ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2009.06

ども。6月。ほんっと時の流れは早いな。南の方は随分暑くなってきていたね。こっちはまだTーシャツだけで歩くって程ではないね。やっと春本番って感じだ。
DVD「演武」、そして久々のシングル「STRAIGHT YEARS」。共に無事発売することが出来た。DVDの方は昔のVHSをそのまま焼き直したってのもあって
作業的には無理はなかったけど、シングルの方はいきなり創ろう!って思いついて、何としても5月2日にライブでやりたかったから、流通側とか、販売店側
とかに随分無理をかけた。500円ワンコインっていうのもある意味初めての挑戦だったしね。ほんとずっと挑戦だ。知らないことはいいね。常にね。

買ってくれた皆、ありがとうございました。

「LIFE STORY」から2年。音担当、言葉担当、共に毎日いろんな経験して、少しずつ、まだ別々で、それぞれがじっくり次のを創ってます。そういうパーツが
無数に組み合わされたアルバムっていう作品形態は、いわば長距離走で、でもシングルは、特にこういうスピード感が求められる局面、タイミングで出す時は
短距離走で。スタジオに着いてからリリック書き始めるようなマネはもちろんしないけど、それでもひらめきに対する反射神経で創る機会が多い。今回はそれ。

「STRAIGHT YEARS」のジャケットの写真をプリントしたT−シャツを作りました。オンラインショップで発売中。よろしくです。

挑戦と言えばCMね。テレビっていうメディアの、特にCMっていうさ、なんて言うのかな、おっそろしく足の速い乗り物っていうか、あれ凄いね。オンエアー日は、
北は旭川、南は沖縄に広がる友人達から1日中メール来てたね。「言わせ続けてやるぜBLUE HERBがまさか」ってな。あのタイミングで、あのテンションで、あの
方向から俺の言葉が聞こえて来るとは思わなかったっしょ?久々の列島一斉ドッキリだったな。ま、それは冗談としてね、俺等CMの仕事は随分前から来ててね、
常にやってみようって気持ちだったよ、俺等は。でも俺等の表現と向こうの(クライアントの)求めることが中々ね、合致することはなくてね。これは向こう側の
企画があっての話だからな。無くなった話も多々あった。っていうかこれはないっしょって仕事が殆どだった。でも1回さ、これはおもろい話なんだけど、今回の
ゲータレードよりもメジャーな飲料メーカーから、5大陸から1人ずつMCを呼んで1曲創って、それを世界同時に放送するっていう企画に選ばれたこともあった。
あったねー。あれはさすがに上がったな。アメリカとヨーロッパからのMCは、誰でも知ってる顔ぶれだった。で、先にビートをもらって(これも誰でも知ってる
プロデューサー)、彼のスタジオがあるロスまで行ってレコーディングだってなって、出発の朝!晴れてたねー。その日にロンドンで同時多発テロがあって、
そのレコーディングするはずのテーマが、何というかテロの思想と同じモノと考えられる恐れがあるってなって(こういうのもCMの世界って感じだよな)、
出発の朝、ホテル出て、成田に向かう途中に企画そのものが無くなったってロスから電話で言われて、そのまま千歳に帰ったりとか......。ヤスヒロ憶えてるか?
懐かしいな。もし企画の通りに行ってたらどうなってたんだろうって仕事ベスト5に入る事件だったな。

