ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2014.01
明けましておめでとうございます。
2014年。平安な1年を、そして愛する皆の幸せを祈ってるよ。また笑って会える事を、どこでも行けて、何でも言えて、大きく広がっていける事を祈ってる。
昨年中は基本ライブばかりの日々でしたね。各地のオーガナイザーさんには本当にお世話になりました。こちら側の無理ばかりを聞いていただき深く感謝して
おります。計55回のライブ。きっちり年間週1ですね。もっとやってる人等もたくさんいるからね。大した数ではないですが。その中身の濃さに関してみれば
どこの誰にも負い目のない、恥じる事のないライブをやってきたという自負はある。でも、まだまだ良くなる余地はある。探求は年を跨いでも続いていくよ。
ここ最近は日本のヒップホップでも若いMCが沢山台頭してきているらしく、ま、俺自身は正直そういう新しいムーブメントとかは詳しくは知らないのですが、
こういう時代なのでね、相当にぶっ壊れた世の中なのでね、マイク1本だけで成り上がるっていう事に人生を賭けるのも勝算は大アリなんじゃないでしょうか。
ま、でもね、いくらCDやPVでね、取り繕ってもね、やっぱライブなわけよ。俺も含めたリスナーの判断基準はさ。ま、見栄えとかでも少しは売れるだろう。
音の切り貼りも写真の画像調整も今は誰にでも簡単に出来る。ただ、そんな小細工では時代は全く変わらねえ。そこで得たはした金なんて残らねえ。ライブは
隠せねえ。で、観てきました。HIYADAMを。KAIを。MC BROVASを。GOKU GREENを。072を。これが皆、それぞれ違ってて、でも、良いMC達でした。
俺、今42歳。さすがに今高校生のMCとかとは、一体どの話題で目線が合うのかっていうと、これは簡単な事じゃないよね。だってこんな俺も、高校生の時は
42歳の人間の言う事に興味も真実味も感じてはいなかったから。だからね、俺は多くは求めていないわけ。音楽的に俺が得るモノがそこにあるとは正直思って
いない。ましてや、社交辞令のリスペクトなんて必要ない。GOODでもBADでも、その人が俺にどんな印象を持ってるかなんて、目を見りゃ一発で判る。無論
俺から見て、もっとこうした方が良いのにな、とか思う事はあるにはあるけど、それぞれが俺とは違う独立した1人のMCだから、ここでは書かないよ。でも
彼等、彼女等のライブを観てて、そんな次元の印象ではなく、純粋に楽しかった。技術的にラップが上手いっていう評判よりも(確かに超上手い)、言ってる
内容が皆、個性があって、聴き取れる範囲でだけど、興味深かった。皆、色々考えてる。実際に高校生である彼等の学校帰りの景色、休み時間の雰囲気、そこ
から見えている将来のヴィジョン、想像する事しか今の俺にはもう出来ないけれど、それはヒップホップのビートにばっちり合っていたし、全てがポジティブ
だったよ。既に失われた過去に思いを巡らせ、平凡に繰り返すだけの毎日を疑い、いつかどこかに何かが自分を待っているはずだと信じてる。俺と全く同じ。
これは発見だった。で、高校生でも俺の世代でもない30歳前のMCが話す事の、その歳独特の閉塞感、脱出しようとあがいてる感覚。これも俺が昔感じてた
モノと全く同じだった。今の日本はさ、御存知の通り、それと同じ閉塞感が国中を覆っているんだ。しかも、それはまだまだ始まったばかり。言わば終わりの
始まりの様相なんだ。だから!ヒップホップやパンクやハードコアにとってはチャンスなんだ。良い時代だぜ。あの世代の閉塞感には羨ましさすら感じるよ。
俺も頑張ろうって帰り道に思っていた。良いもん魅せてもらった。お国の将来は明るくないけれど、ヒップホップシーンの未来なんていう実体のない空虚など
どうでも良いけど、次々現れて来る人達、旧いモノをぶっ壊し、ぶっ壊してる内にフロンティアに足を思いがけずも踏み入れているような人達。栄光あれ!
