
すぐ箱へ。いつもように物販準備、ダイは音作り、でリハやって・・・。この何日間もそればっかり。ツアーだねえ。ならば飯だけでもって事で
チャンポン喰いに行った。旨!この日は、数こそ少なかったけれど、俺等にとっては一人一人がありがたいお客だ。ばっちりやらせてもらった。
最後まで聴いてくれてありがとうございました。終演後は永尾さんの案内でまた餃子。2日連続。モトラも一緒。ここも激ウマ。で、速攻寝ました。
雨混じりの中、熊本へ出発。走り出したら晴れてたね。昨日のライブの映像をチェックしたり、眠ったり、サンレコ読んだりしながら、九州を南へ。
去年の夏のリリースツアー以来の熊本。この日はオフだったんで、各自自由行動。俺は洗濯。で、L.I.V行って、拓郎と合流。で、ツアーの疲れも
たまってきてるんで肉喰いに行きました。馬も喰って、飲んで、ヘベレケ。INDIGO行くとINGもいて、長崎のライブに来てた友人もいて、上がって
飲んでた。でもさすが長丁場のツアー。体が休みを欲してる。なので早めに帰って寝る。翌日、起きてリハ、こむらさきでラーメン喰って、本番。
熊本、かなり熱かったね。俺等もがっつり上げられました。その街の顔役、若いMC、音楽好き、古くからの友人、来て欲しい人等、皆来てくれてた。
忙しい中、皆、最後まで聴いてくれてありがとうございました。さすがこの辺りが山。疲労もマックスだったけど、良い余韻のまま眠りについた。
更に旅団は南へ。次なる舞台は今年5月以来の鹿児島。遂に、そうです。青森から巡り巡って今回のツアー最南端です。陸海空の移動全て使って
辿り着いたぜ!箱は1年前と同じ、CAPARVO HALL。その日はあいにくのどしゃ降り。しかしお祭りやってたね。すげえ人、人、人。皆、道で
踊ってた。飯は黒豚。鹿児島の友人こうすけに連れてってもらう。激ウマ。しっかり喰って本番だ。デカイステージ、ばっちりの照明、音。もう
ここまで来ると俺等も吹っ切れまくってて、攻めのライブ。一歩も引かねえ。いや引けねえ。お祭りの中、そして雨ん中、俺等を信じて、身銭切って
集まってくれた人の気持ちを無駄にするわけにはいかねえ。そして最後の拍手。救われました。最後まで聴いてくれてありがとうございました。
打ち上げは、やはりこの人。永尾さんにお任せ。あり得ない旨さの豚しゃぶ。いやーまっじで九州は飯が旨いね。酒も止まらん。残るは2カ所!
翌朝、お祭り本番のワクワクが漂っている鹿児島を発ち、九州最後の地、宮崎へ。もうこの辺まで来ると、この長いツアー自体の終わりが見え始め
皆、感慨深い感じになってきてた。俺等とING。お互いここまでそれぞれの使命をきっちり果たしてきた。色々あった。あと2カ所。これが終わったら
もうこのメンツでの旅は2度目はあるかどうかすらわからない。終わりは必ず来るんだな。東北辺りの頃なんて、終わりなんて想像も出来なかったし
道の途中、一体いつ終わるんだよなんて思ってた時すらあった。ここまで重ねてきた時間、あの、全てが異なる、かけがえのないライブ。それに意味が
あったことを、証明するべく、きっちり終わらせてみせるぜ。皆、口にこそ出さないけれど色んな事を考えていたと思う。車中はそんな雰囲気だった。
宮崎到着、ここも1年振り。着いた日はオフ。ダイと森ちゃんと街をぶらついて、インタビュー取ったり、ポスターまきしたり、レコ屋行ったり。
翌日、床屋行って、リハ。宮崎の友人タケと合流して、飯喰って、本番。去年はクラブだったんだけど、今回はライブハウス。俺等と一緒に回って
俺等の音の全てを知ってるPAさんとの音。そして言葉。気合いも、気迫も満ちてた。第16ラウンド、宮崎。ライブの質的には一つの頂点だった。
最後まで聴いてくれてありがとうございました。終演後、ホテルに荷物置いて、打ち上げ。永尾さんの最後の大仕事。皆、期待度最高潮。そして
完璧な味にノックアウト。お疲れさまでした。そしてありがとうございました。永尾さんのおかげで乗り越えられたと言っても過言ではない、この
九州シリーズ。これにて終了。そして残すところ、泣いても笑ってもラスト1カ所。遂に、遂に、遂に帰ってきた。ファイナル、リキッドルーム!