ま、そんなこんなでね、CMとかの仕事はね、全くね、俺等はがっついちゃいなかった。今回の話をもらったのは2月位かな。ちょうどDVDの仕事で東京に
行ってた時だったな。でも渋谷のルノアールの時点で先方は熱かったな。ノリが合った。既存の曲を使うんじゃなくて、新しく創ってってとこがオモロかった。
その言葉に沿って映像を創っていく、まず言葉ありきって順序がオモロそうだった。それから映像監督、音楽監督、そしてO.N.Oと随分ディスカッションした。
で、当然ながら札幌側と東京側で意見が合わない局面も出てくる。でもいつもだったらさ、もういいやって速攻ぶん投げてたかもしれない。でも今回はよく
O.N.OスタジオでO.N.Oと話してたのを憶えてる。最後までやってみよう、と。たった1分の世界。それ以上は絶対にない。これは今まで経験したことのない
領域だった。長くも感じることすらあった。その1分の間に、メッセージを離陸させ着陸させる。興味深い仕事だ。この12年THA BLUE HERBやってきて、
新しいことに挑戦出来る機会ってのは常にやってきた。はっきり言って金じゃねえ。ぶっちゃけ今回は大した額じゃない。自分等の表現をちゃんと理解した上で、
言葉の選び方、ニュアンスの面でも俺等を信頼してくれて、明るく、分かりやすくでもなく、いつもの俺の声で、寝転がったり、団らんしてる、くつろぎまくってる
平和なお茶の間の日本国民に、いっきなり、挨拶もなしに話しかけることが出来る。これはやっとこうって思った。そりゃやるよ。制作の段階では随分、監督側と
俺等側で意見の違いはあったけれど、お互い近づいていく努力をやめなかった。1分のために。そしてレコーディング当日、監督達やクライアントの人達が東京から
札幌へ、札幌からJRで30分かけて俺等の待つスタジオにやってきた。たった1分のために。1分って長いよ。ただ商品を売るためだけだったらもっとやり方は
あったと、俺ですら思う。もっと簡単で明瞭な言葉を話す人を使ってさ。でも彼等が選んだのは俺だった。これはお遊びじゃねえ。ガチの仕事だった。世の中、
もうこれは、そこは世の中だ。年、性格、格好、思想、信仰、趣向.....全て異なる。しかし共通項もない事じゃない。ここは日本だ。日本人が圧倒的に多い。で、
俺も日本人。で、日本語が公用語で、俺も日本語を話す。伝わるか、伝わらないか、ちゃんと伝わるか、伝わらないかを議論している時間はない。事実、今まで
ずっと「伝える」という活動を、仕事を、制作を、ライブをしてきて、伝わらないこと、こっちの思いと違って伝わることもよくある。これは学んだ。伝えるって
ことは簡単なことじゃない。ただ、そこに囚われはしない。自分を信じ続けるしかない。あとはさっさとやるだけ。そして伝わったら感謝するだけ。いい経験だった。
制作の皆さん、お疲れさまでした。


ライブレポート、5月は前半に関東圏3発、後半に関西圏2発でした。俺等は別にテレビの中に生きているわけじゃねえよ。何も変わらずにスケジュールは
進み、チケットは売れていた。どこに行っても皆、信じて待っていてくれた。そこで、底で、交信するには、納得してもらうのには1分じゃ不可能。これは
CMのような一方通行な会話じゃない。互い素晴らしく異なる我々が、透明な音と言葉でシンクロするのには長い時間が必要だ。それだけ費やしても望みが手に
入らないこともある。何の話をしてるか解って、分かってくれてるかい?その時間を皆、チケット代を支払って買い、わざわざ体を運び、独りで、待ってる。

俺等は体2つで、今月もそこに、底にいた。

ここから先は、そこに、底にいなければ解らない、分からない話と言われるかもしれない。しかし今月居て、見て、聴いたのは、いつも通り、そこ、底だった。
しかも居たのは俺とダイだけじゃなかった。1人1人の名前を言うことなんて不可能な、多くの人間と、日本人と、つまり同じ時に居合わせた友人達が一緒にいた。
皆、俺等を見ていた。俺等に向かって叫び、励ましてくれた。俺等に向かって拍手をしてくれていた。2009年、日本、ノンフィクション最前線。

まずは2日。そう5月2日。東京上陸「演武」10周年。この夜のことは今年の正月頃からずっと考えていたんだ。酔っぱらってる時も、休息してる時も、
いつも俺の頭の中、プレッシャーが溜まっている部分から、そのスケジュールは消えたことがなかった。どういう構成にするかをダイと組み立て始めたのは
3月から。DVDのディスク2で手の内は1度完全に見せている。だから今回は大きく先を行こうと決めた。オーディエンスがついて来れるかどうかよりも、
今回はこの10年の間に歌ってきた曲を、出来るだけ歌い、歌い尽くすギリギリの勝負をしようと、とことんまでやっちまおうと、口ポカーンとさせてやろうと
決めていた。2か月間、練習してきた。執拗なまでに。そしてこれ以上練習したってもう何も変わらねえよっていう所まで行ってから、俺等は東京にやってきた。

