ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2016.02

2月。
こちらすっかり冬の底です。

昨年12月のtha BOSS「IN THE NAME OF HIPHOP」リリースツアーを終え、1月はライブを休んでましたが、今月からまた始めます。12月のツアーは大きい
街を回ってましたが、ここからまたいつものように日本中隅々まで顔出します。今月は北海道苫小牧、そして鳥取と島根の山陰ツアーからの豊橋、岐阜、三重の
東海ツアーです。どこも久々なので楽しみです。お近くにお住まいの方の参加お待ちしてます。2月以降のスケジュールはこちらから。随時更新していきます。

1月25日から通販サイトで発売していたtha BOSS「IN THE NAME OF HIPHOP」記念Tシャツ、あと少しだけあります。ソロアルバム「IN THE NAME OF
HIPHOP」(CD)も限定盤(インスト付)と通常盤、通販サイトで売ってます。
こちら初回特典「AND AGAIN」も付きます。当通販サイト、そして全国小売店の
店頭、共に「AND AGAIN」は残りの枚数がわずかになってきております。「AND AGAIN」は初回特典のみの生産なので、なくなり次第再生産はありません。
自分で言うのもおこがましいですが、「AND AGAIN」、これ超良い曲なので、これからのライブでも重要な曲なので、まだの人はお早めにGETしてください。

先月ここで言っていた、ニューエラ製のTHA BLUE HERBの漢字ロゴのキャップ、迷彩色ヴァージョンの通販は4月に延期します。お待たせしてすみません。

年末のツアーファイナル、リキッドルームの写真を追加でアップしてます。

タイに行ってました。写真アップしてます。


DJ RYOWのアルバムに参加しました。詳細はこちらから。今回はあるラッパーとバースを分け合いました。そのラッパーとは…TOKONA-X!長くやってると
こんな日も来るんだね。俺自身、この機会は正直予想していなかった。TOKONA-Xはすでにこの世にはいない。ましてや御存知の方も多いとは思うけど、俺は
TOKONA-XにDISられてもいるし。だから、RYOWからこの話をもらった時は、最初は躊躇した。DISの件は既に10年以上昔の話だ。ここじゃよくある話だ。
ただ、もしもTOKONA-Xが生きていたら、俺などにオファーを出したかな、とか考えた。でも、それでも一歩踏み出した。許されざる者ってのは承知の上で、
あの正真正銘不世出の豪傑の生と死に精一杯の言葉を捧げさせてもらった。ここからは、今世紀初頭に一瞬すれ違った、俺とTOKONA-Xの縁について話そう。

このまま墓場まで持っていこうと思っていたが、この機会に憶えている全てを話そう。少なくとも、俺とTOKONA-Xとの間を飛び交ったデマや憶測や作り話は
全部風化していった。ここに真実を残しておくよ。俺は当事者の1人だ。そしてTOKONA-Xは死んでしまった。生きている片方が話す以上、真実だけを話そう。

俺がTOKONA-Xというラッパーの名前を初めて知ったのは、まだTHA BLUE HERBを始める前だった。札幌の仲間が名古屋に行った時に、街中で地元の人間と
モメたという話からその名前を聞いた。その仲間は俺より年上で、札幌でもイケイケだったから、俺自身、そんな人とやり合う奴が名古屋にいるんだ、とかって
思ってた。その前後にさんピンがあり、唯一名古屋から乗り込んでいったラッパーがいたらしい、それもまたTOKONA-Xだった。あの時代は俺等も札幌以外で
ライブなんてした事なかったし、インターネットも普及してなかったから、日本のヒップホップシーンもまだまだ広くて、時々断片的に入ってくる、札幌から
遠く離れた街のヒップホップ情勢を、こっちはこっちで深読みしながら想像してた。北海道から先の世界なんて外国みたいな感覚だった。そんな時代だった。