俺、常々言ってきた事なんだけど、日本のヒップホップなんてさ、全然まだヒヨッコだと思ってんの。今、現行のこの業界で、支持されていたり、影響力が
あったり、偉そうにしていたり、そんな奴等なんて全然大した事ねえから。俺もそうだよ。俺等なんて、ただの橋渡しの役割しかないから。本当の、究極の
傑作なんて、本物の、最初の天才なんて、今、幼稚園くらいの世代にいるんだから。だからシーンを総括するとか、日本のヒップホップのクラシックスとかを
すぐに決めたがるメディアを俺は小馬鹿にしてきたの。まだ、始まったばかりなんだ。俺等は、ただ試行錯誤重ねて、ただ時間稼ぐ事くらいが使命なんだよ。
俺等もさ、あの若い世代から見ればね、同郷のヒップホップとはいえ、ぶっ壊される側にいる。俺等がぶっ壊して上がって来たように、それだけは絶対に避け
られない。そんなの解ってる。絶対俺からはぶっ壊さねえ。順番だと、ぶっ壊される側だ。ただね、そう簡単にはぶっ壊されない。粘り強く生き延びてやる。
「悔しかったら最低でも90分ライブやれや」って言い続けてやる。で、実際は100分やった後「よくそんなに出来ますね」って聞かれ、汗拭きながら、涼しい
顔して、笑いながら「どうもありがとうございます」って言い続けてやる。「僕等長いのだけが取り柄みたいなもんなんで」って言ってやらあ。わはははは!
そう、俺は俺。俺等は俺等。避けられない肉体の衰えをトレーニングで鞭打ち、そんな生身を札幌からお客の目の前まで運び、言いたい事を言い続けてきた。
そこでは特定秘密保護法案なんて全く適用されねえ。真夜中のステージ最前線まで行っちまえばさ、もう送り手も受け手も誰も隠す事も出来ない性根、魂胆、
その時の感情が剥き出しになっててさ、最早ヒップホップでもパンクでもハードコアでも呼び名はどうとでも言える魂の会話を、俺は炸裂させまくってきた。
俺さ、いつもの事だけど、一旦アルバムをリリースしてしまえば、基本、ここではライブの話しかしていないわけよ。だからさ、そこにいなかった人には中々
理解出来ない事、毎月長々と書かせてもらってきた。でも、本当この毎日しかなかったんだ。練習、移動、リハ、本番、移動、休み、練習。これの繰り返し。
始まっては終わり。登っては降りの繰り返し。ギャラは過程でしかなく、結果は常に次のライブの完成度。そんな2013年でした。俺等のライブには音楽評論家
なんていねえ。そいつらにゲスト枠はやらねえ。貴重な時間と身銭を切って参加してくれた皆、本当にありがとうございました。あなた方しか今の我々の事を
知らない。だからあなた方には何を言われても良い。良いも悪いもあなた方の判断に委ねる。あなた方と俺等の話。それをコツコツ語り積んできた1年だった。
コツコツ4000本安打を達成したイチローが「(自分自身)まだ苦しみが足りない」って言ってたのをテレビで観た。だったら俺なんてまっだまだ足りねえな。
よしっ!また頑張るか。
以下、12月のライブレポート。どこも愉快な日々でした!