で、遂にやってきた当日。10年前の同じ5月2日、俺とO.N.Oの音楽を、THA BLUE HERBを知っているのはこの街には本当に僅かしかいなかった。そして俺等の
ライブを観たことがある人は恐らく10人もいなかったと思う。今思えばHOT WAXが、タテちゃんがよくオファーしてくれたと、皆もよく観に来てくれたと思う。
あれからきっちり10年。3650日。HOT WAXも今はない。あの六本木のコアもなくなったらしい。進もう。舞台はこの10年を経て辿り着いた東京のホーム、
リキッドルーム。前売りは完売。満員御礼。もう昔とは違うんだ。何も前例のない段階で、全く新しいことをやるのも確かに難しいし、大きな価値がある。そもそも
狙って出来るモンじゃねえ。10年前のあの日、誰にも何の免疫もなかった。当の俺等もそこまで気付いてなかった。だが俺等の音楽はこの街にとって全てが初めての
言葉と音だった。ある瞬間は。でも今は違う。あの頃に比べると、今のリキッドルームで待ち合わせている1200人のオーディエンスの数は最早無数と呼べる域だ。
そしてそれぞれの心に、記憶に、それぞれ分のTHA BLUE HERBがある。それぞれ多くの、最近知った人、10年前から知っていた人、10年前そこに、底にいた人、
ライブでしか聴いたことがない人、ライブを初めて観る人。上がってる人、下がり気味の人。きっかけ待ちの人、別れたばかりの人、喧嘩中の人、結婚間近の人、人、人。
数え切れない、言い尽くせない人生が1200人分集まってくる。皆、ナンパのついでにや、底に出会いを求めて来てるんじゃない。何気にじゃない。社交場じゃない。
更に10年前にコアに俺等を観に来てくれた人とも、もう違う。物珍しさでは誰1人来ちゃいない。物珍しいものなんてもう何も残っちゃいないよ。皆、知ってる。
皆、THA BLUE HERBの音楽を、ライブを、思想を知っている。その上でそれぞれの人生の中の1日、忙しい中、時間を割いて来ている。ありがたいことだ。

本番前、俺はちょうど開催されていたTHA BLUE HERBの写真展に1人いた。SUSIEお疲れでした。そこでかつてのチームメイトを見つけた。もう死んでしまった
友人の顔も見つけた。皆、今よりも若く、笑っていた。生き残った皆が、同じ時間、別の街で、それぞれの道を歩いている。今日のことを、俺等のことを思い出して
くれたりはしてるかな?これから超えなくてはならない巨大なヤマを前にして、俺は少しだけ昔を振り返ってた。少しだけ。そしてステージ袖に歩いていった。

10年前のあの日、バックDJだったO.N.Oの、MAD MAXなマシンライブも、同じく10年前のあの日、まさにステージ最前線で知り合った森田貴宏が創ってきて
くれたあのオープニングの映像も、シルエットだけで手を上げた時の歓声も、幕が落ちた瞬間の爆発も、初っ端の「孤憤」も、「北から頂く!」も、PVでその模様が
観れる「STRAIGHT YEARS」も、アップデート後の「BOSSIZM」も、「DVD1200本...」も、カンパニーフロウのビートも、久しぶりにやった「知恵の輪」も、
あの音でやる「BOG」も、4年半ぶりのKOJIの登場も、そして「コンクリートリバー」も、この10年の間に永遠に別れることになってしまった友人達の名前も、
その直後の「MAINTAIN」も、2009年版「RAGING BULL」も、ディアンジェロに乗せた「この夜」も...........。流れてった。時間に換算して2時間50分の長丁場。
永遠があった。一瞬一瞬に多くの過去が内包されていた。1つのライムに、色んな思い出が浮かんでは去っていく。それを無数に繰り返し、上がったり、下がったり、
迷い込んだり、内に向いたり、立て直したり、突破したり、それぞれ違う時期に創られた曲達が、2009年の今の俺等の心境に沿って並べられ、歌われ、消えていく。
良かった。そうとしか言えねえ。あれだけの言葉を並べた時間をここで別の言葉で改めて言い表すことは出来ない。俺は最高に楽しんだ。ありがとうございました。

終わってからは30周年(!)のDJ NORIさんが選び、繋げる音楽を聴き、踊り、ハメられながら、多いに遊んだ。北は北見、南は熊本、そしてそれ以外の街からも、
京都や札幌からも、本当に多くの友達が来てくれた。そして他でもない東京で、この10年の間に知り合った友達、MC、DJ、音楽家、ステージ監督、オーガナイザー、
仕事仲間、そして遅い時間まで同じように残って遊んでいる数時間前までオーディエンスだった友達と濃密な時間を過ごした。リキッドルーム、ごちそうさまでした!

