ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2015.09

9月。

こちらすっかり秋の様相です。「いつからか季節は秋から始まる」さあ始まるぜ。

俺、tha BOSSがTHA BLUE HERB以外のフィールドで残してきた音楽、1997年にマイク稼業に身を投じてからの長い旅で出会ってきた友人達と残してきた音楽を
同じく友人であるDJ HIKARUがMIXしたCD「BORDERS」がいよいよ発売です。メンツはアルファベット順にasa、audio active、B.I.G. JOE、Calm、clammbon、
DJ BAKU、DJ QUIETSTORM、DJ YAS、G.CUE、GOMA、刃頭、HERBEST MOON、MIGHTY CROWN、OLIVE OIL、ラッパ我リヤ、REBEL FAMILIA、流、
SEEDA、SHINGO★西成、山仁。全18曲。発売は9月23日。価格は税抜き2,500円です。HIKARUのMIXを一足先に俺は何度も聴かせてもらってます。長い旅、と
一言で言っても、このCDに入っているのは1999年から2013年までの旅なんでね。変化ってのは声にもフロウにも、それこそ考え方にもあちこちにあるわけです。
今日に繋がってる変化ね。あとは、やはりジャンルを縦横無尽にまたぎまくってる事から生まれるカオス感ですね。もうBPMも相当幅広い事になってるし、曲調も
テーマも一見バラバラなんですが、そこは流石のDJ HIKARU、MIXが俺の発した言葉の意味、伝えてきたメッセージにしっかり沿ってくれているので、最後まで筋が
ビシッと通っております。特にHIPHOP勢との楽曲の順番、流れ、これは異ジャンルの強者とのセッションとはまた違って、信条や誇りや意地、それぞれの地元の
バックグラウンドのぶつかり合いが熱い事になっております。本当に色々面白い人達と面白い事をやらせてもらってきたな〜って思う。「スクリュードライマー」
とかね、未だに誰1人も踏み入れていない領域だしね。「煙たそうにしてるその他大勢の平凡なMCは俺を恨むなよ」って言いながら境目をぶっちぎって行ったんだ。
そうかと思えばMIGHTY CROWNとSHINGO★西成と創った曲もさ、それぞれの初期衝動の化学反応が凄すぎてぶっ飛んじゃいます。あとは「ILL-BEATNIK」もね、
外せないよね。札幌だけで活動してきた俺がいよいよ外の世界に出て行く地点での気概というか、展望というか、今聴くのもまた最高だ!もう今となっては色々な
事情で手に入らない音源も入ってますし、ライブ定番曲も入ってます。来たるソロアルバムの前の俺のTHA BLUE HERB以外での仕事集「BORDERS」、発売です!


そして遂に発表する時が来ました。私、tha BOSSの自身初となるソロアルバム。発売日は10月14日。このサイトで10月7日から通販で先行発売します。

タイトルは「IN THE NAME OF HIPHOP」!

昨年の10月に北海道釧路でThe Birthdayとライブやって、翌日から1人で釧路に残ってリリックを書き始めてから発売まできっちり1年かかりました。構想はもう
「TOTAL」出した直後からあったのですが、ライブが続いていて、中々作業には入れなかった。でも釧路の3日間で一気に10曲くらい書けて、途端に制作モードに
突入して、昨年一杯でライブにはケリつけて、で、年明けて、ビートメイカーとラッパーに声をかけ始めてっていう流れでした。またヤベえのたっぷり書けたぜ〜。

アルバム(CD)は2種類の形態で発売します。共に全15曲。まず生産限定盤としてインストゥルメンタル(ラップを除いたもの)を、全曲分入れたCDを付けた2枚組。
こちら4,000円(+税)です。そして通常盤はCD1枚で3,000円(+税)。どのビートもクオリティが高過ぎなので、インストゥルメンタルとしても詩的にハマれますよ!