名古屋。最近は近郊の街が多かったので、久々のライブな気がしたな。これまで何度も行ってますが、今回の舞台は初となる今池HUCK FINN。ここは知る人ぞ
知るというか、そっちの世界では誰でも知ってる箱でして。俺も今回やる事になって知ったのですが、パンクの世界では登竜門というか、とにかく伝統のある
箱です。それは入った瞬間、そこに充満している空気や傷だらけなモニタースピーカーや壁一面に貼られたステッカーに宿る往年の名古屋のパンクスの霊気が
襲いかかってくる感覚というか、俺にもすぐに感じられました。こういう箱は滅多にない。51回目の龍宮ナイト。対バンは下山。年は俺より15歳以上若いけど
そんな舞台ではそれ程の差ではなく、それが妙に嬉しかったりもした。リハも本番も、何から感化されたのか分からないけど、俺、少し力入ってた。そういう
所がまだまだ若い。そしてそれはあるがままの今であり「俺って奴はなぁ」なんて思ってた。下山も末恐ろしいなんてもんじゃなく、既に突き抜けてる。あの
まま15年昇って行けば、今の俺などには到底届かない所まで行ってる事だろう。だからこそ、今は、絶対に負けるわけにはいかねえのよ。そりゃあ力入るよ。
そんな感じで、終始バッチバチと飛び散る火花が美しく眩しい夜でした。見届けてくれた皆、ありがとうございました。わかめ、貴重な機会をありがとうね!
三重。四日市。鰻喰って、天むす喰って、で、夕方頃に名古屋を出て、わかめの運転で一路西へ。目指す舞台はSUBWAY-BAR。何やら音楽好き達が集まって
楽しい事になっていると、以前から幾度も噂に聞いていた。着く頃にはすっかり暗かったね。そのままリハ。箱のサイズ、音の感じ、ばっちり。屋上もある!
これは夏とか最高なんだろうね。続々と出演者、スタッフが集まってくる。MILIとも久々の再会。そのまま皆で飯へ。三重と言えばの松坂牛のすき焼きとかを
いただき、本番に備える。この日の出番は深夜。既に箱は年末気分も相まって良い感じで暖まってる!ステージにはYUKSTA-ILL、からの俺等。昨年の四日市
でのライブと同じ順番。お互い生き残ってまた同じステージですれ違えた。お客も前日とはまた違って、ヒップホップ色が相当濃い。初めての場所だってのに
ホーム感すらあったぜ。いつだって楽なヤマなんてないけれど、爆発しまくって、発散しまくって、上がりまくってるお客が多いと、俺等もどんどん乗せられ
て行くよね。終始イケイケで走り抜けられました。ありがとうございました。終わってからも、依然として落ち着く気配のないパーティーピーポー達や、久々
会ったB-BANDJ達と、ヒップホップを聴きながら(これがまた俺等のツボ突きまくりな選曲!)呑んだね〜。噂以上に楽しすぎた。森君、お疲れさまでした!
大阪。帰ってきたぜ。これまで数えきれない夜を過ごしてきた。街、寒っ。なので川福でうどんすき。芯まで暖まって、upriseMARKETへ。その後SKIT。冬の
スニーカーの買い付け。舞台は初となるCLAPPER。何年にも渡ってオファーを受けていたが、中々タイミングが合わず、でも今回までずっと待っててくれて
いた箱。しかもこの日はMCやバンドが盛りだくさん。俺も名前だけ知っていた人達も大勢いて、気合い入ってたよ。共演者に埋没するわけにはいかねえ。この
夜は俺等の出番が最後。きっちり締めさせてもらうぜ。リハ後、ニューライト。からちょっとだけ1人レコ屋へ。1月のDJの買い付け。箱へ戻る。ステージには
MASTERPEACE。からのGEBO。良い緊張感を受け取って俺も本番に備える。この日は流石の大阪でして、色んなパーティーがあちこちであったらしいので
すが、俺等の時間、きっちり集まってくれてました。さあ始めようか。午後3時から音楽浴びっぱなしのイベントなので、お客のスタミナが若干心配でしたが、
全く問題なく、100分の長丁場、共に駆け抜けました。最近は新しいお客も混ざってきてるね。俺等、流行の先端でははっきり言って、ない。全然違う。でも
何かの縁でそこに価値を見いだしてくれた人、遅いも早いもない。ありがとうございました。終わってからの打ち上げも楽しかった。福ちゃん、お疲れさま!