そして2日後、俺等は雨の横浜にいた。さあ始まりだ。一歩一歩進んでいくのみ。行こう。着いた日はオフ。先に着いてたダイと、STERUSSチームと合流。で、
中華喰って、飲む。彼等はまっじでHIP HOPが好きでね、俺等もめっちゃ好きだから、話ががっつり弾む。旅の話も交えつつ、でも結局はHIP HOPの話になってる。
ちょっと昔だとこういう風に同業者と飲むなんてのは考えられないことだった。これも変化した部分だな。最高楽しい夜だった。STERUSS!ご馳走さんでした。

翌日、舞台は1年ぶりの横浜LIZARD。次の大きな大きな周回の1日目。対バンはTURTLE ISLAND。もしもこの名前を知らない人がいるのなら、その人は幸運だ。
まだ超ド級の楽しみが残っているのだから。出番は俺等が最初。あのエネルギーを外側に放出しまくりながら進んでいく巨大船団を「動」とするなら、我々はまさに
「静」。俺は自分の領分をわきまえている。どの道、最後は彼等が、俺を含めた全員を約束の場所まで連れて行ってくれるはずだ。ならばまずはお客の心に、内側に
俺等の持ち込んだ言葉とその意味をしっかりと焼き付けるのだ。オーディエンスの皆も俺と同じ思いだったのかは分からないが、その日はその通りに進んでいった。
一曲ずつをじっくりと噛み締めるように、静かに、しかし熱さを湛えた目で見つめているオーディエンス。一言ずつ心込めてラップさせてもらいました。ありがとう
ございました。そして登場、TURTLE ISLAND。1年ぶりに観た彼等。デカくなってたねえ。精霊の域だ。完全に突き抜けてる。がっつり飲んで、踊って、歌って
ってやってるうちに、あの所狭しと神の子と楽器がひしめいているステージ上では一体どんな音が聴こえてるんだろうって考えててさ、気付いたら上がってました。
DACHAMBOが札幌来た時もそうだったんだけど、そこには、頂には、ウェルカムなヴァイブスが満ちていて、思ったこと、つまり「ほんっとうにこいつ等半端ねえな」
って酔っ払って歌ってました。終演後もタートルチームとサ上、根木君とかと結局それから6時間飲んで、語って、で最高楽しかった!

1回札幌に戻り、再び準備する。次なる舞台は野外フェス、埼玉、所沢でとぶ音楽祭。日中、しかも初めての場所なんで1度セットを組み直す。俺等、この12年の間に
知ったことの1つ。HIP HOPの世界を飛び越えて外に出てみると、そこにはたくさんの強者が同じようにちゃんといて、しかもそこにいる人々はHIP HOPという音楽を
知ってるようで実はほとんど知らない。HIP HOPの世界で、誰が1番かとか(この欲求の効果は否定はしない。良く作用する場合も多い。)、誰が誰に口喧嘩をふっか
けたとかに限られた時間を費やしてばかりいるとこの事実を忘れがちになる。HIP HOPの外の世界にいるオーディエンスも全っ然同じ。言葉が通じる人がたくさんいる。
そして彼等、彼女等も言葉の力を信じているんだ。それはいろんな異種音楽格闘技戦や数々のフェスで確信してきた。だからそういうフィールドに出て行って如何に
メッセージを残すことが出来るか、これはあらかじめ広さを限定されたHIP HOPの世界にいる俺等にとってはある意味、生存の問題なのだ。小さなパイを互い奪い合って、
互い消耗していくよりも、俺等は外の世界に無限にいる人々にも声を届けることを選んで走ってきた。事実そこにいる音楽家から受けるインスピレーションも半端ない。
これは先月のZAZENやEGO、そして上記のTURTLEにも言える。この日は快晴。早朝に札幌を出て電車乗り継いで所沢へ。35分1本勝負。一気に走り抜けた。隠す
ものが何もない、あのどこまでも晴れ渡った空と木々の下、しっかりやらせてもらいました。ありがとうございました。