アルバムに参加してくれたビートメイカーはアルファベット順にこの13人。
DJ KAZZ-K(STERUSS)、DJ KRUSH、DJ YAS、grooveman Spot、HIMUKI、INGENIOUS DJ MAKINO、LIL'J、NAGMATIC、Olive Oil、PENTAXX.B.F、
PUNPEE、Southpaw Chop、YOUNG-G(stillichimiya)。

ラッパーはこの6人。
B.I.G. JOE、BUPPON、田我流(stillichimiya)、ELIAS、YOU THE ROCK★、YUKSTA-ILL。

スクラッチがDJ SEIJI(SPC)。

そして集められたあらゆる要素(言葉、音、想い)の全てをMIXして、アルバムという形に現したのがTSUTCHIE。


初回特典として、限定生産盤、通常盤、共にもう1枚CD付けます(付かないお店もあるので要確認)。これはアルバムには収録されなかった曲。理由は質という事では
断じてありません。ただ単に収録時間を既に超えてしまってから新たに創った曲だからです。ビートメイクをやってくれたのは、Mr.BEATS a.k.a. DJ CELORY。
こちらは通販先行発売でも付きます。あと通販限定特典として、俺のロングインタビューが載ったフリーペーパー「生涯」を先着順で付けます。欲しい人はお早めに。

これも伝えないと。すでに発表になってるDJ KRUSHの11年ぶりのアルバムに俺も参加が決まってますが、それに入る曲と俺のソロアルバムに入る曲は同じ曲です。
KRUSHさんと一緒に曲を最後に創ったのが2000年。共通の友人の死を弔う曲だった。あれから長い時を経て俺もKRUSHさんも生き残った。命があるだけじゃなく
こうして音楽に携われている。俺はずっと想っていた。またKRUSHさんと曲を創る機会に恵まれたら、次はどんな曲になるのかなって。思いがけず、タイミングが
合いまくって、お互いのアルバムに入れよう!なんてありがたい言葉をいただいて、創り始めた曲は、とても特別なメッセージが入った曲になった。あの友人の死から
果てしない未来の先に今も生きている2人。お互いも、世界も、日本も色々あった。皆も色々あった事だろうと思う。あの時代、新世紀を目前にして、何かが新しく、
それも良くなる方向へ向かうような得体の知れないワクワクをとっくの昔に通り過ぎ、黄昏時のこの国に生きている。俺等は賛成と反対に分けられ、言い争い、そして
疲れている。あの頃、目指していた未来はここだ。無茶しまくってた奴等もHIPHOPや音楽から離れたり、親になったり、真面目に仕事をしたり、それぞれのこの今が
あの頃の未来なんだ。友人の死に集まり、弔い、そして別れた俺とDJ KRUSH。2015年。ここでまだやってる。何を歌うのか?俺等にしか出来ない曲になったよ。

とにかく、参加してくれたメンバーの一見する豪華さが大きく語られる事は悪い事じゃない。確かにあり得ないくらい豪華な顔ぶれだ。ただ、事の本質はそれら名前の
並びじゃない。俺の言葉と彼等のビート、彼等の言葉、彼等のスキル、それぞれの献身と挑戦の均衡する地点にそれはある。豪華と語られるには、各人のこれまでの
仕事、ライブ、ちゃんとした理由がある。それは宣伝や口コミや風評の類いなんかじゃなく、事実だ。俺が伝えたい事も宣伝や口コミや風評の類いなんかじゃないぜ。

全てHIPHOPの名のもとに起こった事だ、という事実だ。

「IN THE NAME OF HIPHOP」格好だけなダンサーから始まって、ラップを始めて...。遂にこんなタイトルを付けたアルバムを発表する所にまで、俺は辿り着いた。
THA BLUE HERBは俺とO.N.Oの2人だけという最小の単位で最大の高みを目指してやってきた。正直、札幌から自分等のHIPHOPを掲げて日本中に出て行った時、
俺は俺等だけが最強だと思っていた。その祝福すべき世界の狭さが俺等の音楽の強さの源だった。その時点で文字通り最強だった。ただ、俺は人間だ。赤い血が
通ってる。中央(とされる場所)から遠く離れた地元札幌から、サシの付き合いを相手に求めていく以上、その相手が誰であろうと媚は売らねえ。避けられないなら
ぶつかり合いも辞さない覚悟で自分等のシノギを広げてきた。だけど自分等のHIPHOPを認めてくれた人等に向かってまで唾は吐かねえ。俺はそんな奴じゃねえ。勝ち
にこだわるためには、つまりライブの一戦一戦をモノにするためにはもちろん前後の共演者なんかには構っちゃいねえ。それは今も変わらん。「残酷なまでに手を
緩めないのが悪い癖」って言ってね。ただ、相手が理解して受け入れてくれたなら、その時点でノーサイドだ。むしろ感謝でしょ。俺は剣も盾も下ろすよ。そうやって
生きてきた。朝方は笑っていたい。笑ってその日の箱を、その街を後にしたい。そうやって生きてきた。いつだって笑って別れてきたんだ。皆、知ってるっしょ?