1997年にTHA BLUE HERBを立ち上げた時には、既にTOKONA-XはDJ刃頭とILLMARIACHIでアルバムを出していた。俺等よりも常に先を行ってた。アル
バム単位で出しているラッパーはあの当時数える程しかいなかった。東京から聴こえてくるヤワな(俺にはそう聴こえてた)ヒップホップとは全然違うハード
コアなノリは俺等もばっちり認めてた。っていうか同じ何かを感じてた。「RAP WARZ」という全国のラッパーの楽曲を集めたコンピレーションアルバムに
俺等も誘われて、そこにTOKONA-Xも入ってた。俺はそれに入ってる曲の中で、自分の曲以外はTOKONA-Xの曲しか聴いてなかった。その内、俺等も札幌から
日本中にライブに呼ばれる時代が始まって、遂に名古屋に行く日が来た。その日の景色は同じ名古屋のラッパーG.CUEと一緒に創った曲「真夜中の決闘」で
ラップしてる。とにかく、会場はデカいし、お客は満員、何より、出演サイドの不良っぷりに超ヤラれた。これ程ハードコアなのに、ビジネスとしてちゃんと
成り立ってる名古屋のシーンは、当時俺が日本中で見てきた何よりも特異だったし、純粋に格好良かった。その日に知り合った名古屋の顔役達との交流は今でも
続いている。そんな中でもTOKONA-Xはやはり際立ってた。間違いなく中心にいる雰囲気だった。その日は少しだけ挨拶した。ライブもお客の上からがっつり
見下ろす感じで、荒削りで、来る前に思っていた名古屋のヒップホップのイメージ通りの立ち振る舞いだった。刃頭と「野良犬」を創ったのもその前後だった。

それから時間が経って、2002年、俺等は2枚目のアルバム「SELL OUR SOUL」を発売してツアーに出た。ツアー3ヶ所目が名古屋だった。その日、名古屋の
友人が俺に言った。「BOSS、TOKONA-Xとモメてる?」と。俺は何の事だか全然解らなかった。俺はすぐにTOKONA-Xに電話をかけた。事の真相はこうだ。
俺等がアルバムの前に出したシングル「A SWEET LITTLE DIS」の中の歌詞、「XXX DIS」っていう箇所を聴き、自分の刺青をDISられたと思ったTOKONA-X
がそれに反撃する曲を録った。当然だけど俺にはそういう意図はなかった。むしろ俺はTOKONA-Xのファンの1人でもある。っていうか東京のラッパー連中に
狙いをつけてはいたけれど、TOKONA-Xに何かを言いたかったワケじゃない。だから、俺はこのDISは心外だと伝えた。電話越しのTOKONA-Xの表情までは
窺い知れなかったが、お互いの会話は落ち着いていた。でも、もうリリースが決まってる、止められない、と言った。俺はそれがリリースされようがどうでも
いい、ただ、俺はTOKONA-XをDISっちゃいない、それだけ告げて電話を切った。するとすぐに折り返しで電話がかかってきた。俺等は少しだけまた話した。

自分が認めているラッパーにDISられるのは悲しい事でもあった。ましてやそこに起因しているのが誤解ならなおさらだ。だから俺はすぐに直で話した。そこで
誤解を晴らした以上、本人にも言ったが、それから先の事は構ってなかった。逆に良い機会だとすら思っていた。あの頃の俺等は周りの全てを拒絶していたし、
自分等の居場所を作るためには多少の争いやいざこざもしょうがない、と思っていた。だから身から出た錆って意味で、いつか、誰かから、自分等がやった事を
手痛く返される時が来る、覚悟はしてた。同時に、そうなった時、誰が味方で誰が敵かがはっきりする。その曲が発売された後、俺は、シーンを冷静に見てた。

後日、札幌にライブに行くから観にきてほしい、と連絡が来た。それも俺をDISった曲が入ったアルバムのツアーらしい。俺は迷ったけど足を運んだ。舞台は
キングムー。そこに集まったB-BOY達のほとんどが、今、シーンを騒がせているTOKONA-Xというラッパーを観にきたっていう雰囲気だった。最後にあの曲を
やる前に、何かを話してたけど、俺にはよく聴き取れなかった。でも、その後にTOKONA-Xは叫んだ。それは憶えてる。俺は、そこにこの日への、札幌への、
そして俺や俺をDISった曲への覚悟を感じ取った。熱かった。俺をDISる曲を聴きながらも、俺は不思議にも上がっていた。俺等にFUCK YOUと言え、と叫び
TOKONA-Xはステージから去っていった。同じ頃、シーン全体で、あのDIS曲は大きな反響を持って迎えられた。そしてもちろんそれだけが発端ではないが、
TOKONA-Xにも大きな追い風が吹いていた(ように見えた)。再び名古屋で同じライブで居合わせた時、数年前に観たライブに比べ、そのスケールが何倍にも
なっていた。あれには驚いた。もうただ唖然とする感じだった。DEF JAMとの契約、そしてソロアルバム、表紙を飾ったBLASTを読みながら、TOKONA-Xの
躍進を俺は素直に喜べた。東京以外からのし上がってきて、俺のようにずっとアンダーグラウンドに留まるのではなく、いきなりメジャーと契約して、しかも
それまでのやり方を変えずに痛快にやりたい放題やっているTOKONA-Xを見てて、憧れってワケではないけれど、何と言うか、とにかく輝いて見えた。でも、
相変わらず巷では悪意を伴った作り話が騒いでいた。俺は土下座なんかしちゃいない。時々、もうすっかり治ったと思っていた傷がズキズキと痛んだりもした。

