ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2013.04
4月。
先月話してたMIGHTY CROWNのMASTA SIMONとSHINGO★西成と創った曲が発売になりますよ。MIGHTY CROWNの監修するコンピレーション、
「LIFESTYLE RECORDS COMPILATION VOL.5」に収録されます。自分以外にも興味深い面子が目白押しです。発売は4月24日です。お楽しみに!
リリースパーティーも開催されます。俺はTBHのライブが立て込んでて、参加できるのは1日のみです。場所は大阪@CLUB JOULE!6月30日です。
久々に大先輩にお会いして、インタビューを受けました。
昨年の6月9日山梨県甲府市からPHASE 4のライブが始まりました。気付けば随分遠くまで来た感じがします。毎週末、列島各地の津々浦々で、貴重な
機会を与えてもらって、音と言葉を鳴らしてきました。で、実は今回はここまで密かに進めていた野望というか、計画というか、目標みたいなものがあり
まして。それってのは、以前11年と4ヶ月かけて達成した47都道府県ライブ制覇を、1年間で走り切ろうと思って動いていたのです。今日、6月のライブ
スケジュールが発表になりました。その中の6月14日の高松で、47都道府県ライブ制覇2周目となります。全て自分等でブッキング交渉もやってるので、
さすがに1年で回りきるのは大変でした。でも各地の皆の御協力の元、47都道府県全てブッキング完了しました。高松以降もライブは入ってはいますが、
追って発表になる7月の数本をやって、我々、少しライブは休止します。7月の中旬の時点が、1年かけた「TOTAL」リリースツアーの終演となります。
各地のオーガナイザーの皆には、こっちの都合ばかりで、時には無理も聞いてもらったりで、本当に、本当に感謝です。いつもありがとうございます。
以降は秋過ぎまではライブは入れません。なので今現在、ライブの開催が発表されている各地、お近くの皆、是非御参加の程、よろしく御願いします。
3月もライブ三昧でした。DYEと心2つ、体2つで、お客と向かい合い、生きてきました。ここからはツアーレポートを。
吉祥寺。初上陸でした。同じ都内と言っても色々土地によって違うもんね。名前はずっと前から聞いていたし、知り合いも結構住んでたりでこっち的にも
楽しみでした。羽田から車で向かう。途中の道の混みように少々ダウン。結構遅れて到着。すぐリハ。今夜はNYCから帰ってきて初のライブだったので
リハも慎重に。PAのナオミ女史、照明の畠中氏と万全の布陣。箱、天井も高いし音も良い。リハ中、続々と今夜の対バン相手となる"勝手にしやがれ"の
面々が到着。挨拶をして本番に備える。街は札幌とはまるで違って暖かく春っぽい。落ち着きがあるね。博多の大名界隈っぽいかな。住みたくなる人が
多いのも解るね。本番は"勝手にしやがれ"が先陣。いや〜俺あたり酒飲んで踊りながら観たかったな。でも本番前の控え室から緊張しながら観てました。
めちゃ楽しかったっす。で、俺等。この日もしっかり90分。色んなタイプのお客、皆、最後は1つにまとまって深い所でシンクロできたと思っています。
地元吉祥寺ホーミー、俺等の古くからの友人、大先輩、良い夜でした。そこで聴いていてくれてありがとうございました。野村さん御世話になりました!
下北沢。舞台は実に9年ぶりとなるERA。ずっとオファーをもらっていたんだけど中々タイミングが合わなかった。でもずっと待っててくれた。だから
この帰還のチャンスはがっつりぶちかますつもり満々だった。しかも対バン相手も刺激的な面子を揃えてくれた。さらに前売り完売。こりゃ〜ヤバい事に
なるぜって思ってた。依然春の陽気は続いていた。昼間の吉祥寺も良かった。そこから向かった下北沢の空気感も相変わらずばっちり。あの駅前の雑多な
感じ、天気のせいもあってリラックスできた。リハもきっちり終え、本番に備える。先頭はSKILLKILLS。知ってる?あの名門BLACKSMOKER REC.から
リリースもしてるバンド。噂通りのヤバさでした。一見の価値あるよ。そしてAMETSUB。こちらも日本飛び越え活躍中。終わってから聴きたかった。。
で、俺等。任せとけって感じでドッか〜んと100分。みっちりやりました。街同様自由な雰囲気が終始漂うダンスフロアー、イケイケのお客達との一夜。
突き抜けた感ありまくりでした。そこで聴いていてくれてありがとうございました。終わってからの乾杯も楽しかったね。田中君御世話になりました!