そんな毎日の中、ある時は俺等を迎える側として、ある時は迎え撃つ側として、数多くの同業者、好敵手と出会ってきた。たった一晩の滞在も、数を経て、少しずつ
距離は縮まり、札幌産の価値観しか持っていなかった俺は、多くを学び、その世界は広がった。話は少し逸れるけど、ある意味、THA BLUE HERBの歴史とは、札幌
という隔絶された土地で育まれた孤独からの突破志向、そしてそこを乗り越えたからこそ出会う事が出来た数え切れない邂逅によって創り上げられていったと言える。
時には憎み合ってでも自分の存在を認めさせる相手であった東京のHIPHOP、同じように中央から遠く離れた場所で自分達のHIPHOPや表現を確立するために
奮闘している同志。今、47都道府県に仲間がいる。そうなると、だ。「BORDERS」の時も同じ事が起こったけど、シンプルにさ、次は曲を創りたいってなるわけ。

たった1度のラッパー人生、どうせやるならね!ド派手に行きたいよね。行けるなら行くわな。ラッパーなら誰もが憧れる夢みたいなものがHIPHOPにはある。それは
つまりNASの「illmatic」みたいに、当代随一のビートメイカー達、知り得る全員に仕事を頼み、その全てに言葉を載せてみたいってやつ。そしてこれまでのスタイル
ウォーズでバチバチに言葉をぶつけ合ってきた敬愛するラッパー達とバース(歌詞)を分け合ってみたい。これらの夢は金を積んだら誰でも出来るもののようで、実は
全く違う。そこがHIPHOPの最高な所。金だけじゃない。ずっと吐き続けてきた言葉の持つ信用こそがオファーの要なんだ。俺は俺の言葉の信用の真価を知りたい。

ここまでの邂逅を改めて辿り、ビートメイカー、ラッパーを訪ねていった。それは自分が純粋にファンであると認める人、いつかの夜に自分を地元に招いてくれた人、
そうしてやって来た自分の前に地元代表としてステージに立っていた人、共にある街に招かれ同じステージを分け合った人、朝方のカウンターで酒を酌み交わした人、
デモCDを携えて遠くから訪ねて来てくれた人、何年も前にビートを受け取っていた人、長年知ってはいたけれどすれ違っていた人、互いの美学でぶつかり合った人、
かつては敵対する陣営側にいた人、自分が確かに傷つけた人...。1人1人、これまでこの国で自分の腕1本で生きてきた職人に、礼を表し、自分の構想とそのために
それぞれにやって欲しい仕事の内容を伝え、向き合いながらの作業が延々と続いた。頭の中にあったイメージは、書き留めた言葉は、全て彼等のビートに移し終えた。

全てHIPHOPの名のもとに起こった事だ。

「IN THE NAME OF HIPHOP」HIPHOPがなければ、間違いなく、今日の自分は存在しない。HIPHOPがあったから自分として生きてこれた。生きにくい時代も良く
なるヴィジョンを持ち続けてこれた。夢を持ち、持ちこたえてこれた。自分を知ってもらえた。破局を免れ、仲直り出来た。正々堂々こうして、言いたい事を発表する
機会を得て、それに価値を見出してくれる人に出会えて、一緒にモノを創る苦難と喜びを分け合って、歳を取る事も忘れ今日まで生きてこれた。証拠は、この一品。

tha BOSS、ソロアルバム「IN THE NAME OF HIPHOP」

配信データではない、ジャケット、歌詞カード、そしてCD。重さを感じられるモノとして世に残す。手に取って欲しいと心から願ってます。よろしくお願いします。


久々の長文、ここまで読んでくれてありがとう。
来月は参加してくれた人達それぞれと俺との間の物語などを。HIPHOPの名のもとに。

ILL-B