ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2010.10

10月。PHASE 3.9ツアーの終盤の総仕上げに出てました。更新遅れてすまんです。列島、気づけば秋。北はもう既にかな〜り寒いっす。


さてと。全てが、終わりました。

PHASE 3.9ツアー、すなわちPHASE 3におけるライブは全て、もう終わってしまった後です。



2007年6月8日に北見HOOPLAでPHASE 3のLIVE STORYを始めてから、3年半日本中くまなく179箇所、全ての日程が終了しました。
全ての街、全ての夜、出会った全ての人達、本当に貴重な時間を与えてくれてありがとうございました。

PHASE 3.9ツアー、各街に自ら出向き、終演の幕を降ろしてきました。皆の期待、俺等の期待、双方の高まりの中、時は深まっていきました。
無論、思い通りにならない場面もありました。でもね、「ここは絶対、記憶に残しておきたい」、そんな想いが送り手、受け手にありました。
確かにあったよ。そして時として、送り手は受け手に、受け手は送り手に、入れ替わりながら、互いに前向きな気持ちを与え合って、疲れや
暑さや、俺等の会話を妨げようとするあらゆる要素から、突き抜け、上り詰めるために励ましあってきた。この夜の土壇場に皆、しがみついて
輝けるエンディングを分け合ってきた。理解の賜物です。あの六本木コアのある種一方通行の極地のようなライブからは、考えられないほど、
我々は近づいた。感謝し、感謝され、PHASE 3は色づき、散っていった。極上のノンフィクションのドキュメンタリーを見てる感覚だったよ。

覚悟はしていたが、長いツアーだった。途中風邪もひいて、治して、またこじらせてって険しい局面も確かにあった。でも無事、機材に関してや
移動、公演中、大きな事故もなく、最後まで行けた。ノドは最後の「ありがとうございました」まで言葉を発し続けてくれた。全公演、当初に
予定していた全ての曲を演奏できた。これらのことに何よりホッとしている。色んな人が混在しているダンスフロアー、思いがけず、調和が乱れ
かけることもあったが、いつも最後はハッピーエンドだった。皆に、そこにいる全員に感謝を持ちステージを降りることができた。これに尽きる。

「BROTHER」から「THE WAY HOPE GOES」、「STILL STANDING IN THE BOG」、「MOTIVATION」、「時代は変わる」、別れの挨拶、
「未来は俺等の手の中」。どの街でもここで必ず結集し、1つになり、上り詰め、直後の輝けるエンディングを迎えてきた。

全ての街、チケットを売ってくれて、友達を誘ってくれて、機材を準備してくれて、俺等を迎えに来てくれて、音のセッティングを整えてくれて、
旨い飯を食べさせてくれて、旨い酒を飲ませてくれて、最後、送り届けてくれた全ての友人達よ、お世話になりました。この御恩は忘れません。


そこに、底にいてくれた人、全てに感謝を捧げます。

ありがとうございました。



ここからは各地のレポート。ツアーレポートに写真、がっつりあります。


高崎。毎年暮れに同じメンバーで呼ばれるのが続いてた。KRUSHさん、BAKU、Q-ILL、そしてHISOMI-TNPを始め地元のMC達。今年の開催は
9月。同窓会みたいになってきてるなってKRUSHさんが言ってた。箱もいつものFLEEZ。しかも今回は照明さん、PAさんも一緒に来てる。
照明はここから全ての公演に来てくれる畠中さん。そしてこの日のPAはサニーさんではなく、TBH6番目のメンバー、NAOMIX。隙なしの布陣。
PHASE 3の間に4回も呼んでもらってる高崎の皆に、遂に完全体のライブを観てもらうために、俺達はやってきた。去年と同じ店で極上の飯。
席の並びも去年と同じ。目の前にいるKRUSHさんに、前の高崎から、この1年の間の仕事の動きを教えてもらう。話してくれる殆どが海外巡業。
相変わらずトップの人間が、見えない所で1番働いている。孤独な旅をずっと続けてきているのが言葉の重みで分かる。毎回、頭が下がるぜ。
いつだってKRUSHさんは俺のヒーローだ!よーし、俺も頑張るぞって思える。今夜も楽しいことになる予感。箱に行くとすでにBAKUががっつり
上げてた。お客もすでに沸騰してる。で、我等の登場。60分1本。PHASE 3.9もいよいよ後半戦、完成度が極まってきてる。高崎の皆も心で
ぶつかってくる。毎回きっちり更新してるね。内側の問題ね。今回も突き抜けてたよ。高崎、間違いない。皆、最後まで聴いていてくれてありが
とうございました。そしてDJ KRUSH。目に見えない安心感の中、しかし隙を見つけてはガンガン攻めてくる。ぶっ飛びましたぜ!この辺りから
楽屋、乱れ始めてたね〜。一仕事を終えたKRUSHさんも交え、乾杯に次ぐ乾杯で、またもこの街、酔っ払った〜。爆笑やったね。帰りは初めて
邂逅したDEX PISTOLSの2人とふらっふらで帰りました。ジョセフ、毎度、楽しませてもらってます。色々ありがとう!