代官山。この街は初登場でした。春の東京3連チャンライブも今夜がラスト。悔いなくやりたい。しかもこの日は3月10日。しかも対バン相手は仙台から
やって来るGAGLE。この時点で既に意味深い。まずはリハへ。この日は何故か街中がぼんやりと黄砂なの?ってくらい視界が悪かったね。しかも陽気も
すっかり去って、冷たい風が吹いていた。箱はきれいで音も良かった。やれる事は全部やった。後は本番を待つのみ。何せ3連チャンだったから疲労は
ピークだったけど、その代わりライブの質も同時にピーク。楽しみだった。GAGLEの3人とも久々の再会。会話が少ない分、今夜への意気込み、お互い
感じ合ってたと思う。先陣はGAGLE。想いが詰まっていた。間違いなくその場で生まれ、そしてここまで持ってきた言葉。重かった。バックの音も興味
深かった。さあ俺等。道は前にしかねえ。ステージに向かって行く。俺等とGAGLE。スタイルも全く同じとは言えない2組なんだけど、特別な前夜、同じ
HIPHOPとして目一杯楽しんでるお客のおかげで良い夜になったよ。そこで聴いていてくれてありがとうございました。高橋マシ君御世話になりました!
そしてやってきた「CAN'T STOP TALKING TOUR」。あれから2年後の週末。東北東海岸側を巡るツアー。あの日、2011年3月11日からこの日の事を
想っていた。生業云々以前に、言葉で生きてきた俺がそこで何を言えるのか、苦悩してきたと言っても過言じゃない長い長い時間だった。2年かかった。
宮古、大船渡、石巻。目指すは東北ライブハウス大作戦というプロジェクトによって生まれた3つのライブハウス。ただの金土日なんだけど、明らかに
気持ちの中、特別な感情が腰を降ろしてそこから動かなかった。どうなるのか、何を見るのか、何を感じるのか、全く解らないまま飛行機に乗りこんだ。
初日。まずは花巻空港へ。そこで今回のツアーメンバーと合流。運転&ツアーマネージャーの東田君。写真のHayachiN。映像担当の川口君、ピーさん、
ノリP。皆、不安と気負いとかはそれぞれ背負ってはいたけど、まだリラックスしていた。一路東、宮古へ。山深い。途中、何気に立ち寄った道の駅で
店員さんにサインを求められる。驚いたね。同時に上がったよ。何か1つの弾みがついた感あったな。宮古到着。箱はCOUNTER ACTION。そう、札幌の
あのライブハウスと同じ名前。つまり同じのれん。あのロゴを見るとアウェイに来たって気がしなかったな。お店の皆の気遣いも身にしみて暖かかった。
ご飯も旨かった。先に来ていたPAのナオミ、照明の畠中両氏、ウルトラ池田君とも合流。PAも照明も先週3発も一緒だったけど、今日もリハは念入り。
本番まで少し街を歩く。箱の周りも海が近かったけど、街全体に被災の後は余り見られなかった。俺が歩いた狭い範囲に限ってだけど。そして箱へ戻り
本番。この日は高校生以下は特別料金で入れたので見るとそれらしき人もチラホラ。さあ、始めよう。その道は、険しかった。俺の気負いとリリックの
バランスがとても深い所でギリギリに保たれていた、と思う。観る人によっては保たれていないと言われてもしょうがない。それくらい剥き出しだった。
約2時間の長丁場。上がったり下がったり、お客との心の距離も近づいたり離れたり。揺れたり取り戻したり。こっちでも、今夜は一体どういう終わり方
になるんだろうってやりながらも想ってた。でも最後は1つになれた。輝きも見れた。未来も見えた。俺、今はそう記憶している。正直、ステージ上の
こっちも一杯一杯だった。2時間近く言葉を並べたけれど、言葉足らずの表現もあったと思う。精一杯ありのままっす。そんな中、最後までそこで聴いて
いてくれてありがとうございました。終わってからも外には、寒い中、多くの人が待っていてくれてた。1人1人、とても重い現実を生き抜き来ていた。
俺などよりも人生の1つの答えを知っている人ばかりだ。彼等、彼女等の話を聞かせてもらって、俺はそこで今回のツアー初めて、目、耳、実感として
震災を感じたんだと思う。皆、本当にありがとうな!俺にできる事は本当に限られてっけど、そんな俺の生に、存在に、言葉に、音楽に、この街で意味を
与えてくれて感謝です。チャンピオンになれよ!そしてジュン、社長(美味しいご飯ごちそうさまでした)、関わってくれた皆さん御世話になりました!