10月8日に仙台でスタートしてから、盛岡、青森、宇都宮、浜松、金沢、京都、高松、高知、松山、広島、福岡、長崎、熊本、鹿児島、宮崎。
全16夜。その場、その場で持ってる力を全て出し切ってきた。これは真実。俺が知ってる。そしてそこに、底にいた友人達が知っている。全ての
夜、お客に、つまり友人達に礼を言って、頭を下げ、ピースサインでステージを降り、楽屋へ戻る。出迎えてくれてるINGと握手し、Tーシャツを
脱ぎ、汗を拭いて、新しいTーシャツを着る。そして・・・。ダイと必ずやっていたのが、終わったばかりのライブの修正点を掘り下げる事。無論、
言う事なしのライブも多かった。そういう時は、さくっと乾杯だ。しかしやってる俺等しか最早解らないと言っていいレベルで、数々の修正すべき
点はあった。何のために?明日のライブのために。そして、そう、ファイナル、1200人に2人で立ち向かわなくてはならない、その日のために。
1200人、冷やかしで来てる奴等は恐らく5人もいないだろう。わざわざ3500円払って、冷やかしに来るようなボンボンはもういないと思う。
皆、それぞれの価値観で俺等の音楽を聴いて、理解してくれてる人等だ。初めて観る人よりも、2回目以降の人の方が多いとも思う。そう、つまりは
ほとんどが俺等の流儀ってもんを知ってる人なんだ。だからと言って、全員同じではない。皆、それぞれに素晴らしく異なる。好きな曲も違うだろう。
繰り返すが1200人だ。1200人をコントロールする事。これは至難の業だ。恐怖や恫喝、暴力を使わずにだ。そこまでいくと、こっちの2人の
力だけではどうにもならん。1202人の完璧なシンクロ。これは完全に人智を超えてる。1200人の心が開かれてることが最低限の条件となる。
そして、本番。最後の120分。皆の心は、1200人の心は、ばっちり開かれていた。これに尽きる。あっという間の、極上の刹那の積み重ねだった。
ありがとうございました。もう1度。本当に、ありがとうございました。
最後の最後のあの拍手。一瞬ですが、永遠を感じました。決して永遠ではない、一生の中、俺は、永遠を、確かに、生きながらにして感じました。
AUTUMN BRIGHTNESS TOUR '08はこうして終わりました。各街、各会場、力を貸してくださった皆さん、本当にありがとうございました!
そして!何よりも、オーディエンスですね。俺等の言葉と音、音楽が本物かどうかの鏡。皆が、全てです。皆、本当にありがとうございました!
NORTH SMOKE INGも、マジでよくやり遂げたと思う。終わってみて、君等と回れて良かったと思う。これからの飛躍を俺は見てるぜ。ピース!
ツアーTーシャツをオンラインショップで売ってます。各会場、サイズによっては、すぐになくなってしまった所もあったりしたんで、本当に
若干数ですが販売します。すぐになくなってしまう数なんで欲しい人は早めに注文を。よろしくです。
長いツアーが終わって、2、3日東京にいた。レコ屋行ったり、O.N.Oのアルバムのプロモーションで動いたり、今後の事を色んな人と話してた。
で、8日には久々に新宿ロフトに行った。そこはかつては随分ライブをやらせてもらってた箱。色んな思い出がある。この日は山仁のアルバムの
リリースパーティー。主宰はLIBRA RECORDって事で、MCからDJ、業界関係者とかなり濃いメンツが揃ってた。久々の友人も多数。上がったね。
「THE DRAMA IS...」って曲、「ドラマは一瞬じゃ出来やしない」。まさに。山仁の長いキャリアの一つの到達点を祝おうと皆、最高に良い
ヴァイブス。飲んで、騒いで、一曲キックして、他の曲を観て、飲んで、で、かなーり酔っぱらった。山仁、マジでおめでとう。良かったな。
で、せっかくなんでってノリで、あくまでノリで太華とシャーリーと外へ。前々から誘われてたんだけど、中々実現しなかったブレス式の収録。
ブレス式って知ってる?インターネットラジオって言うのかな。オモロいよ。俺的にもかなり興味深いメディアだったんで、参加出来て光栄でした。
何より二人のノリもばっちりで、本当に友達だと思える奴等なんで、こっちもリラックスして話せた。太華、シャーリー、誘ってくれてありがとう。