TAICOCLUB。2年前にも長野のこだまの森で出させてもらって以来2回目。今年の、そしてPHASE 3最後になる野外フェス。昼過ぎに高崎で
皆で飯喰って、そこから一路、新潟県津南へ。この道のりが遠かった。新幹線から在来線、最後は超ローカルな電車に、帰宅途中の中学生とかと
乗ってた。そこから更に迎えの車で山に入っていく。おいおいこんなとこでマジでやってんの?って思い始めたら、一気に景色が開けて4つ打ちの
振動が聴こえてきた。毎回、この瞬間のワクワク感は巨大野外フェスならではやね。沢山の人達がもうすでにパーティーを楽しんでいた。まずは
飯!飯が旨かった記憶があったから速攻フードコーナーへ。MITSU THE BEATSに久々会ったりしながら、腹ごしらえ。時計を見ると本番まで
まだ4時間。遊んじゃって疲れては意味ないから途中に買ったBE BOPの再発版読んだりしながら充電。BE BOP、久々笑った。でステージ裏へ。
10年以上の旅の中で出会ってきたステージスタッフさんが沢山いた。凄腕の皆がいてくれるのは心強い!後はぶっかますだけだ。出て行くと、
はるか向こうまでオーディエンスが待ってた。更にずっと向こうから走ってくる人も大勢見えた。お〜い!始めるぞおお!そこから怒涛の60分。
冥王星の彼方までぶっ飛んだ!あれは奇跡ではなく実際に起きたことだ。1MC1DJの限界を超えてった。奇跡を信じ集まってくれた皆の緊張感と
期待と開放された心が創り上げた透明な空間彫刻。皆の顔が忘れられない。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。終演後は少し
遊んで、翌日のフライトが早いのでそのまま新潟へ向かう。さすがにクタクタ。何と朝5時にチェックイン。PHASE 3で1番遅いチェックイン。
濱ちゃん運転ありがとう。TAICOCLUBのスタッフさん、楽しかったっす。素晴らしい時間をありがとう!


中野。東京の、我等の愛するホームタウン。1999年あの六本木コアで森田貴宏に会って、初めて招かれてから、もう11年以上経った。あの
駅前の飲み屋とかがひしめく道を抜けた先の、FATBROS.にもう何度行っただろう。FATBROS.の前のベンチで何人の友達に出会っただろう。
青葉のつけ麺、何回喰ったかな。いつ行っても、中野のホーミーは暖かく迎えてくれた。この日はそんな中野のスケーターの祭。FATBROS.の
15周年。おっしゃ〜!がっつり盛り上げるぜ。箱は中野と言えばのヘビーシックゼロ。今回PHASE 3.9のツアー組んだ時から覚悟してた灼熱
必至のステージ。このために俺はあの連日の走り込みを続けてきた。100人の箱に照明さん、PAさんを引き連れての最強の布陣。小箱だろうが
手は抜かねえ。リハの時点で次々やってくる仲間達との良い時間があった。で、その時はやってきた。2年前から毎年やってるけど、今年のお客は
荒かったね〜。良い意味で!そうじゃねえと中野じゃねえよ。あれくらいのやるかやられるかを俺等は昔からずっと生き残ってきたんだ。無論、
お客全てが俺等を支持してくれてるライブもありがたい。でもあの日みたいに、半信半疑の奴や、上がりすぎて暴れちゃう奴、ケンカしちゃう奴、
色んな奴等が雑多に混ざり合うダンスフロアー。俺等のシンクロを妨げるあらゆるネガティブさを瞬時にポジティブなものに変えて、お客をまとめ
あげ、更に前よりも上げるのがMCの力量ってやつよ。これはテクニックとかじゃねえ。場数だよ。しかし楽しかった。死ぬほど暑かったし、道は
険しかったけど、俺等同様、決して楽しむことを諦めない皆のおかげで最後まで行けた。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。
終わってからも恒例な感じで遊びまくっちゃったね。最高な夜でした。萩原さん、ソンシ、お疲れ!