2日目、寝ていたら地震が。その後、街の防災無線の声で津波情報が。心配はないらしいが、自分がどこにいるのかが寝起きからはっきり解った。起きて
メンバー集合。そこからまずは浄土ヶ浜へ。ここでも優美な景色に目を奪われ、そこが被災地なんだとは実感し難かった。お土産屋の中でその日の写真が
貼ってあって、それを見ると、ここも相当な被害が出たらしい。しかし、建物自体からはすでに傷跡は消えていた(ように見えた)。そう、俺等は、まだ
自分の目では見ていなかったんだ。そこから国道45号線を一路南へ。今夜の舞台大船渡を目指す。途中山田町を通る。道の駅で軽く休憩。店は賑わって
いた。至る所に復興への合い言葉みたいなのが見受けられたが、その時点でもまだ見てはいなかった。そこから大槌町へ。ここで一行は初めて目にする。
何もない更地を。置き去りのままの家々の基礎部分を。その間取りを。そこに書かれたメッセージを。そして大槌町役場の姿を、見たんだ。余りにも何も
ないので、そこがそもそも街だったのか一見しては解らない。あの日から2年。その時間はガレキを片付けさせ、雑草を一面に育てた。少しずつ心の中に
広がっていくあの想い。あの日2011年3月11日に感じた感覚が蘇ってきた。それは俺があの日まで1度も感じた事も信じた事もなかった感覚。それとは
言葉の無力感ってやつだ。あの感覚を振り払い、ゼロから言葉を書きため、揃え、曲にして、更に時間をかけてここ東北東海岸側でライブをできるまで
自分自身を立て直してやってきたのに、いきなりまたあの感覚が俺を乗っ取り始めたんだ。見渡す限りの生活の痕跡しかない無の世界。覆ってる静寂。
同じように言葉を失った一行を乗せ、国道45号を道は続く。釜石を通ってる間も、もうそこからはずっと。ずっと津波に破壊し尽くされた小さな集落を
目にした。怒りも諦めもなかった。ただただ悲しかった。車内で音楽なんてかけられなかった。代わりに寝てもいられなかった。皆、精神的に一気に追い
つめられていった。そして大船渡へ。ここも流され更地になった景色が広がっていた。見ると一軒だけ建物が。1階部分は流され空洞になってる。そこの
2階が今夜の舞台。え?ここ?って感じだった。この時点で体調崩したのが2名。それの原因がどこから来てるのかは解らん。でもやらなくてはならん。
やるために来てる。そして辺りが暗闇に包まれると、建物全てが流された街(の跡)は、風の天下だった。容赦ない風音が、まるで何かの泣き声のように
ずっと耳に迫ってくる。俺を脅すかのような向かい風を耐え抜け、本番。そこは小さなライブハウスだったけど、中は暖かかった。っていうか熱かった。
辺り360度全てが破壊された世界で、そこでだけ生のエネルギーが爆発していた。熱が1つに固まっていた。あの風音も、ライブの間中、静寂のシーンの
度に忍び込んで泣いてた。でもそれは何かを恨んでるようにはその時は聴こえなかった。私事になりますが、本当に諦めないで行って、言って良かった
です。あの夜、縁で、そこに生き合わせた皆のおかげです。そこで聴いていてくれてありがとうございました。沖縄、そして皆さん御世話になりました!