それからも、俺等が名古屋にライブに行くと、終わった後、友人からTOKONA-Xが1人で観に来ていた事を聞く事が数回あった。1人で来て、観て、そのまま
帰る。俺は過去には全くこだわっていなかったし、それよりも話してみたい事が沢山あったけど、そんな関係性も悪くない、きっといつか"その時"は来るって
思ってた。ある夜、札幌で、また同じ場所でライブが入った。俺等の出番の方が早くて、サクッと盛り上げて、会場をうろついてたらTOKONA-Xと再会した。
そのまま店のカウンターでいつもよりも長く話した。会話は、今までで最も穏やかだった。笑顔で話した。それが、俺がTOKONA-Xと会った最後の夜だった。

"その時"は来なかった。俺はそれ以来、俺以外のラッパーとの争いを意識して避けるようになる。 一方的に削ってくるDISはほとんど放っておいた。そいつらは
別に最初っから構っちゃいない。ただ、俺が認めているラッパーとは、無益に争うよりも、こちらも最初から心を閉じずに接していこうと思うようになったし、
そう行動してきた。その延長が、今回のソロアルバムに続いていると言っても過言じゃない。いつか来るはずの"その時"も、必ず来るとは限らないって事を
学んだ。あれ程までに天下無双を誇っていたTOKONA-Xの突然の死、それは、ちっぽけな意地やメンツの張り合いで貴重な時間を無駄にしていたら、何か
新しい事が生まれる前に、今生の別れが突然襲ってくる事だってあり得るっていう教訓となった。違いをあげつらう事の無益さに俺は気付く事が出来たんだ。
TOKONA-Xが死んだ1ヶ月後、俺等は名古屋でライブをやって、翌日、クラナカと一緒に線香をあげにいった。その時、DJ RYOWもいて、軽く挨拶をした。

以上が俺とTOKONA-Xとの間に起こった(俺からの視点の)全てだ。きっとTOKONA-X本人や、周りにいた人達からは、また違った景色が見えていただろう。
どっちにしても、俺等は、何かが始まるかもっていう前に、数回だけすれ違った。それっきり。美談なんかじゃないが、これも"IN THE NAME OF HIPHOP"。

DJ RYOWから連絡をもらって、 TOKONA-Xの生前のラップに俺が言葉を添えるというアイディアを聞かせてもらった。今回は本人から直でもらったオファー
ではないから、俺がああして声を重ねる事をどう思っただろう。TOKONA-Xの声は全てあの頃のままに若々しく、猛々しく、不敵で、そしてその不変さが逆に
儚さを漂わせていた。俺とRYOW、エンジニアさんで、スタジオにはいない、この世のどこにもいないTOKONA-Xのラップを、何度も繰り返して聴いていた。
どんな形であれ、こうして共演する機会を与えてくれたDJ RYOWに感謝してます。俺はもう諦めていたよ。奇跡的に"その時"を実現させてくれてありがとう。
そしてあの2002年の一件以来、色々とさりげなく気を使ってくれていた、口数は多くはないけど、義理堅い名古屋の強者達にも感謝を。いつもありがとう。


さあ、今年も始まった。ライブに向かおう。こうしてまだ機会を与えられている事に感謝しながら全力を尽くそう。まだ終わっちゃいねえ。俺がどこから来た
何者なのか、どうやってここまで生きてきたのか、ただの口だけ野郎か、俺の時代は過去か、俺自身で、はっきりさせてやる。ステージ最前線で待ってるぜ。

1曲送ろう。

ILL-B