翌日はオフ。って言っても洗濯したり、このレポート書いたり、この先のライブセットの修正や確認、細かい仕事で中野から一歩も出なかった。
でも青葉は行った。喰ってたら外にお神輿出てたり、中野、お祭だったらしいね。で、FAT行って、あの、隣で買った青汁飲んで、バイトにも
飲ませて、あのベンチでしばらくのんびりしてた。いろんな人が通りかかって、友達もいて、良い時間だったな〜。つかの間の休息だったよ。


山梨。意味深いヤマは続く。そう、遂にたどり着いた。1999年5月2日六本木コアでの北海道以外での初めてのライブから11年と4ヶ月半。
47都道府県制覇最期の地、山梨県、甲府。遂に。長かった。ライブは文字通り生活だ。招かれる街、タイミングがあった所は全て周ってきた。
で、初めての夜、2回目の夜って感じで時間をかけてその街との繋がりを深めてきた。無論1度っきりの街もあった。でも振り返る暇もなく道は
前にしかないって感じでずっとライブ続けてきた。で、今年の頭にね、そろそろこのPHASE 3を終わらせようって心境になった時に、何気に振り
返ったら行ってない県があと6、7つだってことに気づいた。よし、じゃあまずここ全て周ってからPHASE 3を終わらせようって決めたんだ。
この11年に繋がった友達の多大な協力を得て、ブッキングは決まっていった。ただ山梨だけはどこからも繋がりがなかった。上等、ならこっちで
箱借りちまおう。で、この日を3月位にはもう借りていた。その後、名前と音は知っていた山梨を代表しているクルー、stillichimiyaのメンバーの
電話番号をゲットして、いきなりかけた。ワケを話して、力を貸してほしいと、一緒にライブをやろうと伝えた。彼や彼のクルーはばっちり快諾
してくれた。そしてポスター、フライヤーをこっちで作って彼等に送り、彼等が自分等の足でそれをまいてくれた。山梨のオーディエンスと俺等を
繋げてくれた。山梨に着く前から、マジで感謝で一杯だった。甲府に着くと、stillichimiyaの田我流が迎えに来てくれていた。MMMも。普通に
速攻、友達になれた。思った通り。で、彼等の車で箱に向かう。箱はKAZOO HALL。stillichimiyaのメンバーも皆いた。で、挨拶して、お互い
リハ。俺は彼等の音楽は聴いてはいたが実際にこの目で観るのは初めてだった。で、観たんだけどね。いや〜、見つけた!って思ったよ。47都道
府県最期の地にいたのかって。感じた音楽を、ここで後から言葉で説明するのは難しいね。とにかく、フレッシュ。スタイルは俺等とは異なるが
(異なるのは記憶に残る必須条件だ)、言ってること、メロディー、見せ方、ほんとばっちりだったよ。リハの段階でめっちゃ楽しかった!で、
俺等も俺等でいつもの様にリハやって、開場。沢山のオーディエンスが来てくれた。俺等のゴールを見届けようと、山梨以外からも遠いとこから
沢山集まってくれた。先頭はstillichimiya。リハも良かったが、本番はもっと良かった。熱かった。自分等では「いなたい」って自分等のスタイル
を言ってるけど、いやいやマジで洗練されてるっしょ。住んでるとこが中央から離れてても、最後にそいつらのアートを決定づけるのは自分等の
センスなんだよ。その肝心のセンスありすぎっしょ。とにかく、唯一無二なラップショーを見せてもらった。上げられた。お客も上がってた。で、
遂に俺等がステージに立った。立って走り出してみたら、47都道府県制覇完結なんてことより、この夜をモノにしねえと先に進めねえっていう
いつもと同じヤマだったな。とても感傷に浸るって隙はなかった。そりゃそうだ。この一期一会を意味深いもんにする以外、頭には何もなかった。
気づけば100分。一気に走り抜けていた。皆の笑顔が輝いていた。それを見て、皆が楽しんでくれてた事が俺にも分かって、ホッと、俺も最高に
楽しくなったよ!その相乗効果がライブの醍醐味だな。ってか全て。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。1つのゴールでは
あったが、俺等と山梨の皆との歴史はあの夜に始まった。最後の「この夜だけは」の時の、あの、暖かい雰囲気は、今まで切り抜けてきた46都道
府県での夜の中でも、最高の夜のそれとまるっきり同じだった!最後が皆で良かったとすら思えるよ。初対面ながら名残惜しさを胸にステージを
降りてきた。stillichimiya、皆のおかげで俺等の歴史に1つの区切りを最高の形でつける事ができました。ありがとう。皆のこれからの未来を、
俺もワクワクしながら見させてもらうぜ。また絶対遊ぼうな!