3日目。起きてカーテンを開ける。辺り一面、やはり何もない。ただの更地。ここが街で、色んなお店があって、沢山の人が行き来していたとは、やはり
思えない。頭では解ってるんだけど、視界からそれは想像できない。今回行って思った事の1つに、そこがあの日以前はどんな街だったのかを本当に知り
たいと思った。航空写真の比較とかじゃなくて。路上の目線で、生活の視点で知りたいと思いました。それ程に、何も、全てがないのだ。一行は再び国道
45号を南へ。陸前高田を通る。ここも、ない。街の跡は2、3個のビルの廃墟しかない。車のナビには郵便局、銀行とか出ているんだけど基礎すらない。
一面の雑草の平原。ナビでは駅前となってる所、賑やかだったであろう所も、ただロータリーの跡しかない。そして俺自身、言葉がない。昨日、大船渡の
ライブで乗り越えたかに見えたけれど、現実は甘くない。よそもんの音楽などで全てが救われる程の被害ではまるでない。目に映る、人の跡を黙示する
光景が、再び無言で襲いかかってくる。とにかく大きな街が丸ごとなくなってたり、小さな集落でも湾という湾、全てが、ないのだ。そして湾から山側に
入った草原には、細い棒に結ばれたリボンが風に揺れていた。それはある場所には寄り添うように複数あったり、ある場所では独りであった。悲しい。
気仙沼、南三陸町、被害は甚大だった。目は慣れない。気持ちも全く慣れない。ため息も出ない。言葉は、また根こそぎ奪われていった。一行は石巻に
到着。感傷に浸ってる暇などどこにもない。常に俺達は追われていた。自分の頭の中を整理するのはそれぞれがそれぞれの時間でやるしかない。ただの
金土日なのに、とても遠い所に来た感覚だった。元新宿ロフトの上野君の案内で石巻を少し走る。あの日から100日後、仙台でクラムボンがライブやった
時に、俺、1曲だけ参加して、その翌日に俺は石巻に来ていた。そしてまた同じ場所に立った。何も変わってなかった。ガレキは片付けられてたけど何も
解決なんてしていなかった。何も解決なんてしていないし、っていうか俺や俺等などに解決なんてできもしない事だ。できる事は、今夜音と言葉を鳴らす
だけ。それだけ。いつからか解らないけど、とっくに吹っ切れてたぜ。疲労は心も肉体もまさにピークだったけど、気持ちはまだ消えちゃいなかったぜ。
遠慮なんかしねえ。それこそ失礼だ。好きか嫌いしかねえ。好かれたい、この言葉で癒されてほしいなんて思ってちゃまるでダメ。貴重な2年後の週末に
来てくれた人、しかも柔らかい音楽なんかじゃなく、他でもないガチガチな俺等THA BLUE HERBを選んで、わざわざ足を運んでくれた人達だ。真正面
から堂々やるしかねえ。伝わるか伝わらないかは関係ねえ。そんな気持ちだった。俺等、追いつめられまくってもう前に出るしかなかったんだ。完っ全に
手負いよ。俺等が生きてるってのを証明するには前に出るしかなかったんだよ。そしてライブは、本当に素晴らしかった。輝いていたよ。皆の目の中が
輝いていた。俺には未来が見えたよ。本当だよ。本当。そこで聴いていてくれてありがとうございました。タカオ君、そして皆さん御世話になりました!
今、札幌に戻り、いつもの生活から皆を、あの夜を、街を想う。3回のライブ、あの場で語られた言葉、あれは一体どこから来たのか、と。俺一人の力で
辿り着いた言葉とは到底思えない。ただの金土日。ただの週末。でも俺等は相対性理論の及ばない所で生きていた。時間の価値ってのは長さじゃないな。
やっぱり濃さだよな。人生ってのは本当に短いけれど、儚いけれど、失われていく土砂降りの中の涙のようなものだけれど、頑張ろう。生き切ろうぜ。
そう。またあの場で皆に会う事を約束してきたんだ。憶えてるかな?憶えてるさ。またきっと会える。あの続きは絶対にある。未来は俺等の?ってね。
出会った人。地元の人、近隣の人、ボランティアで来ていた人、情報を広めてくれた人、1人1人、ありがとうございました。NBC作戦続行中です。
山口。4年ぶり4回目。長州の末裔達との宴を楽しみにしてた。いつもながら着く頃には真っ暗。舞台はPEOPLE。4回目の山口でもここでやらせてもらう
のは初めて。でも昔から良い感じで繋がってたから、初めて感、全くなし。むしろ帰ってきた感、大あり。この日競演する音楽家達との談笑。ほとんどが
再会。皆、心許せる友人達。正直、俺自身病み上がりだったので、この夜を超えられるかで精一杯でしたが、常に笑いが間にあって良い雰囲気だったね。
飯も旨いおでんをいただく。さあやるか!お客、近い。限りなく1対1の接近戦だ。持ち時間も1時間しかなかったので、ノンストップで言葉を撃ってく。
あっという間だったね。皆、そこで聴いていてくれてありがとうございました。俺等の後は山口名物BUPPON。俺等の前にやってた焼陣もそうだけど、
最初会った時からどんどん器が広がって、それが音楽に現れてきて、2人それぞれの個性もリリックの内容で解るようになってきてる。両者の人生の熟成
が感じられる良いライブだった。その後のINGENIOUS DJ MAKINOにいたってはいぶし銀やね。揺るぎない安定感。ZONOKEN、御世話になりました!