そして大阪、久々だったな。8ヶ月ぶりか。インフルエンザで結構心配だったんだけど、着いてみると意外と皆、マスクもしてなかった。実際にその場に行ってみないと
分からんことはあるね。前売りは完売。リハ後、これから2日間一緒に回るケンセイさんと合流して、まずは鶴橋へ。そうオモニ。あ〜い変わらず極上のお好み焼き喰って、
一旦ホテルで休み、いざ本番。着くとケンセイさんがスピン中。色々聴いたことのない音楽を鳴らしていた。良い感じに暖まってる。で、俺等。いつからか、もう何度目か
数えるのをやめてしまった位、ここ大阪でも忘れられない夜を重ねてきた。はっきり言って信頼してる。大阪のオーディエンスを。やるべき事をやれば結果はついてくる。
初めてベイサイドジェニーでライブをやってから東京と同じく今年で10年。ここでも色々あった。良いことばかり、喜びばかりがあったわけではない。涙なくしては
乗り越えられない別れもあった。だからこそこの夜も「MAINTAIN」のリリックスが響く。その夜、そこで、同じく底で語られていたのは、もはやスタイルがどうとかいう
次元じゃない。俺等の、つまり俺とダイと、大阪の友人達の間で起こったことから得た真実だ。また1つ、皆で階段を登ることが出来た。一見あれはただの週末、よくある
パーティーの1つだ。でもね、しっかりと積み重なってるよ。間違いない。あの夜に意味があったかどうかは次の夜に分かる。また遊びましょう。ありがとうございました。
終わってからは上がりすぎて完っ全に飲みすぎた。関西の友人達大集合だったし、絶好調で遊んでました。

翌日、再びケンセイさんとTBHの1個小隊に戻り、ジンの運転で一路徳島へ。秋のツアーでも通った道、渡った橋。徳島到着後、軽くうどん喰って、リハ。去年の3月
以来のDOUBLE-OO。三木君とも久々の対面。徳島の音楽家が緊張感と共に迎えてくれた。前日のライブハウスのような音響と一転、ここはクラブなんで、ケンセイさんと
ダイは音作り、結構大変そうだったな。リハ後、飯。徳島産の旨い魚をすだち付きでたっぷりいただく。で、本番。この日のケンセイさんのプレイは前日とは違い、攻め攻め。
皆、それぞれバラバラなオーディエンスの心を1つにするという意識が選曲や音圧から楽屋の俺等にまでがっちり伝わってくる。プロ中のプロ。で、俺等。前日のような
超満員ではなかったこういう日、ケンセイさんのやり方にも通じるけど、先に上げてもらうことを期待しない。とにかく俺等の気持ちを前面に押し出して、オーディエンスの心に
火を灯すしかない。この目の前を流れていく時間が、特別な時間なんだと信じてもらわなくてはならない。俺の言葉を信じてもらうには、まずその言葉の送り手の俺が、その
言葉を信じていなくてはならない。これがラッパーのライブだ。ブログやエッセイ、カゲ口とは違う。その夜の間に決着を付けなくてはならない。だから熱く、どこまでも熱く。
皆の目も熱を帯びてくるのが伝わってくる。夢中の向こう側にその日の出口が見えてくる。あの感謝の瞬間だ。心からそう思っている自分に気付く。最後まで聴いていてくれて
ありがとうございました。終わってからは、呼んでくれた社長さんとかと大酒飲んで、大いに笑った。

で、今月最後の仕事はレコーディングでした。相手はDJ BAKU。彼の、日本人MCを集めたアルバム「12 JAPS」に収録される1曲を吹き込みに行ってきた。BAKUに初めて
会ったのは1999年冬。東京でハッパーズのライブをやった後(DYEのデビュー戦やね)、打ち上げ後に迷い込んだクラブで回してた。その日は軽い挨拶だけだったけど
その後、翌年の青山CAYであったDRY&HEAVYのリリースパーティーでがっつりリンクした記憶があるな。森ちゃんとも繋がってたのもあって、あれから多くの現場で顔を
合わせてきた。この10年、色んなスタイルが入り交じるこの世界を、DJ BAKUも生き残った。前々からいつか一緒に曲を創ろうぜといっつも言っていたから、光栄だった。
がっつりやらせてもらった。HIP HOP100%な曲になった。俺等はまだ諦めちゃいねえ。なあBAKU、誘ってくれてありがとうな!


6月はライブは大分、1発。上がろう。

健康で。
ILL-B