宇都宮。1つのゴールを終えた後も、スケジュールは続く。浮かれてる場合じゃない。そこはもう新しい1日。きっちりと、PHASE 3の散り際を
宇都宮の皆とも分かち合うべく山梨を出発した。前の夜、山梨を終えてすぐに都内に戻った照明の畠中さん、PAのNAOMIXもすでに向かっている
と聞く。始まるぜ。新宿、東京で乗り換え、宇都宮に到着。すでに懐かしさすら感じてしまうこの街、もう何度来たか、いつからか数えるのを
やめてしまった街の1つ。思えば2000年のPHASE 1の段階で来ていたんだ。DJ YASやDJ QUIETSTORMや1945と一緒に大騒ぎしたり、
PHASE 3のリリースツアーでのあの究極の灼熱空間でのライブとか、AUTUMN BRIGHTNESS TOURの時とか、数々のエピソード、今でも憶え
てる。その舞台はずっとプラネットだったんだけど、今回の箱は前回に引き続きHEAVEN'S ROCK。今回もシゲの仕切りで、色んなバンドとの
競演。やることは何も変わらない。いつ、どこででも、相手が誰でもね。そこはもう全くぶれなくなったね。で、本番。この日はタイムテーブル
的には1時間ってことになっていたけれど、俺等の後には誰もいないし、箱の制約も厳しくないってことで、とことんやらせてもらう気満々だった
んだ。長年、俺等のライブを観てもらっている宇都宮の皆に、もちろんあの夜にいた人はもうそこにはいないかもしれないけれど、宇都宮って
街自体に、次の未来のために、俺等の成長の足跡を残しておきたかったんだ。オーディエンスの皆も応えてくれた。すぐにシンクロしていたね。
静寂の中に俺は皆の内側の高ぶりを確かに感じていたよ。いつもながら最高でした。力もらいました。皆、最後まで聴いていてくれてありがとう
ございました。長い時間を付き合ってくれて感謝です。シゲ、今回も色々ありがとう。絶対また会おう!!


東京、渋谷。ASIA。遂にやってきた東京ラスト。東京で、PHASE 3も数え切れないくらいライブをやってきた。その全てが意味深かった。別れの
宴だ。派手にいこう。競演陣も猛者揃い。バックステージはやり遂げた者とこれから挑む者が交錯していた。ケンケン、達也さんともばっちり
邂逅!こだまさん、レベルファミリアとも再会!よし!出番だ。文句なしの音響、照明、ここまでの経験、成熟度、そしてこの日が東京最後という
時間的高まり。これ以上ない条件が揃ったこの日、オーディエンスも含めた俺等が唯一予想していなかった事態、そう、あの暑さにはトバされた。
ここにこんな厳しい条件が待っているとは夢にも思ってなかったよ。皆も大変だったっしょ。ダンスフロアーに入りきれなかった人も大勢いたと
聞く。空気薄いなんてもんじゃなかったな。空気なかったっしょ。究極ハードだった。大阪や京都では経験してきたが、恐らく東京であれほどの
激戦はなかった。完全なるサバイバル状態。だからって引き下がるわけにはいかない、俺と君。進むしかないんだな。目もうつろに、体の自由を
奪われながら、なおも喰らいついてくる皆、マジでお疲れさんでした。ラップする方もしんどかったぜ〜。途中、何度もダメかと思った。ここまで
準備してきたのにと、その殺人的な熱気を呪ったりもした。でもやめなかった。皆も聴くのをやめなかった。どうしようもない困難を前にしても
楽しむことを、上がることをやめなかった。そしてその先にあの時間はあった。やっぱりあった!輝きの中、全てが報われる瞬間が。上り坂が最高
厳しかった分、頂上からの眺めは格別だった!皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。リリック1つ1つがあの苦境だとマジで
リアルに響きまくってたね。気づけば2時間10分の大立ち回り。全て出し切りました。東京、また会う日まで皆、元気で!