島根。ここは久々、9年ぶり。9年って結構長いよね。でも9年前のライブの事は憶えてる。あの熱気、興奮、合唱、マジでその9年前の時点で、そこまで
やってきて、ちゃんと届いてたって事に感動させられたんだ。あれから9年。生き残ってまた帰ってこれたぜ。山口からの移動は長かった。でも車窓から
見える景色が美しくて心は安定してた。あの線、岡山から島根とか鳥取に向かう線、備中って呼ぶのかな、景色きれいだよね。着いてもまだ明るく、早速
リハ。9年前と同じ箱、B1。ド渋。音、良し。あの夜が思い出されて自然、高ぶる。飯まで時間があったのでE.A.Dでレコード掘り。そして旨い刺身、鶏
料理をいただきチャージ完了。さあ本番。期待しすぎるとがっかりする事もあるからなんて少し思ってもいたけど、そんな杞憂など一瞬で吹き飛んでいく
ばっちりなライブになりました。皆のテンション超高くて、こっちがずっと上げられまくりな100分。どこまで行くのって感じで壮絶でした。島根間違い
ないな。そこで聴いていてくれてありがとうございました。初対面があれで、9年後があれって何かあるね。符和君始め仲間の皆、御世話になりました!
そして、俺はそこにいた。色んな所を旅しても、いつも最後に戻ってくる場所、プレシャスホールの朝方。普通の日。ド平日。2ヶ月ぶりにそこにいた。
そしてこの2ヶ月の旅を思い返してた。で、何気にふと見回してみると俺、そこで1番年下!やった〜!周りはいつもの愛すべき先輩達。ふざけ合って、
呑んで、騒いで、笑ってる。皆、それぞれ20年近く、DJなりお店なりダンスなりを続けてきてる。亡くなった仲間をいつでも心に抱いてる。音楽の事、
どんなジャンルでもどんな事でも、いつでも何を質問しても的確に答えてくれる。この場所があってマジで良かったと思う。ホーム札幌、STILL NO.1。
青森。4年半ぶり。海を挟んではいるけれど、隣の県って事でこれまでも青森、弘前、八戸でライブを何度もやらせてもらってきた。着陸後、まずは鰻を
喰って、最近の一押しスポットPENT HOUSEへ。良い空間!ここでやるパーティーは楽しそうだ。暗くなってきてから箱へ。何度もやらせてもらってる
QUARTER。音も言葉の解像度も問題なし。青木君筆頭に弘前の仲間とも再会。顔なじみが集まってくる。本番。言葉が沁み入っていくのが感じられた。
俺等と青森、深まってるね。何度目かもう解らないけど、毎回、超満員でわっしょいって感じではないんだけど、本当に、心の内側での対話が意味深い
夜っす。そして俺はそんな青森が大好きだ。一瞬で100分が過ぎていった感じがする。そこで聴いていてくれてありがとうございました。終演後、仲間と
呑む。シャイで口数が少なく見えて、実はメチャ心が熱い、自分の事を「私」と呼ぶ、清廉で高潔で誇り高い青森県の人達。温かさ、優しさ、格好良さ。
気持ちの質と書いて気質。皆に会い、俺も色々学ばさせてもらってます。皆、元気で!また遊ぼうぜ。TBHR青森支部長ヨッチ、御世話になりました!
4月もライブ続きます。未だ不完全な人間が、鍛えて続けて鍛えて続けてを繰り返して続けて、完全なライブに近づこうとする姿しかそこにはないけど、
それでもそこには自分の殻をぶち破って自由になろうとする前向きさだけはたっぷりあるぜ。こっちも上げに行くから上げに来てくれよ。上がろうぜ!
人生たったの1回。知ってた?後戻りはできないぜ。進んでいこう。
ILL-B