ブレス式へはこちらから。
全てを終えて、札幌へ戻ってからは、さすがにしばらく休んでたね。聴きたい時に、聴きたいレコード聴いて、のんびり過ごしてた。O.N.Oの
アルバムの通販や店頭への展開もあったから、そこそこ休んで仕事して、今月最後のデカイ山、両国国技館での大勝負に、身も心も備えていた。
山仁がQ-ILLと札幌に来てライブしたんで、俺も行って一緒にやった。その日辺りから本格的に札幌も寒くなってきてたんだけど、熱い夜だった。
こういうMCが日本にいる事、派手な流れの中、地に足付けて、丑三つ時過ぎの音楽ジャンキー達のために命を削っているという事実。そこに
まさに底に、居合わせ、目撃し、その言葉に共感出来た事に感謝したくなるぜ。二人ともばっちりだった。笑い、笑い、笑い、そして気付けば
涙が出ちまうかもっていう境地に、知らぬ間に連れて行ってくれる。単なるフリーキーではない、基礎体力を備えた末の、あの表現。リスペクト。
そして行ってきました。今年最後の東京ライブ@両国国技館。来るとこまで来たって感じだ。共演陣もマジであり得ねえメンツ。実力、
キャリア、度胸を兼ね備え、さらにビンビンに尖がった音を出している強者達。彼等と一緒に、同じ舞台で音を出すことが出来て光栄だ。
しかも我等THA BLUEはトリ。このタイムテーブルは、この1ヶ月間1度も俺の頭から離れたことはなかった。両国国技館というある意味
俺らにとっては完全なるアウェイな箱。そして全てのジャンルからの共演陣。2500人のお客。何度も何度もイメージしながら、ダイと
準備を整えて俺等はそこに向かったんだ。国技館に入ると、もうすでに出番を終えた音楽家がたくさんいた。久々に会う盟友の顔も。
ゆっくり話す時間もないまま、慌ただしく、ステージ袖に向かう。ステージではDJ KENTAROががっちりお客を上げてる。上げまくってる。
いつかのフジロックと同じ順番。あの深夜のレッドマーキー。お互いこの世界を生き残ってまた会えた。で、俺等の出番。正直、これは
正直に言うけれども、ごまかし隠すのは俺等の流儀に反するし、あの場にいた人なら皆、わかってると思う。音は、かなり厳しかった。
ステージでも全く自分等の出してる音が聴こえなかった。音が反響しまくってて、肝心の、俺等にとっては生命線とも言える言葉の輪郭が
まるで濃い霧の向こう側で鳴っているような感覚だった。PAさん、モニターPAさんが何とかその輪郭をクリアにしようとしているのが判る。
俺も、マイクと口との距離、声の強弱、出来る限り言葉を届けようと、考え得る全ての方法を試みる。始まってすぐに文字通りの土俵際。
「北の本物は言い訳や負け惜しみをこらえてやるべきことをやるんだよ。」いつか俺の口から飛び立っていった言葉が俺等を叱咤する。
「ひょっとして何か成し遂げたつもりでいるんじゃねえだろうな?」広大な国技館、その歴史の重みがここぞとばかりにのしかかってくる。
この日はまっじでぎりぎりの状況でのライブでした。年に数回ある、こういう夜、本当に、いつも思う。安全な場所なんてどこにもない、と。
最後まで、そんな俺等を信じて、耳を澄まし、何とか言葉を聴き取ろうとしてくれてたオーディエンスの皆さん。ありがとうございました。
はっきり言って、君等がいたから、乗り越えられました。皆の真剣な眼差しが俺等をそこに立たせていた。いつもいつも力をもらってます。
終わってからは、OKIさん達と打ち上げ。飲んでも、飲んでもまるで酔えねえ。まだまだやるべきことはある。良い勉強させてもらいました。
今月はライブ5本。今年も日本各地、津々浦々、随分と回らせてもらったな。この5本でライブシーズンの2008を悔いなく締めるぜ。鳥取は
去年の夏の海でのライブ以来やね。千葉はO.N.Oも一緒でTBH勢揃い。今年2回目の高崎はKRUSHさんと。クリスマスは俺の産まれ故郷、函館で。
で、今年の最後はちょうど1年ぶりの北見。半端なく寒そうだ。熱い夜にしようぜ。各会場、それぞれが1度限りの大切な夜。心開いて楽しもう。
ここまで読んでくれて感謝。
健康で。
ILL-B