終演時点で朝5時半。何せ、こっから飲み始めたもんで、ASIAの営業終わっても全然着陸できてなかった。色んな友達が訪ねてきてくれていたし
ケンケンや秋もっちゃん、太華、競演陣との積もる話も尽きなかった。爆笑に次ぐ爆笑で、結局24時間営業の居酒屋まで行って、帰ったのは朝
9時。あ〜面白かった!翌日は、いきなり夏が跡形もなく消え去ってて、寒かったし、体調がまだ良くなかったんで宿でゆっくり静養。で、翌日
大阪へ。大阪も寒い。秋が来ちゃってんな。着いたその日はオフだったんで、ノリに誘われるままに、COCOLO行って〜、UPRISE MARKET
行って〜、MARGINAL RECORDS行って〜、NEWTONE行って〜、ROOT DOWN RECORDS行って〜、堺の「暇」行って極上の飯喰って〜、
梅田でタイマッサージ行って、満喫して帰ってきました。


大阪。盟友クラナカが取り仕切る老舗パーティー、ZETTAI-MU。15周年!俺等を初めて関西に紹介してくれたのがクラナカ。時はPHASE 1。
DJはO.N.Oだった。1999年の秋、場所は今は無きベイサイドジェニー。今は亡きケンケンの運転で向かったのを今でも憶えている。あれから
11年。「DAWN」は「NOON」に変わり、シスコもなくなり、色んなことが変わっていった。でも、まだパーティーは続いている。今年も箱は
名村造船所跡地。2007年、初めてクラナカがここを借りてZETTAI-MUやった時も伝説だな。このロケーションに対するノウハウを誰一人も
持っていない中でのパーティー。今みたいに空調も万全ではなかった。しかもその日は異常に暑かった!あのサバイバル空間は先日のASIAよりも
半端なかった。道々にぶっ倒れてる人の画は忘れられねえ。よく全員、マジで生き残ったと思う。リハの段階からそんな話が出るのもZETTAI-MU
スタイル。次々やってくる個性の塊のような出演者たち。初対面もたくさんあった。出番はトリの前。しかも前がO.N.O。つまり2時間半TBHR。
口火を切った爆裂ファンキードラマーO.N.O。切れまくってた。ドラムの洪水が階下で暴れまくっとった。そしてダイが雷鳴らし、俺がマイクを
握り、はい、TBHR3枚揃い踏み。3人でステージに同時に立つなんて前がいつだったか記憶にないね。そっから愛する大阪のオーディエンスとの
別れの宴。5,6メートル下のダンスフロアー。いつもの様に手が届く距離ではない中、届くと信じて言葉を撃っていく。一言づつに反応してくる
歓声。ちゃんと聞こえてたよ。90分は一瞬やった。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。関西の友人達よ、PHASE 3も数え
切れない夜を我々に与えてくれてマジでありがとう。皆、そのまま元気で。また遊びましょう!


終演後は2つのステージのそれぞれのトリ、クラナカとOKI DUB AINU BANDという、これもZETTAI-MUならではの意味深いROOTS SOUNDを
聴き、揺れながら、O.N.Oと行ったり来たりして楽しみました。外は明るくなってきて、秋の涼しさがあった。長かった夏は列島、この週にどこも
終わった感じがするね。いいタイミングだ。全ては枯れていく。次の再生のためにね。DJ KENTARO見つけてゆっくり話したり(いつ会っても
俺等は変わらない)、凄腕すぎる絵描きの皆と出会い、短い時間だったけど良い酒をいただきました。クラナカ、タケシ、ケイシ、ありがとう。
スタッフの皆さん、ご苦労様でした。