京都。第2の故郷。札幌みたいな新しい街に住んでる俺には、憧れ続ける永遠の都やね。舞台はBLACK BOXXX。この街にはかつてウーピーズっていう箱が
あって、俺等、そこでハチャメチャに音鳴らして遊んできたんだ。そこはもうなくなってしまったんだけど、底にいた古谷仕切りのこのパーティー。メンツも
気心の知れた仲間ばかり。しかも特別に札幌からヴォーカルでJERRY "KOJI" CHESTNUTSを呼んでる。って事は〜そう!あの曲をやる。京都木屋町でやる。
そば喰って宿で休んで本番へ。箱に着くとちょうどSOFTのライブ。ブラックホールが渦巻いてた。そしてDJ HIKARUのプレイで暖まった後、いよいよ俺等。
日曜でも、天気寒くても、そこがどの箱でも、いつだって京都のお客は熱い!間違いない。挨拶もそこそこに一気に核心へなだれ込んで行く感じ、この街なら
では。KOJIも久々の共演だったけど、ばっちりな仕事をしてくれた。そしてあれ、あの曲をやる。「コンクリートリバー」。初めてライブで観た人も多かった
と思うけど、あの最後の大合唱はキテたね。ああなったら良いなって話してたけど、なっちゃった!ありがとうございました。京都、2時間超え、一気だった。
アフターパーティーも引き続きHIKARU、そしてRILLA、MASAの三者三様のDJにトバされながら、遊びまくっちゃってました。古谷、ドツカレさんどした!
翌日は京都オフ。JERRY "KOJI" CHESTNUTSと木屋町のボスDOCTOR HASEGAWAの極上過ぎるセッションに酔わされ、ポンやあちこちで遊んでました。
いつもの事ですが、後半からあまり憶えてません。迷惑かけてると思われます。京都の皆様、マジどうもすみませんでした。チャン山メガネごめん!チャス。
札幌。この日が遂にやって来ました。地元中の地元、GHETTOでのライブ。最後にそこでライブをやってからすでに15年経った。時は極寒のクリスマスイブ。
平岸を出て、地下鉄乗って、ススキノで降りて、ポールタウン歩いて、狸小路に出て、そのまま東に向かう。15年前と同じ道のり。昔はシスコに寄って、相方
O.N.Oの働いてる店に寄って、で、何か喰って行ったりしたな。金もなかったからせいぜい良くてもびっくりドンキーとかだったな。観光客が去り、すっかり
暗闇に包まれた2条市場。そこの地下1階。中に入るともうその時点で懐かしかったもんね。何もかもが昔のまま。札幌ヒップホップの源泉GHETTO。KOJIも
来て、TAMAも来て、YAMAさんも来て、続々とあの時代の顔ぶれが揃ってくる。リハしっかりやって(昔はリハなんてやった事なかったね)、いざ本番へ。
リリックスのあちこちに出てくる実在の名前、エピソード。笑い話も悲しい話も、生も死も、15年の歳月を超えて蘇ってきてた。漂うヒップホップの亡霊達。
お互い15年分生きたけど、それでも今も関係が何も変わらない仲間達。10年以上ぶりに再会したかつての仲間達。そして今の俺等を支えてくれているお客達。
気付けば2時間経ってたよ。ありがとうございました。貴重すぎる帰還でした。ここでは書き切れない想いがそこにはあった。変わった事、変わってない事が
はっきりと存在していた。俺はあのささやかなステージで確信してた。ファッションとか、流行とか、金とか、スタイルとか、そういうモノでは計れない事を
ラップしていく、この道にも、ちゃんと辿り着く場所はあって、年を重ねれば重ねる程、そこに深みが表れていく。40超えたヒップホップも悪くねえなって。
っていうかまだ40じゃねえかって。これからも色んな事が起こる。札幌の昔からの仲間、今の仲間、これからの仲間。悲喜こもごも、色んな事が起こるんだ。