翌日はまだ抜けぬ酒を引きずり、そのまま金沢へ。AUTUMN BRIGHTNESS TOUR以来だったから2年ぶりか。でも金沢の仲間達とは色んな所で
会ってた。明生とヨシミツが迎えに来てくれてた。宿に入り、まずは洗濯、で飯。寿司がいいか、鍋がいいかと聞かれ、う〜ん、そうだな、連日の
乱れまくってた食生活を省みて、よしっここは鍋!歴史を感じる最高の雰囲気の中、極上の鍋をいただきました。う〜まかった〜!養生できたよ。
ありがとう!でAFTERHOURS行って、タマさんにも久々再会して、芋焼酎軽く飲んで、明日の打ち合わせをして、楽しみすぎになって、ここは
休んでおこうってなって宿に帰って寝ました。翌日、15:00に、今夜の箱21世紀美術館に着くと、既に舞台は出来上がっていた。明生を始め
金沢の皆が朝から動いていてくれたんだ。ありがたい。しっかりやらせていただきます。撮影に来てくれた森ちゃんと、宇宙軒でしっかり喰って、
箱へ。ウェルカムテキーラ+ヨシミツのDJでお客は暖まりまくってる!で、出番。金沢、北陸、果ては日本中から集まってくれた皆、初っ端から
全開だったね!がっつり上がってた!こっちも最高のテンションで駆け抜けた。上がりと深み、共に極限だったね。皆の視線に魂がこもってたよ。
皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。金沢の愛する仲間達との偉大な歴史にまた1つ大きな1歩を、全員で刻んだ夜だった。
1人1人の協力、尽力のおかげで本州最後のライブ、最高なものにできました。YORKとも邂逅した。打ち上げはこれまた金沢の底力全開!マジで
極上な焼き肉に完全KOでした。ワイワイ楽しい時間だったね。最高な仲間の笑顔に囲まれ、長かったツアーが終わってしまう事実にここで初めて
気づいてた。明生、そして仲間達、本当に最高の夜をありがとうございました!皆、元気で!


金沢翌日、朝9時のフライトで新千歳空港へ。何度も何度も旅立っては凱旋を繰り返し。本州全てのスケジュールは終わった。残すは道内2カ所。


札幌。愛する我等のホームタウン。俺等の全てがゼロから始まった街。俺等をゼロから見て、知っている街。箱は老舗、カウンターアクション。
ここは我々の1枚目のアルバムのCD盤を発売している、言わずと知れたSTRAIGHT UP RECORDSの本拠地、SLANGのKOちゃんのお店。ここで
札幌のファイナルを迎えるという意味、この意味深さを理解してくれている人達で、チケットは発売5日で売り切れていた。PHASE 3.9ツアーは
札幌では3カ所目になる。なので、金沢から戻り、ダイとスタジオに入ってセットを組み直す。ダイと多い時で週に4回は通ったスタジオでの
練習もPHASE 3では最後となる。辿る道の全てが感慨深い。当日は東京からPAのサニーさん、照明の畠中さん、スタッフとしてリキッドルームの
東田君が札幌まで来てくれた!俺等がずっと日本各地でやってきたライブを、しかもそのクオリティを落とさずに地元札幌の皆に観てもらうには
彼等の力が必要なんだ。もうそういうレベルまで来ているんだ。忙しい中、そのために、札幌の皆にTHA BLUE HERBの完全体のライブを感じて
もらうために、彼等は来てくれた。そしてそれを残し伝えるためにカメラのSUSIE、映像の潤君、ピーさんもやって来てくれた。役者は揃った。
秋晴れの平岸からO.N.Oとダイと3人で箱に向かう。サニーさんの音、畠中さんの照明にカウンターアクションが再構築されていく。リハを終え、
その時を待つ。続々集まってくるオーディエンス。札幌以外、北海道以外からも多く集まっていると聞く。まずはO.N.OのMACHINE LIVE。
控え室にも階下のダンスフロアーから強烈なビートの振動、オーディエンスの絶叫が聞こえてくる。その間、ダイと念入りに打ち合わせ。そして
その時はやってきた。ステージに立つとO.N.Oの残していった熱気が充満していた。よし、始めよう。10年ぶりとなるカウンターアクションでの
ライブ。PHASE 3の最後の一花。いきなりフルスロットルで飛ばしていく。集大成な選曲に、オーディエンスも呼吸を完全に合わせてくれてる。
前半の上がりまくりな爆発を経て、中盤の暗闇を抜け、絶妙のタイミングで「コンクリートリバー」。JERRY "KOJI" CHESTNUTSの登場だ。
去年の5月2日の演武10周年以来のセッション。間違いない。ばっちりやってくれたぜ。ありがとう、コージ!そっから一気に上り詰め、あの
輝けるエンディングへ。そして最後の最後、あの、あの夜、この夜。こうして後から文字で表すとほんの数行足らずのことだが、そこにいてくれた
人なら皆、知っていると思う。明暗、愛憎、正邪、そして生と死、全てをさらけ出したライブになった。時間にして2時間20分!長くも短い。
時間からは逃れられない運命の皆が、一瞬時間を超越し、透明な魂で1つになっていた。俺からはそう見えた。とにかく!最高に楽しかったぜ。
愛するホーム札幌、この街で産まれたTHA BLUE HERBは、この街の皆から受けたインスピレーションを磨き、表し、曲にして、それを今度は
皆に聴かせ、そしてそれにうなずき、呼応してくれる皆に愛を与えられ、最後のライブを終えた。地元、札幌でこういう形でPHASE 3を終える
ことができて、マジで感無量っす。あの場を分け合った皆、そして中に入りきれずに入口で聴いていてくれていた皆も含め、皆、最後まで聴いて
いてくれてありがとうございました。終わってからも着陸する間もなく、KOちゃんや皆と乾杯しまくって、ごきげんな夜だったな。この時が
ずっと続けば良いのになって夜だった。つまり至福の時だったってことだ。カウンターアクション、洋平、マジで色々ありがとう!


北見。遂に辿り着いた最後の地。179番目の約束の地。2007年6月8日、PHASE 3、LIVE STORY1番最初の旅立ちの地。ここから歴史は
始まった。以降も年末の節目は北見でのライブだった。いつからこうなったんだろう?って考えたら思い出したんだ。あれは2004年冬。この
時もPHASE 2を終わらせるライブ行脚「TERMINATORZ TOUR」をやってて、その初日が北見で、で、その日もすげえ良くて、上がった俺は
皆にPHASE 3も北見から始めるぜ!って言って別れたんだ。で、約束通りPHASE 3も北見から始めてって感じでこの因縁は続いてるってわけ。
札幌から電車に4時間半揺られて、やっと着くと駅周りは人がいなく、商店街にも人はいない。でもダンスフロアーにはちゃんといるんだよね〜。
わんさか。ほんと思う。街の大きさ、人の多さ、設備や環境の良さ、これらも確かに大事かもしれないけど全てではない。じゃないとデカイ街で
しか文化は産まれないってことになっちまう。産まれる場所は誰も選べない。ニューヨークに比べると札幌も小さな街だしね。でもそこに住んでる
人間の志でどうにでもなる。HOOPLAに集まってくる仲間の皆の楽しみっぷりは、世界、日本、どことも全く変わんない。そんな街、箱、仲間を
知ってることに俺自身、誇りすら感じる。ライブは、気づけば始まり、いつものように進んでいった。上がったり、下がったり、いつものように。
でもいつもと違うのは、1曲1曲、最後のパフォーマンスになるってことだ。全ては流れてく。無数の言葉が過去に吸い込まれていく。その前に
目の前の人の心に残って欲しいって切望しながらのライブだった。最後の30分は特に感慨深かったな。PHASE 3最後の30分。大げさかな。
何つーか、そもそもね、PHASE 3とか、別れの宴とかって、分からん人にはこの意味深さが全く分からんことに、付き合ってくれてること自体に
感謝っす。そういう静寂があった。俺は譲れやしないこの夜だけは。余韻が深く、深く、残るライブになった。それは札幌に戻った今でも残って
いる。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。本当にあの場を与えてくれてありがとう。あの場でも、何度も何度もありがとうと
伝えてた。何度言ったかな。何度言っても言い足りない気持ちだった。無論、それはいつものはずなんだけど、やっぱりいつもとは違ってたね。
PHASE 3、LIVE STORYは、終わった。

終わってからは、乾杯して、話して、笑って、感極まって、また乾杯。これが延々続いてたね〜。ダイ、O.N.O、北見まで来てくれた畠中さん、
NAOMIX、東田君、SUSIE、潤君、ピーさん、札幌チーム、そして北見チームでワイワイでした。結構きつめの二日酔いで札幌まで帰ってきた。
だるま行って帰宅。ふ〜、終〜了〜。


PHASE 3、THA BLUE HERBのLIVEは全て終えました。でもダイと、あと1回ステージに立ちます。舞台は沖縄、部隊はMISSION POSSIBLE。
http://peace-music.org/


ここまで読んでくれて感謝。

健康で。

ILL-B