あの場でも言ったけど、俺が覚えておかなくては忘れ去られていく事、誰にも知られずになかった事になっちまう事、それらはGHETTOみたいな、あんな狭い
場所でもずっと確かに起こっていて、きっと日本中、世界中でそれらは起こっていて、新聞やテレビに出るような大袈裟な事ではないけれど、そこにも真理は
あって、そういう生き様、死に様を口承で伝えていくのが俺等のヒップホップでしょ、そう確信していたよ。YAMAさんが皆を笑わせ、O.N.Oがカウンターに
入って酒を作り、WACHALLがビズを回し、KOJIが歌い、皆で歌い、笑い、呑み、話し、その夜はこうして賑やかに過ぎていった。酔いつつも、醒めていた。
夜明けにはビートが満ちるように、何かが変わってく、俺は信じてる、朝方、水曜の朝方、現実の世界はクリスマス。枕元に置いてきたプレゼントを子供達が
見つける頃、もう父親になったかつてのDJは、朝9時の会議にそのまま向かった。その後ろ姿、十分ブルースが鳴ってたぜ。最高に詩的だった。昔とは違って
酒の抜けもキツいだろうな。頑張ってんな。頑張れよ。年末の忙しい中、来てくれた皆、生き残ってまた会おう。GHETTOよ、永遠に。たかし、ありがとう。
東京。2013年のラスト。舞台は昨年のラストと同じ渋谷ASIA。この夜はBRAHMANとの激突。この時代、この国屈指のライブ強者。今年も色んな人達と同じ
ステージを分かち合ってきたが、年末土壇場、とてつもないヤマが用意されていた。ジャンルが違うからとか、バンドとターンテーブルだとか、何の言い訳も
通用しない、超えるか屈服するかの大勝負。思えばもう10年以上前に初めて競演して以来、彼等はいつも全力で走り切っている。離れた北海道でもそれは俺、
いつも観て、聴いていた。最近は縁あって、よく話すようにもなった。いつも笑い話が多くて、それは穏やかな時間が多いし、この間柄はシンプルに友達、と
呼べるかもしれない。でも俺は知っていた。彼等は本物の音楽の化物だって。人の皮かぶってはいるが、本物の獣だって知っていた。だからこそ、あの普段の
穏やかな時間なんだ、と。もし闘う場面で会えば、幸か不幸か会ってしまったならば、潰されちまう事もあり得る奴等だ、と。それは何もTOSHI-LOWだけの
事ではない。バンド、そして支える裏方、BRAHMANと呼ばれるチーム。この凄みをずっと場面場面で思い知らされてきた。こういうチームを俺も作りたい。
そう素直に思ってた。俺等、俺等を支えてくれているPA、照明、マネージャー、カメラ、映像、彼等彼女等とがっちり組んでチームで動くようになったのも、
BRAHMANを知ったから。そしてその時は来た。その時は、空気の薄さと熱気も相まって、とても、とてもキツかった。そこでの俺等のパフォーマンスがどう
だったか、一夜明けた今、ほとんど覚えていない。俺は夢中にいた。ただ、1つだけはっきりしている事がある。それは俺も持ってる全てを出し切ったって事。
こっちは斬り合う覚悟で行ったから、こうして無事に翌日を迎えられた事に安堵すらするよ。無傷ではないが、俺は生き残った。この傷は俺をまた成長させて
くれる事だろう。ライブ終わりは朝5時。濃密なパーティーだった。結局は自分との闘い、それは終わり、そしていつものように、乾杯、笑い、穏やかな時間が
あった。あってくれた。東京、いつもの事だが、最後に良い勉強をさせてもらいました。今年最後、最後まで付き合ってくれた皆、ありがとうございました。
もう1度。平安な1年を、そして愛する皆の幸せを祈ってるよ。また笑って会える事を、どこでも行けて、何でも言えて、大きく広がっていける事を祈ってる。
1曲捧げよう。
新年早々、長文失礼しました。
今年もよろしくお願いします。
ILL-B